第三話 四十パーセントの激闘
関東区総合霊園。
街の中心部から少し離れた場所に位置するそこは、丘のように少し高い土地にある。
住居区画から離れているため緑も多く、その高い場所に位置する土地柄のため穏やかな風が吹くそこは、命を終えた者たちを今日も優しく眠りに付かせている。
霊園の入り口には、一つの巨大な石碑があった。
縦が二メートル、横は十五メートルを超えるその石碑は、奥のほうにある各家の墓石よりも少し真新しい感じがする。
石碑には『再世暦九八七年 関東機関大神災慰霊碑』と大きく刻まれていた。さらにその文の隣には、優に千は越えるほどの人名が刻まれている。
そしてその石碑の前に、少女は立っていた。目を瞑って両手を合わせ、ただ無心で拝んでいた。その透き通るほどの銀髪の短い髪が揺れ、彼女の甘い香りが、風の中へ溶けていった。
やがて目を開けると、脇に置いてあった水桶とコロッケの入った袋を持ち、奥の墓標が立ち並ぶ区画へと入っていく。中は非常に広いので、時折通路にある案内板を見ながら、少女は目的の場所まで歩いていく。
そして角を曲がり、目的の墓標が見えたところで、一人のある人物を見つけた。
日系特有の黒髪を後ろで二つに束ねた少女がいた。その左眼には髪の色と同じように黒い眼帯が付けられ、しゃがみながら一つの墓標を拝んでいる。それはちょうど、少女が目的としていた墓標だった。
丁度眼帯がついていて死角である左側に少女がいるためか、またはよほど真剣に拝んでいるのか、眼帯少女は少女の方には気付かない。
一方少女の方は、少し驚いたように一歩近づき、恐る恐る眼帯少女に声をかける。
「もしかして、真白?」
その声に、真白と呼ばれた眼帯少女は拝むのをやめ、少女の方に顔を向ける。こちらも驚いた顔になり、ゆっくりと立ち上がる。
「ルナ・・・? ・・・ルナだぁ!」
すると真白は少女、ルナの下へと走って行き、思い切り抱きついた。
「ルナだルナだルナだぁ! やっと会えた! 十三年ぶりだね!」
まくし立てるように言葉を続ける真白に、ルナは困ったような笑みを浮かべる。
「そうだね、十三年ぶりだね。分かったから少し離れて」
さっきから顔をグリグリと胸に擦り付けられ、さすがに同性であっても恥ずかしいため引き離す。真白は満足したりないような顔をしていたが、やがて興奮が収まったのかおとなしくなった。
「本当、やっと会えた。もう会えないのかと思ってたけど・・・」
「私も。こんなところで会うとは思ってなかったからびっくりしちゃった。元気だった?」
「元気だよ元気! あれから友達もいっぱい出来て、今じゃもういろんな話したりするんだ!」
「へぇ、どんなの?」
「んーっとね、女性週刊誌に載ってるセックス体験談ってあれ本当なのか―――――」
「他にはどんな話するの?」
「他にはねぇ、電子系の強い子にエロゲーのモザイクの除去方法とか―――――」
「それにしても大きくなったね」
これ以上は聞いてはいけない気がしたため、ルナは早々に話を切り上げた。いったい十三年間の間にこの子に何があったのか、少し不安になった。
「うん! ルナは全然変わんないね!」
「私はね。いま、いくつになったんだっけ?」
「今年で十八!」
「そっか。じゃあ私の歳、追い抜いちゃったんだ」
そう言って、ルナは視線を真白の後ろ、最初の目的であった墓標に向けた。その視線に気付き、真白も道を譲るように少し下がる。
「参っていってよ」
「うん・・・」
ルナは水桶の水を柄杓ですくって墓石にかけ、墓前に持っていたコロッケの袋を供えて眼を閉じ、手を合わせる。真白もさっき水をかけていたのか、ルナがかけた分で墓の周りが少し水浸しになった。
「彼は元気?」
やがて眼を開けると、ルナは真白にそう訊いた。
「うん、元気だよ。今も学校で授業受けてるんじゃないのかな?」
「えっ? あなたはなんでここに?」
「今日たまたま寝坊しちゃって。っで、どうせ学校遅れるなら、久しぶりに顔出してあげようかな、って思ってさ」
真白はばつが悪そうに笑みを作っている。そっか、と言って、ルナは立ち上がった。
「おい真白。こんなところで何やってる」
不意に聞こえてきた声に、二人はそちらを向いた。
そこに立っていたのは、水桶を携えた壮年の男だった。
歳は四十代後半から五十代前半ほどだが、その髪はほとんどが白髪になり、そこに黒髪がおまけのように混じっているだけで、それをオールバック気味にまとめている。着ている服が立派な作りの紋付袴であるところを見るに高い身分にいるものなのだろうが、どこか着崩しているようなその風貌がどこか高貴さを感じさせない。逆にとっつきやすそうな軽い感じがした。
「裁牙のおっちゃん!」
自分を呼んだ真白を男、裁牙は呆れたような顔で見る。
「お前な、俺のことは理事長って呼べって言ってるだろ」
「今学校じゃないんだからいいじゃん。固いこと言いっこ無し!」
「そうか。じゃあなんで本来学校があって俺を理事長と呼ばなけりゃならない時間帯にお前はこんなところにいるんだ? 納得のいく説明してみろ」
「それは・・・その・・・・・・」
言いよどんだ真白は裁牙から目を背け、どこか遠いところを見ている。
この男、裁牙は真白の通う学園の理事長である。そして何を隠そうこう見えて、この関東の管理者でもある男だ。
その裁牙が、真白の後ろにいるルナに気付いた。
「お前さんは・・・!」
「・・・ご無沙汰しています」
眼を見開いた裁牙に、ルナは深く頭を下げて挨拶をした。
「こいつは驚いた。十二年前、いや十三年前か。こいつらが世話になったな」
「いえ、こちらこそ」
「ええ、と―――――」
「ルナ。ルナだよ」
「ああ、そうだった。すまねぇすまねぇ。なんせあの時一度っきりだったし、お前さん自分じゃ名乗らずに行っちまうからよ。ろくな礼も出来ずに、すまなかったな」
「いえ、そんな。こちらこそ、あの時はろくに挨拶もせずにすみませんでした」
ルナはもう一度深々と頭を下げた。そういえば、と思い出したように裁牙は真白のほうに向き、
「話は変わるが、真白。お前本当になんでこんな時間にここにいる」
「あー! そういえばルナ、お兄ちゃんに会いたいよね? 会いたいよね!? 裁牙のおっちゃん、お兄ちゃんどこにいるか知らない?」
「どこって、学園に決まってんだろ。さっき出てくる前にキヨちゃんから直々に体育を戦育の授業にしたいって申請があったから、多分街の外の学園領区画じゃねぇか?」
「あー・・・喜世子センセまた振られたんだ。あの人大抵振られたとき意外はそんなんしないからな・・・」
「でだ真白、お前は何で―――――」
「さあ、行こうルナ! レッツゴー、マイ・ブラザーのところへ!」
真白はルナの手を強引に掴むと、そのまま走って行ってしまった。
霊園を出て行く二人の少女の背中を見ながら、ボリボリと頭をかきながら言う。
「ったく。どうせ寝坊でもしたんだろ、あのじゃじゃ馬娘め」
やがてその姿が見えなくなると、裁牙は墓標に向き直り、持っていた水桶の水を柄杓でかけてやる。しかしすでに間髪入れずに二人分の水がかけられていたため、墓石を伝って地面に落ちた水は水溜りになり、彼の草履と足袋を濡らす。
「ぅあっと!? なんだよ、ったく・・・」
少しブルーな気持ちになりながら、ズリズリと足を地面に擦り合わせて水気を落とし、裁牙はしゃがみこんで手を合わせた。
真白にも、そして彼女の兄にも言っていないことだが、こうしてこの墓を参るのは彼の十三年前からの日課となっていた。
「姉さん、義兄さん。あんた達の子供は本当に手がかかるよ」
そう言って、まるで本人達に向けるように、彼は何も言わない墓石に向かって笑みを作った。
その墓にはこう刻まれていた。
『神凪家之墓』と。
森エリアB-5。現在時刻十時五九分。
授業開始から約二時間三十分。リミットの十二時三十分までにはあと一時間ほどあったが、授業はいよいよ大詰めになってきていた。
丁度木々が密集しておらず、空が開けた空間に喜世子は訪れた。周りの木もさほど多くないから見晴らしが非常にいい。だが逆にそれは、こちらのことも向こうには見えていることをあらわしていた。
「さーって、仕掛けるならここよ。いい加減、隠れてないで出てきなさい!」
喜世子が声を張り上げた瞬間、彼女の左右の茂みから人影が飛び出してきた。いや、飛び出すなどというぬるい表現ではない。茂みを吹き飛ばして二つの影が飛び出してきた。
右から攻めるのは二振りの刀剣の形をした武装・『フタツトモエ』を構えた羽撃。左から攻めるのは日本刀型の武装・『ミカギリ』を携えたマキだ。
「なるほど、一斉攻撃はまだしないのね―――」
喜世子は周りの気配に気を配りながらディバイブ・コンダクターを背中から降ろす。
「行きます!」
「ッ!!」
二人の少女の剣戟が喜世子に向かって放たれる。羽撃は体に両腕を回し、そこから放つ二刀による同時攻撃。マキはギリギリまで鞘に刀を収め、自身の射程に入った時点で抜刀を開始する。
喜世子はディバイブ・コンダクターで羽撃の攻撃を受ける。鋏のように両端から迫る攻撃を真ん中に異物を挟む形で止めたが、羽撃はむしろそれを読んでいたのか、思い切り力をいれ、ディバイブ・コンダクターを完全に止めた。
押し切ることも引くことも出来ない喜世子に、マキが刀を抜き放って、一撃を加えようとする。
「まだよっ!」
完全に抜刀しきる前、喜世子は脚を思い切り伸ばし、あろうことか自らマキの射程の中深くに飛び込み、抜かれようとする刀の柄頭に思い切り蹴りを入れ、攻撃を発動前に食い止めた。
「ッ!?」
「そんな!?」
マキと羽撃が同時に驚愕する。
喜世子はその動揺の瞬間、力が緩んだ羽撃の武装を思い切り押し切り、体を捻って向きを変え、マキへと向かって振りかぶる。
マキはとっさに防御しようとしたが、半分ほど抜き放ったときに鋭い蹴りと正面衝突したため、壁にボールを当てるように跳ね返って刀が鞘へと逆戻りしていたため反応が遅れる。
しかしとっさに切り返すことは考えず、とにかく防御に専念するため、マキは鞘を握った左手を前に突き出し、鞘に収めたままの刀でそれを受ける。
「やるじゃない!」
「やりますね。先生も!」
鍔迫り合いの状態になった喜世子に向かい、羽撃は後方から攻撃に入る。
すぐにこの状態を解こうとした喜世子だが、それをさせまいとマキがディバイブ・コンダクターを右手でしっかりと掴んでいた。鞘に収めたままだったのがここに来て弊害になった。完全に武器を封じられてしまい、防御が出来ない。
しかし喜世子は慌てない。出来ないならば出来ないなりに出来ることをやるのが彼女の信念であり、今の彼女を作り上げたものだ。
羽撃の刀剣が振り下ろされる。喜世子は片足を上げると刀剣の腹を思い切り蹴って軌道を反らす。どれほどの強さで蹴ったのか、使い手の羽撃が蹴られた方向に若干体勢を崩したが、すぐに逆に持っていたもう一振りが迫る。しかしそれも同じように刀剣の腹を蹴って反らされる。そしてその反動で帰ってきた脚を、円運動を利用して力を込め、向き合っているマキに思い切り叩き込む。
「ぐむっ!?」
蹴りはマキの脇腹に深くめり込む。鉄鋼機構を展開しているはずなのに脇腹に鈍い痛みが走る。鉄鋼機構は基本的に五回は重度の損傷を負う可能性のある攻撃を防げる作りになっている筈なのだが、今の攻撃での損傷度合いを見るに、どうやら今の蹴りはその一回分相当の威力があったらしい。いったい目の前のこの女はどれ程強いのかとマキは呆れてしまう。
そんなことを思っていると、もう一撃を放とうとしてきたため、やむを得ず握っていた鞘を離し距離をとる。蹴りは空振りだったが、金属の棒でも振るったかのような鋭さと重たげな風切り音が、本人が意識せずとも威嚇になっていた。
一旦距離を置かれたが、二人はそれでもかまわず突っ込む。喜世子は今度は冷静に、羽撃の剣閃を受け、マキの高速の居合いを体勢を低くして避けた。
するとマキは左手に持っていた鞘を上に振り上げて殴打しにかかる。それを喜世子は空いていた左腕で難なく掴んだ。
それを見て二人の少女は口元を綻ばせる。それに気付き、何事かと警戒を強くする喜世子。リョーヘイの遠距離からの砲撃かと思ったが、その理由はすぐに分かった。
自分の丁度目の前に見える木が、さっきより近くに見える。いや、今も近づいてきている。
よく見ると木の根元が土煙を上げながらどんどんこちらに近づいてくる。逃げようとするが、両端から武器を、腕を取られてしまう。今この状態では逃げることが出来ない。
「ハァッ!!」
次の瞬間、掛け声と共に充分な距離まで近づいてきていた木の根元が土を巻き上げて跳ね上がる。それが木の根元を蹴り上げたことにより起こったことだと喜世子が気付いたのは、打ち上げられた木の根元部分が身体に直撃し、吹き飛んだときだった。
「げへっ!!」
直撃した腹部を押さえながらも何とか受身を取り、体勢を立て直す。自分を吹き飛ばした木の陰にいたのは、小柄な身体をした金髪の少女、アンナ=リーベンスだった。
「アンナか・・・。まさかそんな形の奇襲とは思ってなかったわ。先生ビックリ」
「どうもですわ、先生」
アンナは一礼すると、すぐに意識を戦いに切り替え構えを取る。その手にはすでに籠手型武装『ゼン』が装着されている。
この少女、元EC連合の貴族だった祖父母を持つため、この典型的なお嬢様言葉が普通なのだ。
三人の生徒に囲まれながら、喜世子は鉄鋼機構の損傷度合いを見る。急所に分類される腹部にもらったため、損傷度合いは二十パーセント。残り四発分となっている。
それを見て、喜世子の目が少し細くなった。
「ちょーっちヤバイかな。先生もう少し本気出しちゃってもいいかな? あと十五パーくらい」
「あら、それでいったい何パーセントになるのですの?」
「四十パーセント」
その半分にも満たない数字を聞いても、別段生徒達は憤慨しなかった。加算された分を引いても二十五パーセントと本来の四分の一程度だったことを、むしろ妥当な線だなと皆一様に納得する。
皆それぞれ自分の強さや能力に少なからず自信やプライドを持っている。だが、はっきり言って今の自分達の強さは喜世子に本気を出させるレベルのものでないことを熟知している。しかも言うならば、その強すぎる担任教師に初めて途中で強さの割り増しを使用させられたことを、生徒達は逆に誇らしく思っていた。
「では、わたくしたちもそれに答えられるよう、力を出し尽くしましょう!」
「そうだね。うん」
「……そう…だね……」
「あれ?」
今何かおかしなテンションの人物がいた気がする。
「い、行きますわよ!」
「行くよ。うん」
「…い…くぞ……」
「ちょっと羽撃さん! 何であなたそんなにテンション低いんですの!?」
アンナは隣でテンションが壊滅的に激減している羽撃に声を荒げる。
さっきまで威勢良く喜世子に向かっていた姿は今は見る影もなく、本当に同一人物かと思うほど元気がない。
「さっきまでの勢いはどうしたんですの!」
「…だって……」
「だって?」
「お腹すいたんだもん…」
「あなた攻撃に入る前にお弁当三つも食べてたでしょ! なんでもうお腹すくんですの!」
「だって…今日は急いでたから有り合わせのおかずしか入れてなかったし…戦育用のスタミナの付くもの入れてなかったのよ…」
「幕の内弁当にのり弁、山菜弁当まで食べてましたわよねあなた! しかも体育会系男子が愛用してるような底が深い弁当箱で!」
「それにしたってどうしてこんなに早くお腹が……」
「合流する前に…森羅から逃げるときにたくさん力使っちゃって……」
「あのクサレ変態!」
森羅のこともそうだが、アンナはこの暴食巫女の燃費の悪さに頭が痛くなるのを感じた。成績優秀、品行方正、性格もいいが、この異常な食欲と休み時間の早弁がどうにもいただけない。しかも三時間分の休み時間全てで早弁を平らげたあとの昼休みに五段の重箱弁当を一人で食べ切るのだから、本当に胃袋が異次元にでも繋がってるんじゃないかと思う。
数人を除いてこのクラスの面子は小学校時代からの付き合いで、アンナと羽撃もそのころからの付き合いだが、誕生会などのお呼ばれがあると、必ず次回から親が『たくさん食べていってね』という台詞を言わなくなったのは今でも憶えている。それだけ食べていながら出るところは出過ぎていて、引っ込むところは引っ込んでいるスタイルを維持しているのは同じ女性として本当に不思議でならない。
「他にお弁当ないんですの?」
「無理…あれお昼用……」
「もう! こんな大事なときに!」
「あー、もうとりあえず行くね」
そのやりとりに業を煮やしたのか、次の瞬間、一瞬で数十メートルの距離を詰めた喜世子の武装が衰弱している羽撃に向かって振るわれる。
速い、と思う暇も無い。アンナは防御に入ろうとするが間に合わない。当の本人の羽撃も武装が半分ほど振るわれて今やっと気付いたという風だった。
逆袈裟気味に脇腹を狙った一振り。頭を狙わないのは女性であるからという喜世子の優しさだ。一見甘さとも取れる行為だが、彼女達との実力差を鑑みれば当然といってもいい配慮だ。
しかしその一振りは一本の刀によって防がれる。アンナを挟んで二つ隣にいたマキが、いつの間にか羽撃の前に立っていた。刀はまだ鞘に納まったままだ。
「速いわね。相変わらず」
「負けます。棗には」
一撃で手が痺れるほどの打撃に顔色一つ変えず、マキは力任せに押し切って拮抗状態を解除する。そして素早く自分の腰まで刀を引き、居合いの構えを取った。
喜世子はマキの手を止めようとしてアンナに反撃を受けるのを避けるため、一旦地面を蹴って後ろに引く。
「『三畳断!』」
マキは一息に刀を抜き放ち、何もない空間に振るう。しかしその太刀筋の直線状にいた喜世子を斬撃が襲った。武装を防御に回していなかったら恐らく防御エネルギー大幅に削られていただろう。なにせ迷うことなく真っ直ぐ首を狙ってきたのだから。
三畳断。その名が示すとおり遠くにある物体を切る技である。それはマキの持つ達人級の剣術と、彼女の唯技によって始めて使用が可能となる。
斬撃の着弾を確認し、刀を鞘に納めたマキは追撃に出る。
踏み出した彼女の足裏に、突如として術式発動用の陣が展開される。そして術者の発動の意思を受け、陣はマキを高速で発射した。
射程圏内に入ったところで、マキは武装・ミカギリを抜き放つ。喜世子はそれを受け、鞘と刀で両手が塞がってがら空きなマキの腹部に向け蹴りを放つ。
するとマキの前方に先ほどよりも巨大な陣が現れ、彼女を元来た方向に跳ね返した。
マキの唯技、『受け容れざる者』は引き離す力、斥力を制御することが出来る力であり、先ほどの三畳断もその力を使い、斬撃を刀から引き離すことで発動する。このようなとっさの回避行動などにも使うことが出来る便利な力だ。
引き下がったマキを、今度は逆に喜世子が追う形になる。マキは牽制のために三畳断を放つが、喜世子は難なくそれらを受け流す。
そこで、マキと入れ替わる形でアンナが前へと出る。喜世子は丁度最後の斬撃を払ったところで僅かに隙が出来ている。このタイミングの取り方のうまさは感心するしかない。
アンナは喜世子に向かい手を突き出す。掌底しては遅いそれをとっさに武装で払おうとしたところで、喜世子はしまった、と思う。
アンナは自分に向けて振られた喜世子の腕とまったく同じ動きをしながら彼女の懐へともぐりこみ、その手を取ると一気に捻り上げる。
瞬間、自分より十センチ以上身長差のある喜世子の身体を真上に持ち上げてしまっていた。
アンナは幼少期より柔術を主体とした格闘技を身体に叩き込まれており、それらを用いて戦闘を行う。武装が籠手なのもそのためだ。さらにその怪力による強力な打撃技を持ち、『柔よく剛を制す』ではなく『柔と剛にて制す』というのが彼女の姿勢なのだ。
喜世子は空中に逆さまに持ち上げられたまま思考をめぐらせる。ここから恐らく地面に落とされることは容易に想像できる。そこからどうするかを空中にいる僅かな時間で懸命に考える。
だが、その考えは自分の背中に突如走った衝撃で全て無駄になる。
アンナは衝撃と同時に手を離し、喜世子はそのまま衝撃に流されて吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。それでも途中から強引に受身に持っていったのはさすがの一言に尽きる。
すぐに体勢を立て直すと、そこにはアンナとマキが同時に迫ってきていた。マキの剣戟を、アンナの手を払いながら、喜世子はある場所を凝視する。頭の中に叩き込んである地形が正しいならば、そこは少し高く盛り上がった形になっているはずだ。
「リョーヘイね……くっそ、すっかり忘れてたわ……」
ここにはいない、遠距離から自分を打ち抜いたリョーヘイの技量に感心しながらも、内心は少し悔しく思う。どこかで砲撃してくるとは思っていたが、まさか照準と威力の調整がずれればアンナをも巻き込んでしまう可能性のあるあんな状態からとはさすがに予想していなかった。よほどのチームワークと信頼がなければこんなことは出来ない。
今日は本当に嬉しい事だらけだと、喜世子は薄っすらと口元に笑みを作る。
するとその隙を突いて、アンナが喜世子の左手首を掴んだ。そのまま捻りを加えて投げようとする瞬間、喜世子は加えられたものとは真逆の方向に力をいれ、その動きを逆に封じる。
「くっ!」
アンナはすぐに別の手を加えようと手を離す。が、手を離して引こうとした途端、喜世子が今度は逆に捻りを加え、掴んでいるアンナを投げ飛ばそうとしてきた。
柔術は基本的に掴んで技をかけるものだが、それが達人級になると条件さえあっていればその逆に、掴んでいる相手に技をかけることが可能になる。
それが分かっているからこそ、アンナはとっさに握り返し、さっき喜世子がしたように逆方向に力を加えて動きを相殺する。それによって、離そうにも離せない完全に拮抗した状態に追い込まれてしまった。
傍から見ればただ手を掴んで動かないように見えるが、どちらかが動きを見せればすぐに投げられる、非常に高度な技の応酬が繰り広げられているのだ。
しかも喜世子はそれを行いながら逆の手でマキの相手をし、さらにそのままアンナをリョーヘイの射線に入れて盾代わりにしている。さらに言うならば、喜世子はこの技を今初めて使ったのだ。たった今受けたばかりの技の仕組みを一瞬で理解し、その対抗策をすぐにものにしてみせるのだから本当に強さの底が知れない。
しかしアンナも柔術だけなら喜世子以上の実力を持っている。マキへの対応で一瞬だけ出来た意識の隙を突き、その瞬間に手を離して体勢を立て直す。ここで深追いして技をかけることは得策ではないと分かっているからだ。その代わり、懐からあるものを取り出し、後ろを向いて羽撃に何かを投げた。
「羽撃さんっ!」
「え……?」
投げられたものは三つの飴玉と、細長いクッキーを柔らかくしたような携帯食料『熱量メイト』が一本。甘党のアンナが持っていた食料の全てだった。
それを見て、羽撃の眼に復活の灯火が宿る。
投げる前に全て封を切ってあったそれを、羽撃は素早く前進し、方向がそれぞれバラバラに投げられていたそれらを、あろうことか口だけで全てキャッチしてしまう。
ゴリゴリと飴玉を噛み潰し、水がなければ食べられない熱量メイトを難なく飲み込み、プハー、と一息。
それで、彼女の眼に再び闘志の火が戻る。
「行くわよーーーーー!!」
完全復活を果たし、羽撃は一息で喜世子の眼前まで肉薄した。
「やりましたわ!」
「三対・・・いえ、四対一ね」
武闘派女子三人の猛攻に、さすがの喜世子も押され始める。きちんと腰を据えて戦い合えるのならまだしも、遠距離からの狙撃に常に気を配っておかなくてはならないこの状況ではさすがに難しい。といっても、生徒達からすればまだまだ彼女は脅威であることに変わりはないのだが。
そうこうしている内にどんどんと押され始め、喜世子はたまらず体勢を立て直すために大きく距離をとる。それをさせまいと、三人はさらにそれを追い続ける。
「ちょっちヤバイかなぁー・・・」
これではジリ貧だと判断した喜世子は一旦引くしかないと、生徒達に背を向けて駆け出した。
「しっかし、一時はどうなることかと思ったけど、これで何とかなったな」
森エリアA-3で、リョーヘイは武装・『メメントモリ』を肩に担いで安堵の息を漏らす。
一時は羽撃が脱落するのではと内心ヒヤヒヤさせられたが、何とか持ち直し、今はエル君が脱落する前に残した作戦通りに事が運んでいる。
「さぁって、こっからは俺たちも前線に出るからな。頼むぜ、ルーちゃん」
リョーヘイは後ろを振り向いたが、そこにあったのは頭を抱えて岩陰に隠れている少女の尻だった。
「ルーちゃん…怖いのは分かるけど、もう腹括ろうぜ」
そう言って後ろで震えている若干男性恐怖症の女淫魔、ルーリィ=ネリオットに声をかける。
「で、でもでもでもぉ~…」
情けない声を上げながら、ルーリィは顔を上げて岩陰から顔を出す。脚の位置を変えるときにバルンッ! とその巨大な胸が大きく揺れる。Gはあるらしい。
ふわりとした緑のロングへアで、淫魔族特有の端整で美麗な顔立ちは、まだ成人していないため可愛らしい部類に入る造形をしている。
リョーヘイはハァ、と思い息を吐く。
「大丈夫だって。別に喜世子先生とガチでやり合えって訳じゃないんだから。そんなこと言うなら俺だって後方支援が主体だから前線出んの怖ぇんだぜ」
なんとか説得を試みるが、ルーリィはどうにも決心がつかないらしく『う~ん…』などの煮え切らない返事を返してくる。
そうこうしている内にリョーヘイの使倶、白蛇型の『シラバミ』が音声を発し、作戦開始が近いことを告げる。
「ルーちゃん、頼む! 俺たちにこれが成功するかどうかがかかってるんだ!」
手を顔の前に合わせて頭を下げてくるリョーヘイを見て、ルーリィはしばらく考え、やがて、恐る恐る首を縦に振る。
「分かった……」
「おっしゃ!」
ガッツポーズをしたあと、リョーヘイは急いでメメントモリを構え、スコープを展開してそれを覗き見る。
そこには、三人の追撃から必死に逃げる喜世子の姿が映っていた。
現在喜世子たちは森エリアB-6にて戦闘を行っていた。
正直、喜世子はすぐに距離が開いて体勢を立て直せるだろうとふんでいたのだが、思いのほか彼女達が追いすがりそれをさせてくれないため、
(これって…ヤバい……?)
と、少し焦りが見え始めてきていた。
そこへアンナの当て身が飛んできたため、慌てて避け、意識を戦闘に切り替えた。
このまま逃げ回っていても埒が明かないと、喜世子は思考をめぐらせる。このままあと一時間ちょっと逃げ切れば時間切れで彼女の勝ちになるのだが、それは全力で向かってくる生徒達に対して最低の侮辱だと端から考えていない。
そのため、次にある空間が開けたポイントで勝負を決めると決心した。
それはもうあと数十メートルの所まで迫ってきている。
(決めるっきゃないか)
そのとき、アンナの声が森に響いた。
「羽撃さんっ!」
「まかせて!」
「ッ!?」
見ると、羽撃はフタツトモエの柄同士を合わせ一つにする。それは一本の弓となる。エネルギー体で出来た弦を引き絞り、煌々と光る光の矢を生みすと、一気に発射した。
喜世子はディバイブ・コンダクターで防御したが威力が強く、そのまま後ろに弾かれてしまう。体勢は崩さなかったものの、吹き飛ばされている間もマキとアンナが追いすがってくるため気が気ではない。
羽撃はさらに弦を引き、複数の矢を生成して一息に放つ。それを弾き落としながら後退を続けると、目的地の開けたポイントに到着した。
ここで決着をつけようと構えようとした瞬間、突如として周りの地面から複数の筒状の装置が円を組む形で飛び出してきた。
これこそが、脱落前にエル君が棗に設置させていた最終兵器だった。
それらは起動するとドーム状の結界を作り、彼女達四人を閉じ込めてしまった。そして後退していた喜世子の背中が結界にぶつかってしまう。
まだ少し距離を取る気でいた喜世子にとっては迷惑この上ない完全な予想外だった。結界は思ったよりも狭く、四人で闘うには窮屈すぎるため、喜世子はすぐに結界を破壊しようと、結界の壁に向き直って武装を振るう。
そんな彼女の眼に飛び込んできたのは、さっきまで逆方向にいたはずのリョーヘイのメメントモリの砲弾だった。
白い光線が真っ直ぐ喜世子を狙って飛んでくる。喜世子はいつの間に逆方向に移動したのかということよりも、このまま結界を破ればそのまま返し手が出せない自分に直撃すると察知し、すぐに防御体勢を取る。
直後に、結界に砲弾は直撃した。
初めからあまり丈夫なものではなかったのか、結界はその一撃で崩壊する。しかしその時に生じた爆発で、喜世子は地面に叩きつけられた。
今度のは完全に予想外だったため、受身を取る暇も無い。ごろごろと地面を転がり、しばらくしてようやく止まる。
粉塵が立ち込める中、痛む身体を押さえて立ち上がる。
瞬間、背後から彼女の肩口に巨大な光刃が突きつけられた。巨大な砲身の下部から出現しているそれは、間違いなく近接戦時に展開されるリョーヘイのメメントモリのものである。
反撃しようとするが、前方からマキに首元に刀の切っ先が突きつけられ、さらにアンナに右手首を掴まれて捻られ、固められてしまう。
さらに粉塵が晴れた前方には、羽撃がフタツトモエに矢を番えてこちらを狙っていた。
完全に包囲され、誰がどう見てもチェックメイトに追い込まれていた。
「あららー……ヤバくね?」
「ヤバいんじゃなくて、終わりなんですよ、喜世子先生」
後ろから聞こえてきたリョーヘイの声に、喜世子は顔を向けることが出来ないため『そっか……』とだけ言っておく。
「で、ルーリィの『阻まれない歩み』であたしをここまで追い詰めたわけだ。すごいじゃない。ルーリィ、あんたもね」
さっきから感じていたもう一つの気配、ルーリィに向かい、喜世子は労いの言葉をかけてあげた。
リョーヘイの後ろに隠れていたルーリィは一瞬ビクリと飛び上がり、おずおずと顔を出す。
今までリョーヘイが一瞬で色々な場所から攻撃を行ってきたのは、クラスで補助系最強の異名を持つ彼女の唯技の一つ、空間跳躍能力・『阻まれない歩み』あってのことだった。
「あ、ありがとうございます……」
ボソボソと、少し照れくさそうにルーリィは礼を言った。
それを聞いて、さて、と喜世子は覚悟を決める。
「さあ、やっちゃいなさい。今回はあんた達は本当によくやったわ。私の負けね」
ハァ、と少し悔しそうに息を吐く彼女を見て、生徒達は嬉しそうに笑った。
ドゴーンッ!!
―――――途端、羽撃の頭上からオレンジ色の炎が降り注ぎ、彼女を吹き飛ばす。完全な不意打ちだったため防御する暇もなく、『きゃ―――――』という短い悲鳴だけが聞こえ、羽撃は脱落となった。
他の五人が何が起こったのか分からずポカンとしていると、さっきまで羽撃がいた場所に人影が降り立った。
両手に不可解な文字の描かれた手甲をはめ、黒色の短髪を風になびかせ降り立った人物は、
「「「「「森羅!!?」」」」」
「そうだよ、森羅だよ」
人影、神凪森羅はニヘラっと笑い、そう言った。
どうも!
ここ最近筆の早い作者です。自分でも驚いています。
やっぱり感想とかもらうと「ああ、頑張らなきゃ」って気持ちがわいてきますね。
ご意見ご感想ありましたらいつでもください。それだけ励みになります。
それでは、また次回。