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30 催眠療法

今の私の目標は、とにかく目が見えるように、元に戻るようになること。

先生は焦らなくても良いって言ってくれるけど、やっぱり、このままじゃみんなの負担になるし、早くなんとかしたい。


マユさんが言うには、私みたいな症状は、精神疾患の一つにあるらしい。

自己催眠と言って、自分で自分の脳に目が見えない、と思い込ませている

のだと言う。私が事故のことを覚えていないのも、辛いことを忘れることで、自分の精神が危険に晒されるのを守ろうとしているらしい。



「先生、私、マユさんの治療、受けてみようと思います。

えっと、催眠療法?というのを」

事故の記憶。それに向き合い、きちんと受け止める必要がある、とマユさんは言う。記憶の欠落は、脳がそれを補おうと働くから、余計に幻覚や悪夢を見るのではないかと。


先生にそう告げると、「・・そうか」と一言だけ返ってくる。

どこかいつもと違う声のトーン。

「先生? ・・・反対、ですか?」

「いや、そんなことない」

そう否定するも、先生は何か、考え込んでいるようだった。


「治療は必要だろう。・・ただ、耐えられるか?

ツラいことも全部、思い出さないといけないけない」


忘れてしまった事故当日の記憶。そこには母の死もある。

忘れなければいけないくらい辛いことを、きちんと受け止められるのか。

思い出すことで、さらに酷いトラウマに陥る人も少なくはないらしい。

それを思うと怖い。でも、このままみんなに迷惑を掛け続けるのはもっと嫌。


「・・・大丈夫ですよ。

それに私、早く先生の姿が見たいんです。だから目、治さないと」

笑ってそう先生に言えば、

「・・・それは、別に焦ることはないと思うぞ」

呆れたような声でそう返された。




*****


いつものカウンセリングの部屋の隣の部屋。ベッドに横になって、マユさんは私の枕元で座った。

逆側には先生がいて、私の手を握ってくれている。

だから大丈夫。こみ上げてくる不安を全部飲み込んで、左手に力を込めた。

私以上の力で握り返される。


「いい? 心を落ち着けて。不安になったらいつでも中断していいんだからね。

テツも綾乃ちゃんの手をちゃんと握っててね。

・・・さあ、じゃあ目を閉じて。

どこまでちゃんと記憶しているか、一緒に辿って行きましょう?」

マユさんの質問にいくつか答えていく。

頭の中に思い出していくことを、ぽつりぽつりと口にしていった。


・・・事件当日の朝。

その日はかねてから計画していた、一泊二日の温泉旅行。

父も母も、何ヶ月も前からその二日だけは予定を空けておいてくれて、三人で朝早く出発した。

母と私はワクワクしながら、行きの車の中でガイドブックを広げてた。

運転する父。

母は本を片手に、あっちに行こう、ココも見ようってはしゃいでて・・。


「そう。その後、何が起きたか思い出せる?」

マユさんの声に誘導されて、記憶がおぼろげに浮かび上がっていく。


その後。


その後、車はどんどん進んで行って・・・



ひゅうっと自分の息を吸う音が聞こえた。

頭の中にその時の状況が蘇る。

・・・それは突然の衝撃だった。


キキーッという鋭いブレーキ音とガシャンドシャっと全身に響く様な爆音。


一瞬で目の前が真っ黒に覆われた。苦しいくらいの圧迫感。

ドンと身体中に痛みが走る。


「あの時、・・私に覆いかぶさってくれたのは、・・おかあさん。

お母さんは、だから、・・血まみれになって、いて」

身体がガタガタ震える。

息が上手くできない。ハッハッハと浅くしか吸うことができなくて苦しい。

「アヤ!」

先生の荒ぶった声。

返事を返したかったけど、私の意識はすうっとなくなっていった。





お母さん、おかあさん、おかあさんっ!

私は何度もその名を呼ぶ。もう戻らない大切な人の名を。


莉乃! 莉乃! 莉乃!

嫌だ! 僕を置いていかないで! 目を開けて、莉乃! 莉乃!


動かないお母さんを抱いて、泣き叫ぶお父さんが、そっと私の方を見る。

悲しみに溢れ呆然とした瞳。

娘の私さえ、写していない。


・・・この人から、愛する人を奪ってしまったのは私なの?

私が、旅行に行こうなんて、・・あんなことを言わなければ。

お母さんが、私をかばわなければ。


お母さんの姿が、真っ赤な何かに取り込まれて、見えなくなっていく。

嫌だ、嫌だ、おかあさんっ!

行かないで! 死なないで!!


手を伸ばそうとした瞬間、地面が泥沼のように変わる。

私も、ずぶりと足元から沈んでいく。


身体が動かせない。逃げることもできない。

そのまま闇に飲まれていくと思った瞬間。


「アヤっ! 俺を見ろ、アヤ!!」


ガンッと壁をブチ破るような大きな声が全身を震わす。

真っ赤に埋め尽くされていた世界は一瞬で消え去り、ただの暗闇が広がる。

「せんっ」声を出す間もなく、ぐいっと引き寄せられ抱きしめられる。

ゼイゼイと聞こえる荒い吐息は自分のものだった。


「アヤ、大丈夫だ。ゆっくり、息をしろ。吸って、吐いて、吸って・・・」

先生の声に従って、呼吸を整える。背中をさすってくれる手が暖かい。




息が落ち着いても、私は先生にしがみついていた。

先生は無理に離そうとせずに背中を撫でてくれている。


「・・・全部、思い出せました」

「そうか」

「なんで忘れちゃってたんだろ。お母さんの最期、だったのに」

「・・ああ。そうだな」


「っふ、うう・・」

嗚咽がこみ上げてきて、先生の胸に顔をうずめた。

「いっぱい泣け、アヤ。全部、吐き出せばいい」

「うわあぁあぁん、おかあさぁん! おかあさんっ!」

自分の声がうるさいほど響く。

泣きながら話す言葉は自分でも聞き取れないくらいぐちゃぐちゃで。

私が放つ意味不明な叫びにも、先生は「ああ」「そうだな」ってずっと声を返してくれた。


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