10 退院
慎兄ちゃんの言葉どおり、それからの日々は慌しく、あっという間に過ぎた。
最終検査や今後の生活指導、通院でのリハビリについてなど、様々な医師から説明をたくさんたくさん受け、とても覚えきれない。
困惑していると、紙に書いてあるものは帰ったら読んでやるから大丈夫だと坂口先生が言ってくれた。
退院の日の朝早く、父が走って病室に来た。
今日は半日休みを取る予定だったけど、急に仕事が入ってしまったから、すぐに行かなくてはいけないみたい。
何度もごめんと繰り返すから、私は笑って大丈夫だよと何度も返した。
先生と慎兄ちゃん、マユさんは今日は午前中休みを取ってくれたらしく、三人で病室にやって来た。
「本当は傍に付いていてやりたいけど、本当に申し訳ない」
「いえ。娘さんは責任持って預からせていただきます。マンションはここからも近いですし、今までのように声を掛けに来てください」
先生が父に返した言葉。
顔を見せに、ではなく声を掛けにと言ってくれるあたりが先生らしい。
「心配ないよ、総司さん。綾乃ちゃんは僕達にとって妹みたいなものだし。
寂しい思いはさせないよ。
僕達の勤務時間も交代制だから三人のうち誰かはいつも家にいるしね。
テツは夜勤もないし。任せて任せて」
「ホントですよ。こんなに可愛いコ、なかなかいませんわー。
大事にしますね、オジサマ」
二人に言われて、はははと父も楽しそうに笑う。
「そう言ってもらえると、有り難いよ。娘をよろしくお願いします」
「はい」
父は先生と言葉を交わした後、名残惜しそうに私をぎゅっと抱きしめてから病室を出て行った。
*****
その後、皆で退院の準備をした。
と言っても荷物はいつもカバンから使うものだけ出し入れしていたから
散らかっていないし、書類も父が書いて持ってきてくれたから、特にすることはない。
「シン、この荷物を運んで、車を玄関のロータリーに回しておいてくれ。
マユ、この書類をナースセ ンターに持っていってハンコをもらえ。
あと清算もこれで頼む」
先生のテキパキとした指示に、二人が了解、と答える。
「じゃあ綾乃ちゃん、下でね」
「はい。すみません。ありがとうございます」
がさがさと荷物を運ぶ音や紙の音、ドアの開閉の音がして、二人が出て行くと、病室は一気に静まり返った。
手を握ってもらっている感触が無ければ一人だと勘違いしてしまうだろう。
「・・俺達のマンションはここから車で五分、自転車だと十分くらいのところにある」
唐突に先生がしゃべりだす。
「白くて、とても新しい。人気の物件だったと、二年前、マユが言っていた。
トイレと風呂と、キッチンが広くて綺麗で、女性に人気なんだそうだ」
「そう、なんですか。楽しみです」
見えないけれど、と続けてしまいそうになる。
この狭い病室でも、トイレや洗面台の位置を覚えたり、見えない生活に慣れるのに時間がかかった。
新しい場所に不安はある。
それでも、家には戻れないのだしここにも居られないのだから、行くしかい。
だけど。
・・・本当にこんなに甘えてしまっていいのだろうか。
迷惑を掛けることは分かっているのに。
またむくむくと不安な気持ちがふくらむ。