4話 訪問
土曜日。俺は迷った末に、紙切れの呼び出しに応じることにした。指定された時間のきっかり5分前、俺はグシャグシャの紙切れを握りしめ、巨大な門をもつ豪邸の前にいる。何度も紙切れの地図と周囲の景色を照らし合わせ、苦心しながらやってきた結果がコレだ。
門は堅く閉じられており、インターホンの類も見当たらない。もちろん出迎えの人もいない。門を押してみる。……うん、やっぱり鍵がかかっているな。地図に拠点と書かれている場所は、盤石の守りで来訪者を阻んでいた。
「どうするかなー……」
やっぱり冗談だったのか……? 正直、俺は未だに昨日の出来事を信じることが出来ていない。髪を桃色に染めた森園さんには散々逃避だと詰られたが、これが普通の反応だと思う。
よし、10時になったら帰る。無反応のそっちが悪いんだ。約束時間はキッチリ守ろう! 家に帰ったら健斗呼んでゲームして、全部忘れよう。なかったことにしよう。デジタルの腕時計を確認すると9時59分。さあ、そろそろ約束の時間だ。
「5、4、3……」
なんとなく時計に合わせてカウントダウンしてみる。未だに中から人が出てくる気配はない。
「2、1……! ゼ、ロ!?」
きっかり10時、いくら押しても空かなかった門がウィィィン、ギギギと音を立てて内側に開いた。機械仕掛けだったのか、この門。門から延びる道の先、邸宅の玄関ドアには「Welcome!」という札がぶら下がっている。
どうやら、相手は俺以上に時間をキッチリ守る人物らしい……。
✝ ✝ ✝
中に入ると、テレビでしか見たことがないような玄関ホールが広がっていた。ピカピカに磨き上げられた床は土足で踏むことにためらいを覚えるほどだ。一般的な住宅にあるはずの靴を脱ぐスペースは見当たらず、床はそのまま家の奥へと広がっている。
「来てくれてありがとうね、瀬尾智樹くん」
玄関では森園さんが待っていた。鮮やかな桃色の髪に茶色をベースにしたワンピースは、一昨日謎の場所で会った時と全く変わっていない。ヤッパリ夢ジャナカッタ……。
彼女に通された部屋には、すでに2人の少女がいた。1人は俺が知っている人物――紅瑠奈だ。
「く、紅さん!? なんでここに……」
「なんでも何も、あたしとつぐみはここに居候させてもらってるの。それにしてもあんたがねー、ふーん……」
紅さんの含みのある言い方を疑問に感じながらも、ソファに座ったもう1人の方に目をやった。
此方は俺の知らない人だ。しかし、トップレベルの森園さんや紅さんと並んでも見劣りしないほどの美少女。ふわふわしたウェーブがかかった黒髪に、リボン付きのカチューシャをつけている。そして、俺を品定めするようにじっくり観察した後、はぁ……とため息をついて力なく頭を横に振った。
「えっと、俺が何か……」
彼女の仕草1つ1つは洗練されていてとても優雅だ。そんな美少女にため息をつかれ、早くも俺のメンタルは大ダメージを負った。このモブ顔がそんなにNGか畜生。
「禊さん、まだ諦めていなかったのですか? 私、何度も説明しましたよね? クラスメイトなんだから間違いようが無いって」
「うぅ。し、しかし、万が一という可能性ももしかしたら……」
「ありません」
「…………」
森園さんが呆れたような声で対応している。バッサリ断言され、禊、と呼ばれた美少女はガクリと項垂れた。
「ごめんね、何回言っても耳をかしてくれなくて」
「一昨日以上に何が何だかわからないんだけど」
「禊さん、もしかしたら瀬尾君が女の子じゃないかって期待してたみたいで」
森園さんから予想の斜め上の言葉が飛び出た。もちろん俺は正真正銘の男。残念ながら禊さんのご期待に応えることは出来ない。というかクラスメイトに聞いたんなら諦めろよ……。人生引き際が肝心、というのは疲れた目をした俺の親父の言葉だ。
「こほん。失礼、見苦しい姿を」
そうこうしているうちに、復活した禊さんが俺の方を向いてペコリとお辞儀した。
「私、初春禊と申します。この拠点の代表を務めさせていただいていますわ」
以後お見知りおきを、と差し出された右手と、緊張しながらも握手をする。美少女と握手。月曜健斗に自慢してやろう。
初春さんは自分の真正面のソファを俺に勧めた。俺が高級感あふれるソファに座ると、自然と彼女と向き合う形になる。
「まずは、関係のない貴方を巻き込んでしまったこと、お詫び申し上げますわ。ですが、非礼を承知で貴方に頼みたいことがございますの」
俺に頼みたいこと……? それは一昨日の出来事が原因なのだろうか?
「このまま本題に入っても混乱させてしまうでしょうから、一昨日の出来事から説明いたしますわ。貴方も恐ろしい体験をなさったでしょう?」
一昨日迷い込んだ、人が全くいない場所。それは見るからに異界のような場所ではなく、俺が毎日を過ごす場所だった。日常がまるまる取り込まれた気がして、とても不気味だった。
「一昨日貴方が迷いこんだ場所は、つぐみさんが張った結界の中です。指定された範囲の物をコピーして世界に重ねる。結界の中身はただのコピーなので、時間が経過することも、もとの世界にフィードバックが起こることもありませんの。コピー対象に人間を含む動物が含まれていなかったのは、森園さんの趣味ですわ」
もっとも結界に動物までコピーするモノ好きはそういませんが、と初春さんは締めくくった。まあ、確かに止まった人間がゴロゴロいたら怖いな。その点は森園さんに感謝しておこう。それに、神隠しとは違ってちゃんと戻ってこれたしな。
同じ部屋にいる森園さんは「そういうわけじゃないんだけどね……」とボソリと呟いた。
「結界を張っていた理由や張り方は企業秘密ですわ。今はまだ、ですが。ここで問題なのは、貴方がこの結界の中に迷い込んでしまったことですの」
初春さんは真っ直ぐに俺の目を見つめた。声がワントーン低く、力強くなる。
「人間には生まれつき『魔力』が備わっています。魔力の量は個人差が大きく、何もしなければそのまま減少していくのです。そうですね……、ほとんどの人は20歳になる頃には魔力量が0になりますわ」
「魔力」というゲームでよくある単語が登場する。なんか一気に現実味がなくなったな……。結界での経験がなければ、正直ドン引きして帰ったと思う。
しかし、「何もしなければ」という部分が引っかかる。初春さんの言い方では、減少を止める方法があるようだ。
「貴方くらいの年齢だと、魔力量はほとんど0に近いはずなのです。本来ならば。つぐみさんが張った結界は、中に入るときに自分の魔力量の数割の魔力を消費する仕組みになっているのですわ」
「ええと、それは魔力量? が多ければ多いほど多くの魔力を消費するということですよね? 魔力量と魔力はどう違うんですか?」
「量」があるかないかの違いでも、初春さんはしっかりと使い分けている感じがする。ごめんなさい、その1文字に込められたニュアンスの違いを感じることが出来ません。
「こう考えればいいよ。水の入った器をイメージしてみてね。器自体が『魔力量』で中に入っている水が『魔力』。魔力は使ったら減るけど、時間経過で回復するんだ。ただし、器を超える量には絶対にならない。大きな魔法だと一気にたくさんの魔力を使うから、魔力量が小さいくて使えない人もいるんだよね」
待機していた森園さんからわかりやすい説明が入る。俺の理解が進んだところで、再び初春さんが話し始める。
「最近、気になる敵の反応がありますの。何かを探しているような動きをしていたので、それならば此方からおびき出そうという話になりました。数日前から同じような結界を毎日張って、敵が現れるのを待っていましたわ。そして最初に引っかかったのが貴方、というわけですの」
敵とはまた物騒な。……あれ、この流れだと俺が敵ってことにならないか? 違う、濡れ衣だ!! 俺は善良な一般市民のモブです!! 美少女に手を出そうとするような邪なヤツじゃありません(チラ見はするけど)!!
俺の慌てふためく姿を見て、初春さんは口を手で隠してクスリと笑った。
「私たちは貴方を敵と疑っているわけではございませんわ。貴方への疑いは綺麗さっぱり晴れていますので、ご安心を。先ほども申しあげたように、問題なのは貴方が結界内に侵入できたということなのです。
設置していた結界は半ば罠のような感じで、人通りの多い場所に設置していました。そのため関係のない人々が入り込まないように、魔力量が一定以上の人だけを取り込むように設定していたのですわ」
あれ、話がおかしな方向に……?
「貴方の年齢ならば、絶対に取り込まれない結界だったはずなのです。しかし、貴方は選別されて取り込まれた。そして、最も驚くべき点は取り込まれた時に消費した魔力の量です。この量から貴方の魔力量を推測することが可能ですの。結果は、私たちと同レベルという恐るべき魔力量でしたわ」
初春さんの目は真剣で、嘘をついているようには見えない。でも、俺は本当にただのモブなんだ。魔力とか魔力量とかの怪しげな言葉だって、今初めて聞いたばかりだ。
「貴方が私たちのような魔力量を発達させる存在とは無縁ということもわかっています。だから、こんなことを聞いても貴方が何も答えられないということも承知していますわ。しかし、それでも問わずにはいられないのです。
貴方は、一体何者なのですか?」
勿論、俺には何も答えることが出来なかった。