12 夕飯
そして始まった同居生活。
まず私が覚えたのはトイレの位置。もちろん、マユさんに教えてもらった。
それから、使っていいよと言われた部屋はリビングから一番近くのドア。
ドアノブには小さな鈴が付いていて、すぐに分かる。
この鈴は色んな所に付けられていた。ダイニングの私が座る椅子や、リビングのソファ、お風呂のドアやトイレのドア。
私が必要な場所に付いていて、手探りで近づいて行くと、手が当たってチリンと正確な場所を教えてくれる。
マユさんに聞くと、私が来る前日に大量の鈴を持って帰ってきた先生がせっせと付けていたらしい。
「なんかのおまじないか、ヤバい宗教にハマったんじゃないかって、シンとビビったんだけどねー。綾乃ちゃんの為だったとはねー」
・・すみません、先生。
あらぬ疑いを掛けられていたことに、心の中で謝っておいた。
*****
「じゃあ、今日の夕飯は僕が腕を奮いましょう。ご期待あれ」
そう言ってキッチンに向かった慎兄ちゃんの言葉通り、とても良い匂いのご馳走がテーブルに並んだ。 洋食レストランの香り。
マユさんが言うには、慎兄ちゃんが三人の中でダントツ一番料理が上手だって。
先生に手を引かれて席に座る。先生も私の隣に座ってくれたようだ。
「コンソメスープとトマトソース掛けチキンソテーだよ。どうぞ、召し上がれ」
「いただきまーす!」 マユさんの元気な声に、ハッとする。
ここで食べるの? 皆の前で。
そんな恥ずかしい真似は嫌だ。
病室でも人がいるところでは絶対に食事は摂らなかった。
散らかしながら食べてる所なんて見られたくない。
「あ、あの、先生。私、部屋とかで一人で食べたいんですけど、駄目ですか?」
「駄目だ」
またしても問答無用とばかりにズバッと言われ、手にフォークらしきものが握らされる。
「サポートしてやるから、大丈夫だ」
「さ、サポートって、先生にそんな面倒な事、させられません」
慌てて反論した私の頭に大きな手が乗り、ぽんぽんと二回叩かれる。
「いいから。朝飯と昼飯はパンやおにぎりやサンドイッチとか、簡単に食べれる物にする。だから夜はこうやって一緒に食べることに慣れろ」
「テツ、もっと優しい言い方できないの?」
「ねえ。なんか無体を強いる暴君みたいだわー。横暴よー。コワーイ」
二人に責められて先生は黙ってしまったので、なんだか私の方が焦ってしまう。
「あ、あの。怖いとかではなく、申し訳ないってだけで・・」
「ええ? 綾乃ちゃん、テツが怖くないの? うっそー! だって口調とか・・」
「くだらないことをしゃべるな。冷める。
・・・とっとと食うぞ。皿を貸せ」
かちゃかちゃ、とナイフやフォークの音がして、私の前にお皿が戻される。
「いいか、皿の上にはチキンが八切れある。一口で食べられる大きさだ。
肉から落ちたトマトソースは最後にスプーンで掬えばいい。
イメージできるか?」
「は、はい」
先生は私の皿のチキンを食べやすいように切ってくれたようだ。
その心遣いに驚く。
手探りで食べていると、口に入れようとする物が大きいのか小さいのかよく分からないのが、行儀よく食べられない要因の一つだと思うのだ。
鈴のことといい、本当によく分かっている人だ。
以前に目の見えない患者さんのリハビリをしたのだろうか。
やってみろ、と言われて我に返る。
慌ててフォークを皿に向けて下ろす。
カツン、と皿に当たる音。
「焦るな。ゆっくりでいい。フォークで皿の手前に寄せてから刺すと外れない」
なるほど。上手く刺すことができて感心する。
パクリと口に運んだチキンはとってもジューシー。フレッシュトマトを使ったソースは酸味が効いてて、ハーブの香りもいい。
「慎兄ちゃん、すごく美味しい。ローズマリーのいい香り。レストランみたい」
「さすが綾乃ちゃん。料理のこと分かってくれる仲間ができてうれしいよ。
この人達はさ、ハーブやスパイスなんてただの草だ、雑草で金を取るなんてぼったくりだ、とか言うんだよね」
慎兄ちゃんは大げさにハアとため息をついてる。
草・・。まあ、草だよね。
「だあってー、そういう難しいの、苦手だもーん」
マユさんは高い声でケタケタと楽しそうに笑う。
「あ、でも食べる分には難しい料理も、どんと来い、よー!
シンの作る物は、全部美味しくてだいすき。 あー、このスープもおいしーい!
テツは食材が何でも、焼いて塩コショウ、のワンパターンよねー」
「・・・味付けの基本だろ」
先生の呟きは私のツボに嵌った。
私は顔も知らない強面の先生が、エプロンをしてフライパンで焼いた肉や野菜に塩コショウを振る姿を想像してしまった。
「ふふっ」
駄目だ、おかしい。
笑っちゃ失礼なのに。でもくすくす笑いがなかなか止められない。
「ごめんなさい、笑って。
塩コショウは基本、ですものね。私もそう、思います」
何でもできそうな先生は、料理が苦手なんだと分かったことが、少し嬉しいと思う。だったら私にも役に立てることがあるかもしれない。