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第十八話 駆ける戦士達

 太平洋上空に二つの巨大な影が浮かんでいる。

 一方は、気品ある青で彩られている機関“イギリス”。

 もう一方、その隣にある純真な白で彩られる機関“大和”の甲板上層部では、いたるところで戦闘の撃音と爆発音が連続していた。

 甲板表層部にある建物は全て、先ほど発せられた警報ですぐに表戸を堅く閉ざし、防御術式を展開させて被害を最小限に止めようとしている。

 大和構成艦第七艦“沖縄”のガチマヤー通りに並ぶ飲食店も例外ではなく、店内に非難している状態の客達は、不安げな表情を店の外に向けている。

 その向こう、外を闊歩するのは、無数の白い影。遠めにはその細い身体はまるで白骨が動いているかのような姿は皆、悟神かみの尖兵、ヒトガタのものだ。外をうろつくその姿は、ざっと見ただけで三十は下らない。さきほどから封鎖されている建物の扉をしきりに叩き、内部にいる人間を求めて動き回っている。防御術式も絶対ではないため、衝撃に耐え切れずに防壁が薄く剥離し、空間に光の塵が舞う。その光景に子供は泣き、その声を聞いた大人たちにも恐怖と不安を植えつける。

 その時だった。不意に防壁を叩くヒトガタの動きがピタリと止まった。

 何が起こったのかと皆が見ていると、その身体が不自然に上に上がっていく。それがすぐに何かに持ち上げられているのだと気付いたときには、ヒトガタの身体が風を切る速さで大きく左にぶれた。

 今までヒトガタの影になっていた場所には一人の少年がいる。そして、その手元から伸びた長い影がヒトガタの背に向かって伸びている。

 槍だ。

 二メートルほどの長槍の刃全体がヒトガタの背に突き刺さり、ハンマー投げのハンマーよろしく半円を描いた動きで振り回す。

 ちょうど今までと反対の方向に向いたときに槍が背から抜け、ヒトガタは向かい側にあった総菜屋の店舗に突っ込んだ。すでに店員は非難して無人だったためか、防御術式の展開されていない店の前にあるガラス製の保温機を滅茶苦茶に破壊し、動きを止めた。

 体中にガラス片や雨戸の木片が突き刺さったヒトガタはそのままピクリとも動くことなく粒子になって空間に散っていく。

 それを確認すると、ヒトガタを振り回していた少年は槍を構え直し、周囲の警戒に入る。

 青緑色のラインが入った大和の学生服に身を包む彼は、“沖縄”の教育機関、礼応れいおう学園の生徒達だ。

 れっきとした学生であるが、中等部を卒業して高等部戦闘学科に入学時点で、彼らは仮戦闘許可証を発行され、正式な禊人とほとんど同じ権利を持つ。そのため緊急時にはこのように自ら矢面に立って戦闘を行わねばならない。

 先ほどの破砕音を聞きつけたのか、周囲からヒトガタが集まってきた。片腕を剣に変質させ、少年を取り囲むように半円形に陣形を取り始める。

 すると、その反対側から、少年と同じ青緑の制服姿の学生二人が駆けてくる。そして並び立つと、手に持つ武器を構え、ヒトガタと対峙した。

 いま戦闘の構えを取っているのは男子二人に女子一人の全部で三人。武器はそれぞれ槍と刀、柄の長い斧だ。

 対して前方にいるヒトガタは倍の六体。全ての個体が向かい合う三人を青白く輝く両目で凝視している。

「ど、どうしましょう。こ、怖いんですけど……」

 礼応の女生徒が、手に持つ刀を胸の前で握り締め、か細い声で言った。

「何言ってんの。さっきの戦闘、うまいことやってたじゃん」

「あ、あれはアシストが上手でしたから……、その、ありがとうございます」

「いやー、嬉しいこと言ってくれるね。でもやっぱ、実力があってこそだよ、あの動きは」

 するとその会話に、わざとらしい咳払いが一つ割り込んできた。したのは槍を携えた少年で、

「あー、ノロケ話はそろそろ終わりでいいか。敵が来るぞ」

「班長分かってないなぁ。こういうのは緊張をほぐしてやんなきゃうまく動けないんですよ」

「あーあー! そういう女の子の扱い方熟知してます、ってのは十八年間彼女いない俺へのあてつけですかぁ!?」

「班長、被害妄想にもほどありすぎ」

「そんなんじゃないの! ただ純粋に俺はお前みたいなイケメンが憎いの!!」

 槍を持った班長の少年は声を荒げて地団太を踏んだ。すると、刀を持った少女が恐る恐る手をあげ、

「あ、あの班長……」

「なに!」

 大声ととって喰われそうな班長の面持ちに少女は反射的に身体をすくませるが、こちらを向いている班長の向こうを指差し、

「ヒトガタが、すごい数に……」

 言われ、班長は下に向き直った。

 そこにいたのは、家屋の屋根や路地、さらに道の向こうからどんどんと押し寄せてくる大量のヒトガタの群れだ。ざっと見回しただけで二十から三十は下らない数がこの区画に集結しつつある。

「おいおいどうなってるんだ? 俺たちの担当する区画は結構狭めだったはずなのに何でこんなにいるんだよ」

「班長もしかして地図読み間違えたんじゃないですか?」

「ぁあ!? 何だお前、そうやってもてない奴を見下しやがって!!」

「今そんな話してないで! どうするんですかアレ!!」

 少女が悲鳴にも似た声を上げて掴み合いの喧嘩を始めようとした二人は止まり、なんとかその場は治まる。が、だからといって状況が好転する訳も無く、むしろ悪化の一途を辿っている。

 対面の道の向こうから接近してきたヒトガタがついに合流し、道は隙間もないほどヒトガタで埋め尽くされていた。

 それを見て、今まで喚いていた班長も槍を構え静かになる。あとに続いて斧を持った少年も構え、少女も慌てて刀を構えた。

 そんな三人を、ヒトガタは蒼白の眼光を宿す無機質な目で見据えた。合計六十近くにも及ぶその光に、少女の後ろに引いた足がさらに半歩ほど下がった。

 瞬間、ヒトガタがこちらに向かい、一斉に押し寄せてきた。

 前から、上から、三人が背にする後方と下方以外の全てから、白の兵団が波浪のように押し寄せる。

「怯むなぁ!!」

 その勢いを跳ね返すかのような班長の怒号が飛ぶが、彼自身も武器を構えた状態から動くことが出来ないでいる。隣にいる少年もそれは同じだ。意思とは裏腹に本能が気圧されている。

 白の波が三人から十メートルほどの距離に近づいたところで、ようやく彼らは四肢の感覚を取り戻し、動きを作る。

 だが、三人のそれは攻撃を行うためのものではなく、身体を最小限小さくさせ、武器を急所の前面に持っていく完全に防御に回る体制だった。

 この軍勢の数、そしてそれらをここまでの距離に近づけてしまった時点で、彼らの行動は決定されてしまった。この状況では、恐らく一矢すら報うことができぬまま、白の波に飲まれて死ぬこと以外にない。ならば、僅かでも生存の可能性を上げるため、こうして防御の体制をとるしかない。だが、

「……駄目だ」

 少女の口から、そんな言葉がこぼれた。

 刀を握る手に精一杯の力を込めても、その防御は前衛の数打でたやすく崩れ、後続にあっけなく蹂躙される。そんな未来が、少女の脳裏をよぎった。

 恐怖のあまりいつのまにか瞑っていた瞳を開くと、ヒトガタの姿はもうすぐ目の前まで来ている。もはや自分達の周りには、白の全てで覆われていた。

 少女は、先ほどまで恐ろしいほど強張っていた身体が、いやに弛緩していることに気付く。そして、それが自分の意思とは裏腹に、本能が死を覚悟し終えたのだということを悟った。

 戦闘教習で、地獄のような基礎体力訓練と模擬戦闘の後に教師が『戦場では諦めたものから死んでいく』と言っていたのを思い出した。その言葉を聞いた自分はいつも、諦めようが諦めまいが死ぬときは人間死ぬものだ、とタダ聞いていたが、やはりその言葉は間違っていたと確証が持てた。

 戦場に立つものは諦めたから死ぬのではない。死ぬ未来以外残されていないものは諦める以外に道がないのだ。

 でなければありえないだろう。何故自分はこんなにも未来が閉ざされた状況で、それでもなお、

「生きたい……」

 そう望むか。それの説明が付かないではないか。

 向かってきていた前衛のヒトガタが、右の剣を大きく振り上げ、こちらに振り下ろしてきたのが、溢れた涙で歪んだ視界から辛うじて見えた。

 そして、彼女の視界は、白から黒に覆われた。


                         ●


 少女は、一瞬何が起きたのか分からなかった。

 いま自分の視界は黒に染まっている。しかし、自分はまだ両の目をつぶってはいないのだ。

 すると、動きがあった。

 自分の目の前にあった黒が、ほんの少しだけ遠ざかる。そうやって、ようやくそれが黒色の男子学生服の背だということに少女は気付いた。

 背は平均ほどだが、その細身でどこか小さく感じるその男子学生の両手には、手首と拳を保護するグラップルグローブの形状をした武装デバイスが装着されている。その手の甲には、術式が展開されていることを示す魔道陣があり、男子学生はその両手を自身の前面に持っていき構えた。

 今さらだが、少女はそこで始めてこの学生が自らを助けるために飛び込んできてくれたのだと気付いた。しかし、すでに白の瀑布と化したヒトガタはすでに少年の眼前にいる。こんなことをしても何の意味もない。

 そんな自分の思考をあざ笑うかのように、迫っていた前衛の数十のヒトガタが、突如として吹き飛んだ。


                         ●


 目と鼻の先にいた前衛の数十のヒトガタは一斉に後方に弾け飛び、すぐ後ろにいた後続も突如として起こったその現象に巻き込まれ、連鎖的に白の波が、僅か一瞬にしてその動きが押しから引きへと変わった。

 少女が周りを見ると、隣にいる隊長と少年も自分と同じように何が起こったのか分からないという顔をしている。隊長にいたっては尋常じゃない量の鼻水と涙を垂らしているというオプション付きだ。

 ヒトガタのほうも混乱しているためか、体勢を立て直したものの、こちらを警戒して動きを止めていた。

 すると後方から、

「ちょっと、速すぎるんだぞ棗」

 という高めの少年の声が聞こえてきた。少女達が振り向こうと首を後ろに回しかけるが、声の主はその前に少女らの頭上を飛び越え、棗と呼んだ少年の横に降り立った。

 そこにいたのは、月光を眩く反射させる銀色の体毛を持ち、その上から男子の学生服を纏った巨大な狼だった。傍目にも分かるその滑らかな毛並みの狼の背には、刀を携えた小柄な少女が乗っている。

「速いよ、棗。かなり引き離した、みんな」

 そう言って、刀を携えた少女は狼の背から地面に降りる。それと同時に、狼がその身体から眩い心力光を発する。巨大なその身体が徐々に四足歩行から二足歩行へ、獣の身体から人の身体の形状へと変質していく。そして、光が止んでそこにいたのは、腰ほどまでの銀髪を持つ、今までその背に乗せていた少女とあまり変わらない背格好の小柄な男子生徒だった。

 そんな二人の小柄な男女に、棗は首だけでそちらに向き直り、

「すまないな、マキ、ゼン。でもあいつらならすぐ追いつくだろ」

 そう言って、視線をまたすぐ前方にいるヒトガタの群れに向けた。

「すぐにまたくるぞ。お前達も頼む。タイミングが遅かったせいで怯ませたが倒せてない」

 その言葉どおり、先ほど後方に吹き飛んだ前衛のヒトガタは、その頭部や胸部に数個のへこみを作ってはいるが、戦闘不能までの負傷は負わせていないため、立ち上がり構えを取っている。

 すると、マキとゼンと呼ばれた帯刀少女と人狼少年が棗の隣に並ぶように立った。

「ここ以外にもまだまだ行くところあるからな。この程度の数、俺らで何とかするんだぞ」

「うん。やる」

 馬鹿なことを、と少女は思った。相手は六十、対してこちらは自分達を頭数に入れても六人。単純に十倍も数が違う相手に、どうやって立ち回る気なのだと、そう思ったとき、自分の前にいた棗は二人を制するように手を出し、

「いや、俺だけでいい」

 言うや否や、

「あれ……」

 ほんの僅かな暗転。気を配らなければ認識できない、まばたきという生物にとっての刹那の間、瞳をあけて閉じた少女の眼前から、突如として棗の背中が消えていた。

 次の瞬間、向こうにあるヒトガタの群れがもう一度弾けるのが、少女の目に映った。


                         ●


 棗の足が地面を捉える。

 足の指を広げ、大地を掴むようにつま先へ込めた力は、百七十を超える長身の彼を高速で前面へと打ち出す。

 引き裂かれた大気が重量を持って棗の身体を後方へ押し返すが、それを正面から捉え、押し返し、再び引き裂き、棗は前へ出る。

 直後に、目の前に現れる白の人影、ヒトガタに向かい、棗は青く発光する術式陣が展開された拳を打ち出した。

 放たれた拳は棗にとってはなんてことのない、ジャブ程度のその拳は、だが他者から見ればそれは放った腕すらも見えないほどの高速で撃ち出された、弾丸のごとき威力を持つ拳だ。

 結果、ヒトガタは拳が頭部に命中してから腕をクロスさせてガードを作った形となっていた。その頭部が陶器の如く割れ、地面に崩れ落ちるその間にも、棗はそのヒトガタの近辺にいる他のヒトガタにも同じように攻撃を繰り出し三体のヒトガタを沈黙させ、その身体を塵へと返す。

 棗が次の標的を探して振り向くと、足を止めている僅かな間に背後から接近してきた二体のヒトガタが水平に両手の刀身を振るってきた。

 しかし、突如として棗の立っていた場所に土煙が発生すると、その刀身は空しく宙を舞うだけとなり、逆に大振りとなって体勢を崩したヒトガタの頭部に二発ずつ、鈍い破砕音と共にヒビが入り、砕け散る。

 その一通りの動作が開始してから終了するまで僅か四秒。周りにいたヒトガタが攻撃を喰らわせようとすればその場から消え、探すために足を止めるとあざ笑うかのように目の前に現れる。それをただ棗は繰り返す。

 敵が構える前に拳を放ち、防御を固めてもその隙間を狙える場所に移動し、反応される前に撃つ。

 敵が攻撃を加えれば当たる前に避け、構えられる前に撃つ。ただ黙々と、ただ淡々と、同じことを繰り返す。

 それだけで、六十体いた敵が僅か三十九秒で、

「残り、四体」

 棗が見据える場所、二十メートルほど向こうには、もはや打つ手が見当たらずにかつて大量の仲間がいた辺りを見回すだけの四体のヒトガタがいる。

 向かおうと身体の向きをそちらに向けたとき、棗の右腕の武装デバイスから展開された術式陣が青から黄色へとその色を変える。

《身体強化型加速術式:絶影ファントム:展開限界時間・残り二分》

 腕部に展開された黄色の小型電子画面による警告をろくに読まず、棗はそれを消して再び構えを取る。

「安心しろ。五秒あれば―――――」

 軽く開いていた両の脚へと力込め、

「充分だ」

 棗の身体は前へと向かう。

 向かったその先で青の塵が舞ったのは、彼が示した時間より二秒ほど遅かった。


                         ●


 礼応学園の生徒達は、その場から一歩も動けず、ただただ目の前で起こった出来事に見入っていた。

 この場所で六十の敵に囲まれたとき、自分達三人は五秒もかからずに戦意を失い、死を覚悟した。

 しかし彼らの目の前でその圧倒的物量の敵は、僅か一分ほどの時間で、たった一人の男子生徒の立ち回りのみで全滅してしまっていた。

 はっきり言ってしまえば、悔しい。その一言に尽きるだろう。隊長の男子生徒が両隣を見ると、二人の仲間も同じように、どこかやりきれないような顔をしている。

 自分達も戦いという場に身を置くかもしれない関係上、努力はしてきたつもりだ。学園の周りの持久走から始まり、戦闘講習、武器の扱いやそれらを取り入れた実戦形式の組み手、基礎体力訓練、決して誇れるほどやりこんだものはないが、それでも、その中で手を抜いたようなものは一つもない。全てに真摯に取り組んできたはずだ。

 それらは全て、強くなるというただ一点にのみ取り組んできたからに他ならない。戦場で自分達が死なないように、戦場で誰も死なせないように。

 そんな自分たち三人ですら挑む前に諦めたものに、たった一人の少年が挑み、そして、難なくやってのけた。

 それがただただ歯痒い。まるで自分達の行ってきたこと全てをあざ笑うかのように、礼応の三人には感じられた。

 そんな彼らが見ていた場所、もうもうと立ち込める土煙と青く輝く心力光の塵が舞う空間に、一つの影が生まれた。

 舞う塵をかき分けて出てきたのは、六十の敵を全て倒し終えた棗だった。

 先ほどと違い少し疲労の色を見せる彼の腕からは、出てくると同時に先ほどは青かった、今は黄色の術式陣が消え、代わりに左腕の武装デバイスから新たに別の術式が展開されると、彼の体のいたるところから白い何かが噴出した。

 棗の身体から立ち上るそれは、遠目から見ても熱気を帯びていることが一目で分かる湯気だ。しかしその量は風呂から上がったばかりの人間などが纏っているものとは比べ物にならないほどの量であり、いうなれば風呂場に立ち込める湯気をそのまま身体から吐き出している、もはや湯気というより蒸気と形容したほうがしっくりとくるものだ。

 身体から白の軌跡をいくつも残してこちらに向かってきた棗は、大きく伸びをして脱力する。そんな彼に、先ほど彼を追ってやってきたゼンとマキが走り寄った。だが、棗から噴出す蒸気に触れて慌てて数歩距離をとる。

「危ないぞ。火傷する」

「お疲れ、棗」

「本当に。よくやったんだぞ」

 身体から湧き上がる蒸気で輪郭がぼやけて見える棗に、マキとゼンは離れた距離からねぎらいを飛ばした。

 それと同時に、棗の腕に展開されていた術式陣が自動で格納され、彼の身体からの蒸気の噴出が徐々に収まっていく。ものの数秒で白のもやが晴れ、その痩身が全貌をあらわにする。

「フルで使わなかったからな。二十秒程度で済んだか」

 蒸気の噴出が止まったことで近づけるようになった棗に向かい、マキが近づいていってポケットからハンカチを取り出して差し出した。

「使って、濡れてるから」

 言われた棗が身体に視線を向けると、結露した蒸気が彼の肌にびっしりと水滴となって張り付いている。

「すまない」

 その一言で棗はハンカチを受け取り、肌に付いた水滴を拭っていく。

 そんな彼らを遠巻きに見て、いったい彼らはなんなのかと、隊長がそう思ったとき、

「きゃああああああああああ!!」

 突如として、自分のすぐ隣から女子生徒の悲鳴が上がった。

 まさか新手か、と武器を構えて隣に向くと、

「きゃああああ!! やめてーーーーー!!」

 女子生徒が謎の男子生徒に後ろから乳を揉まれていた姿が映った。


                         ●


「ななななな……!! 何をやってんだこの変態がぁーーーーー!!」

 隊長が指を指す先にいる男子生徒は、暴る女子生徒を後ろから羽交い絞めにするように乳を揉みしだいている。そしてこちらに顔を向けて開口一番、

「違う!」

 言い切られた。その返答にこいつは常識の通じる人間なのかと一瞬疑ってしまう。何の穢れもない澄み切った目で爛れきった行動をしている分かなり性質が悪い。

「俺はただ戦闘でこの子が負傷してないかを調べてんだよ。あれだよあれお触り、じゃなくて触診。そうだ! こんな素敵なことが出来る医者に俺は将来なってみよう!」

 めまぐるしく頭のおかしいことを連ねる目の前のアホに隊長は思わず額に手を当てて唸ってしまう。そうこうしている間にも女子生徒は悲鳴を上げて暴れまわる。

 とりあえずこの気が狂った馬鹿を病院なり自警団になり突き出すのは後にして女子生徒だけを助けようと顔を上げると、馬鹿と女子生徒の後ろに一つの巨大な影があった。

 高さは三メートルほどのそれは、先ほどヒトガタによって盛大に破壊された店舗の店先に置いてあった土産などを並べる木製の陳列棚が横向きに直立しているものだった。

 そしてそれが一息に倒れていき、見事に先端部分が馬鹿の頭部のみを捉え、地面に打ち据えて轟音を立てる。女子生徒は暴れまわっていたのとその衝撃の反動で前に向かって盛大に転んだ。

 陳列棚の倒れてきた根元を見ると、そこにいたのはウェーブのかかった金髪の女子生徒だった。しかしその小柄な体躯から少女と形容しても差し障りはないかもしれない。

 まだ残身状態のその体制から見るに、先ほどの陳列棚は彼女が、しかも片手で持ち上げて振り下ろしたと見て間違いはない。

 獣のようにフーフーと肩で息をしていた少女は、やがて落ち着きを取り戻して顔を上げるとこちらに気付く。そして素早い身のこなしでこちらに近づくと、

「まことに申し訳ありません!」

 勢いよく頭を下げて謝罪の言葉を投げてきた。

 そしてよく見てみると、いつの間にか巫女服型に改造された制服を纏った女子生徒も並んでこちらに頭を下げていたことに、頭を下げられた立場の三人は驚いた。少女達は木片の山の中に埋もれている馬鹿を踏みながらなおも頭を下げてくる。

「このたびはウチの馬鹿がとんだ粗相をいたしまして、本当にすみません!」

「どうか自警団の方への通報は見逃してください。とてもあそこで拭えるほどの罪ではないので」

 どうしてそうまでになるまで放っておいたのか聞こうとしたが、先ほどの馬鹿の行動を見ていればなんとなく想像が付いたので、こちらも頭を上げるように促し、

「まあ、胸をもまれた程度、って俺が言うのもなんだけど、とりあえず被害はそれだけだし、頭上げてください。お前も、今のでもう気が済んだろ?」

 女子生徒は両腕でそこそこある胸を隠しながら、まだ赤い顔で頷く。その様子を見ていた金髪の少女がなぜか苦い顔をしたのに疑問を持ったが、

「どざらがおぉおん!!」

 謎の奇声を上げ、頭部を先ほどからしつこく踏みつけていた女子二人を跳ね除けて馬鹿がいきなり起き上がった。少女達は空中でひらりと身を翻して綺麗に着地し、馬鹿は大きく肩で息をしながら、

「おいおいおいおいおいおいおい、アンナ。お前はまた俺にとんでもねぇことしてくれやがって! 傷口開いたらどうすんだよ!」

 馬鹿は前髪を手でかき上げ、包帯の巻かれている額を金髪少女に見せつけた。あれだけの攻撃を受けておきながら額の中央にうっすらと赤いシミが見て取れるだけの額を見せられ、アンナは首を横に振り、

「そんな、傷口が開くような勢いで叩いたと思っていますの? 私とあなたとの間柄ですのよ」

 彼女は心外だというような顔つきで一つ息を吐き、

「殺すつもりで殴ったに決まっているでしょう?」

「あっれー!? 俺たちの関係ってそんなバイオレンスだったっけ!?」

 軽く涙目になっている馬鹿を眺めていると、となりにいた女生徒がクイクイと袖を引っ張るので、何事かとそちらを振り向く。

 青ざめた表情の彼女が指差す方には、先ほど馬鹿を地面に沈めた陳列棚の残骸がある。彼女が指すのはその残骸の中央、欠片が固まって山になっているところだが、そこに光るものが見える。

 それは金属製のフレームであり、木材のみではある程度の負荷が蓄積されるとすぐに痛むため、陳列棚を内部から支える役割のためのものだろう。よくみると丁度人の頭がはまりそうなへこみが見え、隊長は女生徒と同じく青ざめ、もう一度馬鹿のほうを見た。

 馬鹿は動じた様子は無く、少女に手を振れて逆に関節を捻じ曲げられ悲鳴を上げている以外はまるでなんともない。少女の言った『殺す』という言葉が冗談であれ、あれをくらって平気でいるというのはあきらかに、

「異常だ」

 その時、隊長はようやく落ち着いた意識で彼らの左腕に付けられた腕章を認識した。

 国家機艦上には、それぞれ一つの艦に小中高一貫性の学園が一つずつ、計七校存在し、そこに所属する学生は全員に配布される証明用の腕章をつけており、そこに入っているラインの色で所属を把握できるようになっている。

 彼らの装着する腕章のラインは赤。その色は主要機艦所属の学校を表す色だ。

 それを見て、隊長は一つの納得を得るとともに驚きを同時に得た。

「まさか、仁悠の生徒か……」

 この大和に住んでいて、仁悠学園のことを知らない人間はまずいない。

 大和の全機艦の統括を担う主要艦“関東”にある、もっとも規格外が集まる学園。

 各機艦に置かれる学園は、その機艦の特色に見合った教育を重点的に行うのに対し、仁悠は幅広い分野に対し高レベルな学習を行っており、その中でも特に、今の時代もっとも必要とされる戦闘技術に重きを置く特異中の特異な学園である。

 仁悠の卒業生の大半はそれらを生かし、大戦の影響で未開状態となった地域の探索や他国への傭兵など大変な危険を伴う職業に就き、多大な成功を収めたものばかりが集結している。

 ここ近年のことでは、特例として大和には二つの所持が許されている神罰武装の所有者が十年前と七年前にそれぞれ選出されたことでも有名になっている。

 学生最強。その言葉がピッタリ当てはまるほどの戦闘を今見たばかりだが、礼応の隊長は目の前の馬鹿がそれと肩を並べる存在だとは到底思えなかった。というより、思いたくなかったと言うのが正解だ。

 そんなこちらの気も知らず、目の前の馬鹿はハッとした顔をして、

「そうだ、こうしちゃいられねぇ。お前ら、もういい加減仲間同士で争うのはやめて、そろそろ先生の命令を聞きに行くぞ!」

 一斉に『お前のせいだろうが!』と五人の同級生につっこまれたが、馬鹿はその前に耳を叩いてあー、と声を出して聞かないふりをする。

 使えない馬鹿に代わり、今度は近くにいた巫女が口を開いた。

「今現在、“大和”各所においてヒトガタがほとんど無尽蔵に湧いて出てきて、それによる被害が甚大。サミットで本土の集落防衛に大多数の人員を割いてるから、少ない人員で各機艦の主要箇所を何とか守ってる状態なの」

 だから、と巫女は言葉を繋げ、

「私達はこれから七班に分かれて、各機艦のヒトガタ殲滅部隊と合流。その救援を行うわ。他の奴らはもうそれぞれ向かってるから、後は私達だけね」

 それを聞き、棗は手を挙げてから、

「すまないが、俺は―――――」

「分かってるって、オメェは“北陸”担当な。実家の兄妹達、心配だもんな」

 言葉を遮り口を開く馬鹿に、棗は軽く頭を下げ、

「すまない」

 と礼を言った。馬鹿は照れくさそうに頭をかいて、

「気にすんなって。他の奴らもほとんどが似たような理由で班分けしたんだからよ」

 とまあそういうわけで、と馬鹿は一息おき、急にこちらを振り向くと、

「そんじゃあ、あとよろしくな。ウチの他のメンバーが何人かここ残ってるはずだから、やばくなったらすぐに呼んでやってくれ。ウチの奴らはピザの配達より速くやってきて早く仕事するからさ」

 それだけ言って、もう一度女生徒の胸に手を伸ばそうとした馬鹿は金髪少女の拳骨を後頭部にくらってヤバい倒れ方をし、場を濁すような苦笑いを浮かべた少女が軽い会釈をした後、それを引きずる形で、仁悠の生徒達は去っていく。

 そんな中、流石に重かったのか、少女が馬鹿に声を投げた。

「ほら、いつまでも寝てないで自分で歩いてくださいな、森羅」

 その名を聞き、恐らくは今までの彼らのやりとりで一番驚いたことだろう。両隣にいた仲間も驚いた表情を浮かべていた。

 仁悠学園には、最強といわれる馬鹿が居るという話を聞いたことがある。

 その馬鹿の強さは甚大で、馬鹿ゆえに生徒を収めるべき生徒会長の座にはつけなかったが、その強さは各学園最強の実力を持つ生徒会長と互角か、それ以上の強さであると。そしてその馬鹿の名は、

「神凪……森羅……」

 三人は、心の中に浮かんだ感想をそのまま口に出した。

「馬鹿だなぁー」


                         ●


 ガチマヤー通りを抜けた森羅たちは、そこで棗と別れ、今は四人で行動していた。

 今居るのは“沖縄”表層第二区画の商店通りで、非難勧告で乗り捨てられた車やバスが残る道路の真ん中を疾駆する。

「いやー、それにしても見てみろよ羽撃」

 先頭を走る森羅は、背走に切り替えてすぐ後ろを走る羽撃に声をかける。

「なにが? 敵? いるの?」

 それに対しため息をつきながら森羅は、

「分かってねぇな、この状況。女子が三人男子一人! つまり今この状況はハーレムってわけだ! しかもその女子ズの先頭を走って、『アハハ、捕まえてごらーん!』っていうのの逆バージョンだ、新しいぜ!」

「ねぇ、アンナ。何かおかしいことに気付いた」

「ええ、気付いてますわ。正確には女子三人に馬鹿が一人ですからハーレムなどではありませんわね」

「馬鹿なんて。死ねばいいのに」

「あっれー!? 馬鹿ってもはや性別の壁超越してんのか? っていうか俺は馬鹿じゃねぇ! 他の人間より遥かに前衛的なだけだ」

「大和の言葉って言い方かえるだけでこういう自分と向き合えない奴に優しくなるわね」

 馬鹿がまた何かを言いかけたとき、不意に巨大な地響きがなり、彼らのいる辺り一帯が暗くなった。街灯は点灯しているため視界が閉ざされたわけではないが、先ほどまで空から降っていた月明かりが消え、若干明度に差異が生じる。

 そのとき、背走している森羅の目に映る女子達が足を止め、すぐさま、

「森羅、止まって!!」

 そう言われ、森羅は進行方向である後方に向けた足で地面を思い切り蹴り、止まるともに余計に加えた力を反力として、地面を軽く跳ねて身体を反転させた。

 そして、向いた先にそれがいた。

 ほんの数メートル先にある交差点。その角にあるビルの陰から巨大なヒトガタが姿を現していた。

 全長は最大で十メートル近くあり、等身大のヒトガタに比べ脚が短く頭身は少なめだが、腕の太さや頑強さが一目で分かる肉厚の胸部など、ガタイのよさは一般のヒトガタを遥かに超える。

 それがこちらを向き、兜のスリットの奥から覗く双眸が鋭く輝いた。

「あれは、重戦士ファイター級!」

 アンナが声を上げると共に、それをかき消すかのごとく、純白の重戦士は雄叫びを上げた。

どうも!


今回は他の学園の生徒達の目線から仁悠の馬鹿の姿をお送りさせてもらいました。


それでは、また次回。

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