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2040年:死刑台のエレベーター

「それは、神の視点。2000mから、横浜を見下ろす快感!」

「世界初の、超未来完全都市=アルコロジー。住まいの進化形、アークタワー、分譲開始!」

「地下鉄をタワー地下に収容。みなとみらい線アークタワー駅から徒歩0分。横浜まで13分、渋谷まで44分の絶好の立地!」


 どこが44分だと言うのか。渡辺はぼやきながら、エレベーターを待った。朝7時。広々としたエレベーターホールからは、太陽は見えない。太陽はおろか、外の光景というものがまったくない。

 アークタワーに越してきて、3ヶ月。外の景色がないのには慣れてきたが、宣伝文句の「渋谷まで44分」には未だに騙されたという感が強い。なんといっても、ここは258階。エレベーターで地下2Fの地下鉄駅まで、15分もかかるのだ。

 200平米の広さの家に、娘ははしゃぎまわっている。ミイもだ。ミイはまだ新しい家の中で、定められた場所で用を足すことをおぼえない。匂い物質を撒き散らし、妻はそのことで始終文句を言っている。渡辺は、飼うならしつけるのが楽だから犬がいい、といったのだが、前の家のお隣さんが、生まれたばかりのふわふわの毛玉のようなミイを連れて来てしまい、ミイは娘の魂をわしづかみにしたのだ。あれだけ娘に泣き喚かれて、抵抗できる父親が世の中にいるだろうか?

だが、最近、娘もミイも、相手に出来ていない。残業と、休日出勤が続いている。

 そんなことを考えていると、エレベーターがやってきた。まずは、250階まで降る。250階で、高速エレベーターに乗り換え、地下2Fの地下鉄駅まで行く。

確かに、アークタワーと駅は同じ敷地内にあって徒歩0分だから、広告は嘘ではないし、法律にも違反していないのだろうが、だからといって渋谷まで実際に44分で到着するわけではない……と朝に弱い渡辺の思考は、循環を始めていた。

 ぼんやりとした頭痛が取れない。昨日も、終電だった。睡眠時間が足りないのだろう。


 渡辺の職場は渋谷。システムインテグレーター企業の営業職である。システムインテグレーターの花形はなんと言ってもSE職ではあるが、企業である以上、営業職というのはどうしても必要なのだ。渡辺は持てる能力を存分に発揮し、それを上回る努力により成績を上げ、それなりの年収を得る立場になった。そして、なけなしの貯蓄と、将来得るであろう所得を賭けて、アークタワーの258階306号室を手に入れたのだ。

 200平米の家を横浜市内の駅から徒歩0分で……となれば、今世紀初頭の条件ではとても30代で手に入れられるものではない。だが、アークタワーの驚異的な規模は、莫大な居住空間を生み出した。その建築計画が発表されたとき、反対運動が大変な盛り上がりを見せたものだ。もちろん、日光権やビル風の問題を真摯に取り上げようとした住民もいたが、どちらかというと影響の大きさに恐れをなした付近の不動産業者が反対派の多数を占めた。そして、そんな金目当ての連中は、結局金で追い払われる運命だった。

 かくして、渡辺は、38歳にして、一世代前には考えられない、占有面積、セキュリティ、自動化された台所やブロードバンド他の設備を誇る我が家を持つにいたったのである。連日の終電までの仕事くらい仕方がない。誰もがうらやむ最先端マンションの住民となったのだから。


 さて、まずは、250階へ降りた。次の、高速エレベーターへ乗り換える。最大分速2000m、1分でこのアークタワー1階から400階まで駆け上がることが出来る、世界最速のエレベーターである。

250階のエレベーターホールは、住民であふれかえっている。最初に来たエレベーターにはとても乗れない。次も無理そうだ。イライラとケータイで時間を確認する。頭痛が治まらない。

 三番目のエレベーターに乗り込んだ。だからといって1分で地下駅までいけるわけではない。当たり前だ。エレベーターたるもの、途中でリクエストがあったフロアに止まらなくてはならないからだ。高速エレベーターが止まるフロアは10で割り切れるところだけ。それも、300階以上にしか止まらないもの、290階から200階にしかとまらないものに分けてある。だが、朝のラッシュ時には、必ず10階ごとに止まる状態になる。渡辺は、まだいいほうだ。290階から、299階の住民は、9回停車をしなくてはならない。

 高速エレベーターに乗り込む。まず、エレベーターというものへの先入観を改めてもらわなければならない。100人が乗り込める大型な物だ。壁際には、椅子が設けてあるし、中央部にはいくつも床から天井にポールが立っていて、つかまれるようになっている。

 下に向かうときは、一瞬体が軽くなる。だいぶ若い頃に比べて太ってしまった渡辺ではあるが、うれしくもなんともない。その直後に、また重くなる。それも、一気に、いつもの1.5倍まで。ずきり。頭痛が一瞬激しくなった。

 これには慣れが必要だ。分譲直後は、エレベーターで転倒する者が続出した。だが、最近は、そうでもない。

 ちなみに、老人や体力のないもの向けに、低速で、全フロア止まるエレベーターもある。これに乗ると、1階から400階まで、約30分の旅が楽しめる。渡辺は一回乗っただけで飽きてしまった。

 5回、加速と減速に耐えた。そして、200階から、1階へ。一気に、降りる。ここは、さらに注意が必要だ。例えば、書類の束を抱えていたとすると、一番上に乗ったコピー用紙は、うっかりすると、浮かび上がってしまう。


 いつもの通り、少し気分が悪くなりながら、渡辺は駅に降り立った。頭痛も治まらない。電車はいい。移動が横方向だからだ。縦方向への高速移動は、人体に何か影響があるのではなかろうか。ぶつぶつぼやきながら、みなとみらい線で横浜に向かった。


「渡辺さん、Y物産の案件、受注おめでとうございます」

 課の、業務を担当してもらっている田中という女の子から、言われた。

「ああ、そうだね、全部で2億くらいの案件だな」

「遠藤部長が、今夜、祝杯いかがですかって」

 うれしくないわけはない。別のプロジェクトも進行しているが、今日は久々に飲もうか。共働きの妻にメールを入れてわびておく。

 すぐ返事が返ってきた。――断れないの? どうみたって、あなた疲れすぎよ。早く帰ってきたら?

 だが、渡辺は返事をしなかった。


 遠藤は、ちょっと飲むと、用事があるといって帰ってしまった。田中とのサシである。下心は、ない。妻との生活に、満足している。それでも、若い女の子と飲むと、どうしても饒舌になり、酒も過ぎてしまう渡辺である。


 どこをどう帰ったものか、渡辺は後で思い出せなかった。ケータイが、電車の定期とアークタワー居住フロア行きエレベーターへのセキュリティキーをかねている。後で履歴を見た範囲ではいつもの通勤経路を、酔っ払って意識がないままに帰ったらしい。

 だが、渡辺は、最後に、エレベーターを誤った。居住フロア行きではなく、レストラン街に直行するエレベーターに乗り込んだのだ。390階までノンストップで行く。「神々の視界」という宣伝文句を裏切らない、誰もが見た瞬間にため息をつく夜景を臨むことが出来る。フランス料理店の中には、窓際の席が三ヵ月後まで予約で埋まっているところもあるという。

 昇りは混んでいない時間帯になっていた。意識のないまま、渡辺は、エレベーターの壁際の座席に腰を下ろしたらしい。

 レストラン街行きのエレベーターは、客のリクエストを待たずに、自動で往復運転している。

 上昇は、8m毎秒。本来の重力とあわせて、ほぼ2Gが30秒かかる。その後、減速して、390階から400階まで各階停車。今度は400階から390階まで各階停車して、一気に1階まで。

 2G、半自由落下。2G、半自由落下。10回繰り返したところで、渡辺の、働きすぎのストレスと不規則な食生活で固くなった脳の毛細血管のひとつが、切れた。


――エレベーターの加速が早すぎるのが、問題だとしても、エレベーターを遅くする以外は、打つ手はない。第二期工事を待たないと。クォークスピン効果の実用化は、あと20年はかかる。

――エレベーターを遅くするわけには行かない。すでに、朝夕のラッシュは住民の不満を並べ立てている。

――計画がうまく進めば、このビルの中に職場が出来てくる。ラッシュは緩和できるはずだ。

――いつのことか。クォークスピンの方が早いかもしれない。しかたない、エレベーターには全部監視カメラが設置してあるんだから、僕らが見張って、様子のおかしい住民がいたらアラートを流す。バイオセンサーの設置も検討しないと。

――やれやれ、めんどうくさいことだ。

――こんな建物他にないんだから、試行錯誤の繰り返しだ。仕方ないと思うけど?

――それで、例の男性は、どうする。

――システムインテグレーター会社を35階に誘致した。彼が勤めていた会社の競合相手だが、コンプライアンス重視、サービス残業なし。よっぽどいい会社だ。契約には、このビル内の人間の雇用による家賃の割引条項が入れてあるから、問題ないと思う。

――すばやいな、アベル。

――カインと違ってね。


 意識を取り戻して、最初に妻からかけられた言葉がこうだ。167階の病院の集中治療室である。

「だから、働き過ぎだって言ったのに。あたしをほったらかしにした罰よ」

 文字にするとひどい言い草だが、涙を流されながら言われると、そうでもない。渡辺は、心配をかけたね、と声に出して返事をしようとしたが、みっともないうめき声が出ただけだった。

 

 リハビリには、3ヶ月を要した。妻も仕事を休職し、渡辺の回復に努めた。なんと充実した3ヶ月だったことか。妻の顔を見、娘とミイと遊んでやる。渡辺はメキメキと回復し、その生活の中で、妻の発言力は増していった。

幸いにして、渡辺には特に後遺症も残らなかった。復職しようとしたが、妻に止められた。

「給料が下がったっていいじゃない。あんな仕事じゃ、また倒れるわ」

「38で転職か。何かいい仕事あるかい?」

「それがね!」

 妻は、マンションの管理組合のメールアドレスから、夫の転職を促すメール――それも、まさしくぴったり今の職歴を活かせる代物だ――が来たことを、疑わしく思うようなタイプではなかった。そして、渡辺は、今は、妻の言うことを何でも聞く気分だった。


――一世帯のために、あんなに工数をかける必要があったかな、カイン。

――アベルが自分でやったことだろう。だが、住民の満足度を高めることは、重要だ。そして、住民がビルの中で雇用されることにより、ほんの一歩とはいえ、アルコロジーに近づいたのだから、意義はある。<約束の時>まで、160年あるが、こういった努力が欠かせないのではないかと思う。

――相変わらずクチばかりだな。

――そういうな、アベル。

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