第一話 この世界の歴史―いまはこんなですが、みんな元気です―
明るい。
少女が毎朝眠りから目を覚ましたときに思う最初の感想はそれだ。
『もう朝なのか』みたいな睡眠に対しての執着とか、夢の内容がどうだったとか、少女はそんなことは思わない。ただ目を開けて、今まで真っ暗だった視界に光が差し込むことに素直な感想を抱くというライフスタイルを十六年間続けている。
少女が寝ている場所は、どこかの森の中だ。
壁も屋根も無い。ただ周りに生い茂った木々があり、ちょうど彼女の真上はぽっかりと穴が開いたように開けて、上がり始めた太陽の光が降り注がれていた。
少女は上体だけを起こし伸びをする。背骨と肩の骨がコキコキと快活な音を鳴らすその感覚がたまらなく気持ちいい。
そして勢いよく立ち上がると、そのまま走り出す。
前方の木々の隙間を縫うように走っていくと、すぐに開けた空間に出た。
そこは切り立った崖。その眼下には、小さく見えるコンクリートの固まり、街が見える。別に街自体は今の時代にとっては都市レベルの大きさだが、その周りに群生する自然の規模があまりにも大きすぎて小さく見えるのだ。
少女の目線からは、緑色の中に一滴の灰色を垂らしたようにその町が見える。
少女はその街をしばらく眺め、そして、小さく口元に笑みを作った。
そして少女はその街に向け、切り立つ崖から飛び降りていった。
キーンコーンカーンコーン―――――
例に漏れずつまらない音のチャイムが鳴り響き、生徒達は雑談の続きをしながら席に着く。
「はーい、私語は慎みなさい。出席取るから黙れジャリ共」
いつの間にか教壇に立っていた後半口の悪い教師に生徒達は特に驚きもせず、言われたとおりに口をつぐむ。
「飯仲尾」
「はい」
出席は続けられていき、最後の一人を確認した後、教師は出席簿をパタンと閉じた。
「さあ、みんな。今日もいい天気ね」
どこにでもある普通の学校風景。
「というわけで、今日は皆さんに殺し合いをやってもらいます」
―――――ではなかった。
生徒はその言葉に特に驚きもしない。ただ冷ややかな空気を教師に対して発している。
「喜吉先生。いい加減実習日の朝っぱらからバトロワ宣言をするのはやめてください。『今日は』じゃなくて『今日も』ですよね。いい加減気が滅入ります」
そのうちの一人が挙手の後立ち上がって言った。しかし教師・喜吉喜世子は意に介さず、
「なーに言ってんの。この時代、学校でクソつまらない授業受けるよりもいかにして相手をぶっ殺せるかという技術を磨く方がよっぽど実用的なのよ。これはそのため気持ちを奮起させる言葉なの。分かる?棗」
「全然分かりませんが、これ以上聞いても無駄そうなので着席します」
棗は無表情に淡々と語り、再び着席した。すると彼の隣の席のちょんまげのように後ろ髪を結った男子、蝶薙アクエリアスが誰に言うでもなくポツリと、
「どうせまた男に振られたからだろ」
と言った。
一瞬、時間が止まったような錯覚を教室にいる全員が味わった。
ドカーンッ!!
そして、喜世子が教壇に盛大に頭を打ちつけた音で、その呪縛は解かれる。
「そーなんだよ、振られたんだよ・・・人生で99回目の失恋だよ・・・なんなんだよこれ・・・あたしゃ漫画のキャラかよ、笑えねぇんだよ・・・」
何やら怨嗟の声をブツブツと漏らしている。
「ねぇ!! あたしのなにが悪いの!!」
いきなり頭がグリンッ!と生徒達の方に向く。若干ホラーなその光景に、さすがの生徒達も少し引いた。
「今日のHLの内容は、先生の男に振られる原因となる悪い点は何かをみんなで考えるわよ!」
HLの私的利用を高らかに宣言し、喜世子はやっと上体を教壇から起こす。
「はい、後ろの席から!」
「酒癖が悪い」
「がさつ」
「生活力が無い」
「胸が小さい」
後ろの席の丁度真ん中の男子生徒、日向糸祢がそう言った瞬間、座っていた彼の腰にガッチリと腕が回される。そのまま一八〇度回転して後ろ側を向かされた。
糸祢が何かを言い終わる前に彼の身体が高速でブレ、そのまま教室の黒板に向かって放り投げられた。
ドゴーンッ!!
轟音が教室を超え、廊下にまで響き渡る。糸祢はそのまま地面に落下する。
彼が起き上がろうと身体を起こすと、その腰にまたガッチリと腕を回される。
「誰が―――――」
彼を黒板へと投げ飛ばした喜世子が、ニッコリと微笑んだまま熊でも逃げ出すようなドスの利いた声でそう言った。
「貧乳じゃガキャコラーーーーー!!」
そしてそのまま糸祢を後ろに向かって投げる。今度はホールドを外さず、喜世子の身体と共に綺麗なブリッジを描き、彼の頭は今度は教壇に叩きつけられた。
バリバリバリッ! ドゴーンッ!
喜世子が放った華麗なジャーマン・スープレックスで、教壇が真っ二つに割れ、脚をだらしなく開いた糸祢がぐったりとしていた。
「そして―――――」
まるでビデオの逆再生のように今までの軌跡を逆走した喜世子と糸祢。喜世子はもう力の入らない糸祢に何のためらいも無く再びジャーマンをかける。
「ドーンッ!!」
ドーンッ!!
一発目と同じ投げっ放しのジャーマンにより、糸祢の身体は教室の後ろの壁に高速で叩きつけられた。そのまま地面にドタンッと倒れると、ピクリとも動かなくなった。
そんな彼を、教室の生徒全員は敬礼をしながら見送ってやった。
頭部で華麗なブリッジを描いていた喜世子は体勢を元に戻し、生徒達の方に向き直る。
「ふうー。先生スッキリ!」
ピッカピカの笑顔でそう言った。そのことに、生徒全員がツッコまなかった。
「さて、冗談はさておき―――――」
生徒に対して三連続ジャーマン・スープレックスを決めたことを『冗談』と流すが、もちろん生徒は全員ツッコまない。
「今日は一時間目から四時間目までは体育の『戦育』よ。鉄鋼機構を起動した後校庭に集合。いいわね」
そこで初めて、生徒達から『ええ~~!』というツッコミが入った。
「うっさーい! 黙れクソジャリ共!」
教壇が無いため自分の後ろにある黒板をバンッ! と叩いて生徒達を黙らせる喜世子。
「学園の方針に文句言うな! 分かったらさっさと校庭に行く! 行かなきゃ一人ずつジャーマンで窓から送り出すわよ!」
言われて、生徒達は文句を垂らしながら教室を出て行く。動かない糸祢はクラスで一番小柄でクラスで一番の怪力を誇るアンナ=リーベンスの肩に担がれ運ばれていった。
しかし教室には一人だけ生徒が残っていた。
豪快に机に突っ伏しながら、グーグーといびきを立てている。顔の下にある机にはよだれで水溜りが出来ていた。さらに手にはエロ本を持っているなど、もうやりたい放題だ。
喜世子はこめかみに血管を浮かび上がらせ、学校一の問題児の机の前にまで歩いていく。
そして、腹の底まで大きく息を吸うと、それを声にして盛大に吐き出した。
「起きなさい! 神凪森羅!!」
呼ばれた男子生徒、シンラはビクリッ! と身体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
「・・・・・・ん?」
その顔は余すとこ無くよだれで汚れており、机との間に糸を引いている。
そしてその汚れきった顔で、森羅はニッコリと笑顔を作った。
「グッモーニン! 喜世子センセッ! あれあれ、何だかご機嫌斜めな顔だな。そうだ! そういう時はパンツ見せてください!」
寝起き早々ウザいくらいにテンションが高い森羅の態度に、喜世子のこめかみに血管が一つプラスされた。
「君ね・・・まず言わせてもらうと学校は居眠りをするところじゃないし私のご機嫌が斜めなのは君のその態度を見たからだしパンツを見せる気は無いし話の脈絡が無さ過ぎる。森羅、アンタいったい私の話どこまで聞いてた。もうみんな実習で校庭に―――――」
「先生・・・」
急に森羅が深刻な顔になったので、喜世子は口を閉じる。
そんな彼女に、森羅は持っていたエロ本をバッ! と広げて見せて、
「これ! よだれで写真濡っれ濡れでめっちゃくちゃエロくね!?」
パリーンッ!
校庭で雑談をしたりウォームアップをしている生徒達の目に飛び込んできたのは、三階の自分達の教室の窓を割り、おそらくジャーマン・スープレックスで投げ出されたのであろう森羅の姿だった。
少女は走る。
生い茂る木々を避け、その速さをまるで変えず、ただひたすらに、街に向かって一直進に。
走る。
その顔に笑みを刻み、ただ走った。
「はーい。全員集まったわね」
手をパンパンと叩きながら、喜世子は校庭に集まった全員の顔を見回す。
校庭と言っても、それはただの森の中だ。学園は一応国際機関であるため、土地を大量に保有しており、ここもそのうちの一つ。一般的な運動ではなく戦闘訓練を行うための実習場だ。
彼女は自分の専用武装『ディバイブ・コンダクター』を背負い直し、空中に電子画面を投影させる。
「今日の授業はこれ。単独での戦闘実習。ルールは簡単。ただお互いの本気を出して潰しあうだけ。全員ぶっ倒すまで四時間ぶっ通しです」
その言葉に再び生徒が『ええ~~』と声を上げる。
「なに、不服? そうねぇ・・・じゃあ、こうしましょう。今日は特別に先生が相手してあげる。ここでルール変更。先生をぶっ倒すか自分以外の全員をぶっ倒したら今日の授業は終わり。五時間目と六時間目も校長脅して無しにしてやるわ!」
その言葉に生徒達は『おお~~!』と歓喜の声を上げた。
「ただし!!」
と、その声に喜世子が割り込む。
「四時間経っても決着が付かなかった場合は、午後の授業で全員の名前を恋人っぽいアダ名で呼びます」
嗚咽を漏らすものもいるほどのその恐怖の罰ゲーム宣言に生徒達から大ブーイングが上がる。しかし喜世子はそれらを華麗に無視した。
「それじゃ、各自鉄鋼機構は展開したわね。リョーヘイ。マキ。あんた達は本気出したらダメだからね。はい、これ。模擬戦用の制御チップ」
そう言って喜世子は一八〇センチの大男、神楽リョーヘイと、地面に付くほどの長い黒髪の少女、マキ=シュナイテッドにチップを渡した。
「分ぁってますよ、センセッ。カードも五枚まででしょ」
リョーヘイは自分が背負っていた超長距離砲撃武装『メメントモリ』にチップを挿入する。マキも無言のまま、自分の近接戦闘刀剣武装『ミカギリ』にチップを挿入する。
それを確認してから、喜世子は首を押さえてあくびしている森羅に向かって、
「森羅、あんたも加減しなさいよ。最大でも『橙』までだからね」
「分かってるよ先生。分かったからパンツ下さい」
「もう一発ジャーマン喰らう?」
「ブラを貰えるなら喜んで!」
「畜生っ! 逃げ場が無い!」
森羅への説教は無駄なので諦め、喜世子は生徒達に向き直る。
「じゃ、分かってると思うけど一応言っとくね。鉄鋼機構は確かに強力だけど、人体の急所に合わせた部分は非常に防御は薄くなってるわ。だからそこを狙ったら比較的早く相手をぶっ倒せるわ。狙うべきは頭部、心臓、肝臓、股間。相手の命取る急所はこの四つね。あっ、でも女はタマ無いからな。そもそもタマって潰されてもタマが直接取れることはないし、タマを取るための部分にタマは入らないのかな? でも一応急所だしタマもタマ取るための部分に入れといたほうがいいのかな」
「先生。後半からタマがどちらを指しているのかまるで分かりません」
「あー、もう考えるの面倒くさい! さっさと散開! 一分後に開始よ!」
喜世子がヒステリック気味に叫んだため、全員が蜘蛛の子を散らすように森の中へと消えていった。
「さて・・・。どうすっかね」
実習が開始されてから三分。リョーヘイは森の中を当ても無くぶらぶらと散策していた。
ただ今彼がいる場所は『森エリアC-9』。スタート位置である『森エリアE-1』から六百メートルほど離れた地点だ。
授業終了条件が教師の喜世子一人倒すこととクラスのメンバーを倒すこと。普通に考えれば前者だが、それはかなり難しい。学園の教師の強さはまさしく人外レベルだ。下手をすればクラス全員を相手にする以上の労力を費やしても勝てるかどうかは怪しい。
だから彼は今、そのどちらとも言えない条件同志を天秤にかけていたところだった。
そこに、
「リョーヘイ・・・リョーヘイ・・・」
小声で誰かが自分の名前を呼んでいることに気付く。リョーヘイは警戒し、背負っていたメメントモリを構えた。
「待て待て。俺だ、俺」
「! 森羅」
そこにいたのはいつものヘラヘラした笑いを浮かべた森羅と、
「クラスのみんな・・・?」
その森羅の後ろには、他のクラスメイト十三名が大挙していた。
「どうしたんだぞろぞろと・・・」
リョーヘイはメメントモリを下ろし、森羅のほうに歩み寄っていく。
「いや何。手っ取り早く授業終わらせちゃおうと思ってね。早く帰って通販で買った同人誌読み漁って悶えまくりたいからさ」
「何か策があるのか・・・」
「簡単だっつの。人海戦術で攻め込めばいいわけだよ。いくら喜世子センセが強くても、俺ら十五人丸ごと相手にすんのなんか不可能にも程があるって。そっちの方がよっぽど賢明だと思わね?」
すらすらと、ヘラヘラ顔を崩さないまま真剣な話をする森羅。
その話にリョーヘイはふむ・・・と考え込む。しかしそれもすぐのことで、物の数秒立たないうちに、
「分かった。その話のった」
「だろー? そうこなくっちゃ!」
森羅はリョーヘイの肩をポンポンと叩き、そして他のメンバーに向き直った。
「ということで、クラス全員の協力は求められたわけだ。まあ、作戦なんて言ったけど、ぶっちゃけ詳しいこととか考えてないんで。ただ各々が全力で喜世子先生のおっぱいと下着を狙って突っ込んでいくっていう至極ストレートな作戦だ」
「本当に欲望にストレートな奴だなお前は」
「いやぁ、実に青春だねぇって感じだよ」
「教師の下着と身体が目的の青春なんて御免こうむるね。まあ後半はともかく、各々全力でってのは気に入った。そういうやり方は嫌いじゃねぇ。いくぜ、みんな」
リョーヘイの言葉に『おお!!』と全員が返事を返し、前進していく。
号令をかけたリョーヘイを先頭に進んでいったため、森羅は最後尾に付いていく。
森羅はヘラヘラしたまま、両手の拳を胸の前で合わせた。
その手には奇妙な文字が描かれた手甲と、同じく奇妙な文字が描かれた包帯が手首から肘までを覆っている。
森羅は胸の前に合わせた拳を上下に強く擦り合わせると、手甲の部分がカッカッ! と快活な音を響かせる。
それを合図にしたように、彼の手甲と包帯の文字が赤い光を発する。
次の瞬間にはそれは光ではなく、燃え盛る赤い炎へと変貌していた。
ヘラヘラ顔をニヤーと歪ませると、森羅は大きく炎を纏った拳を振り上げ、
「赤炎!!」
ドゴーンッ!!
自分の前方のクラスメイト達のいる地面に向かって思い切り叩きつけた。
何のためらいも無く。
轟音が鳴り響き、爆煙が視界を覆う。
しばらくは微動だにしていなかったが、微かに聞こえるキィィィィン・・・という高い音と同時に、森羅の前方の煙を吹き飛ばし、白い閃光が飛来してきた。
彼はその光を炎を纏った拳で思い切り横合いから殴りつけると、光は方向を変え、森羅の隣を通り過ぎて彼の遥か後方に着弾する。
その衝撃で、あたり一面を覆っていた煙が晴れる。
辺りは森羅を中心に半径二十メートルの木々は台風の直撃を喰らったように薙ぎ倒され、発生源である森羅も周りのものは焼け焦げていた。
そしてその薙ぎ倒された木々の中に、彼に向かって白い閃光を放ったリョーヘイが立っていた。その手にはメメントモリが砲撃モードで展開されている。その砲身から、白い煙がゆらゆらと上がっていた。
そしてそのリョーヘイを中心に、クラスメイト十三人が立ち塞がるようにして立っていた。その手には全員、武装を展開している。
「あっちゃー。いい作戦だと思ったのになぁー」
森羅は頭をかきながら残念そうに呟く。
「バーカ。お前の考えてることなんかすぐに分かったよ」
リョーヘイは明るくそういうが、目は少しも笑っていない、完全に戦闘にスイッチが切り替わってしまっている。
「まずお前が先生相手と戦って勝つなんていう面倒くさいことするわけねぇし、人海戦術なんて泥臭くて面倒くさいことをするわけがねぇ。だったら俺たちを集めて一網打尽にする。この作戦が一番面倒くさくねぇ。だからお前はこうすると思ったよ」
「あらら。ずいぶんひねくれ者だと思われてんのね、俺」
「安心しろ。ある意味では信頼してるんだ。嫌われ者って訳じゃない」
ニッ、と唇を歪める森羅に倣って、リョーヘイも唇を歪める。
そして、
「逃げろーーーーー!!」
リョーヘイのその一言で、クラスの全員が一目散に逃げ出した。
「あ、おい! 行っちゃうのかよ!?」
すでに構えを解いて全神経を走ることに使っているリョーヘイに向かって声をかける。
「当たり前だ。お前とやりあうんじゃ、俺たちはハンデがでかすぎる! 協力できないんなら戦わず逃げるだけだ!」
そう言うと、もうリョーヘイどころかクラスの全員の姿は見えなくなっていた。
『心配すんな。俺たちだけでも何とかやってやるよー!』
という声が最後に聞こえた後、全ての気配が消え、そこには森羅だけがポツンと立っているだけだった。
「・・・あーあ」
森羅は両手に付けた魔道具『コウテン』をカチカチと鳴らして、その場にへたり込むようにしゃがんだ。
「なんだよ・・・俺だけハブかよ・・・」
一人でブチブチと文句を垂れていた森羅はしばらく地面におっぱいの絵を描いていたが、それを一〇八個―――所要時間七十秒―――描いたところで、スクッと立ち上がり、
「よーし! 先生も含めて、今日はクラスの女子全員の下着を取ろう!」
一人馬鹿な宣言をした後、みんなを追って走り出した。
「良かった? あれで」
森羅を振り切った後、マキはたまたま逃げた『森エリアA-3』で合流したリョーヘイに質問した。
彼女の一般会話は、大抵このおかしな倒置法で行われる。
「ん? ああ。あいつはああ見えて寂しがりやだからな。ハブにしたと思わせられりゃ、自分から仲間になりに来るさ。さすがに先生相手に俺たちだけじゃ戦力的に足りなさ過ぎる」
「してくれなかったら? 協力」
「そんときゃ―――――まっ、俺たちが何とかすりゃいいさ」
「リョーヘイ。そうだね」
「返しなさい! この卑怯者!」
「なんとでも言え! 俺にはやり遂げなければならないことがあるんだ!」
『森エリアH-2』に、十百千羽撃と森羅の声が響いた。
「羽撃。最後通牒だ。これを台無しにされたくなけりゃ、おとなしく今つけている下着を差し出せ。おっと! 時間をかけちゃダメだぜ。脱ぎたてホヤホヤじゃなけりゃな」
「そんなの嫌に決まってるでしょうが!」
羽撃は着ている巫女装束の長い袖とともに腕をぶんぶん振って、拒絶の意思を必死に表している。
「大体、なんで下着なんか取るのよ。あんたの変態に付き合ってるほど暇じゃないの。いまエル君から連絡入って、先生のとこに行かなきゃいけないのに」
「俺の行動が変態だと!? 馬鹿を言うな! 俺の行動は生物の雄にとっては至極当然のこと! 女子のパンツを被るのは雄として生まれたからには必ず通らなきゃならない道なんだよ! それを否定する貴様こそ変態だ!」
「なんでよ!」
「変態とは人とは違う性的趣向を持っていることだ。だったら男としてのこの性への探究心が理解できん貴様は変態―――――まてよ。男にしか理解できないなら、つまりは男から見れば女は全員変態・・・!? だとしたら女から見た男もまた変態・・・!!? やったー!! みんな変態だーー!! 世の中変態だーーー!! 変態の楽園だーーー!!」
「ダメだっ! 完全に頭に蛆が沸いてる状態だわ! エル君!? エル君!!」
羽撃は空中に電子画面を展開し、この戦闘で参謀を買って出たエル君こと、エル=エルに連絡を入れた。
『どうしたの、羽撃?』
「大変よ! いま森羅と接触したんだけど、あいつハブにされたときのショックで変なスイッチが入っちゃってるみたい!」
『変なスイッチ?』
「女子の全員の下着を取って被ったあと、それで自分の服を作ってパリコレに出すって!」
『何をどうすれば仲間外れにしただけでそんな考えに辿り着くの!? テンションの具合はどう? 出来るならその考えを正させて作戦に加わってもらわないと―――――』
「無理よ!」
『どうして? まさか、もう手出しできないほどのテンションに・・・!?』
「違うわ! 私の四つある早弁のうち、一番大好きな幕の内弁当を人質に取られてるの!!」
『自分で何とかして』
急に冷たくなったエルに、羽撃は慌てて、
「ま、待って!! わたしいったいどうすれば・・・」
『弁当と下着、どっち取られたい?』
「そんなもの天秤にかけられるわけ無いでしょ!!」
『健闘を祈る』
ブツッ!! と。そこで通信は乱暴に切られた。
「待って! 待ってエル君! この変態と片時でも二人きりだと思わせないで!」
何度か通信を試みるが、エルの方は完全に着信拒否状態だった。
「さあ、どうする羽撃! このままじゃ、この幕の内弁当の塩鮭が大変なことになるぜ」
羽撃はおろおろしながら電子画面と森羅を交互に見て、やがて、決心したように。
「わ・・・分かった・・・下、だけで・・・いい・・・?」
いやに艶かしく訊いてくる羽撃に森羅は首が取れそうなほど大きく首を縦に振った。
そして、羽撃は自分の巫女装束のいやに短いミニスカートの中に手をいれ、そこからスルスルと布を下ろしていく。
「っ――――――――――!!」
森羅は歓喜のあまり声にならない歓声を上げる。
「こ・・・これでいいでしょ・・・」
恥ずかしそうに、羽撃は手に持った縞模様の丸めた布を見せ付ける。
「早く、早弁を返して。ここに置いておくから・・・」
羽撃は地面に丸めた布切れを置くと、一歩、そこから下がった。
そして、森羅は何かを悟ったような清々しい顔になっていた。
「ありがとう、羽撃。本当に―――――ありがとう」
森羅はその場に屈みこみ、手に持っていた弁当の包みを地面において滑らせ、羽撃の元に送ってやった。羽撃はそれを拾い上げ、
「ありがとう、森羅」
それだけ言うと、一八〇度反転して一目散にどこかへ行ってしまう。
「―――――さて」
屈んだ状態だった森羅は、そのまま犬のように四足でダッシュする。目的はもちろん、目の前にある布切れだ。
わくわくした顔でそれを摘み上げた森羅は、それを広げてみる。
赤と白という、ちょうど羽撃が着ていた巫女装束と同じ配色の縞模様のある―――――
四角い、ただ四角いだけの布―――――
「え・・・・・・?」
だれがどう見ても、それはただのハンカチだった。
そう。擦りかえられていたのだ。
あの脱ぐ動作のときからすでに、羽撃は手の内に握りこんでいたこのハンカチをうまく脱いだように見せかけ、それを丸めて森羅に渡してきたのだった。
「・・・・・・!!」
鬼の形相をして歯を食いしばる森羅の頬を、一筋の熱い雫が滑り落ちていく。
「っ―――――――――!!」
そして、彼の心底どうでもいい雄叫びが、森の中に響き、消えていった。
どうも!
この作品から見始めた人は始めまして。『ANGEL~』のほうから見てる人はお久しぶりです。
作者の松村ミサトです。
そんなこんなで自分の二作品目の小説です。基本は『ANGEL~』のようにファンタジーですが、ここでは向こうでは少し影の薄めの機械や科学と言ったメカ的なものも出てきますので、皆様これからなにとぞよろしくお願いします。
こちらが初見の方も、『ANGEL~』の方、よろしくお願いします。
『ANGEL‐その天使、凶暴につき‐』http://ncode.syosetu.com/n6796g/
意見や感想などがありましたらお気軽にしてください。
それでは、また次回。