第八幕
翌日。俺は少しばかり気が重いが、南町奉行所の門を叩いた。中から出てきた者に相手の名前を伝えてそいつを呼ぶよう頼み、門前で待つ。
暫くするとそいつは出てきた。
「銀次。どうした?」
珍しくいつもの阿呆面ではなく疲れた顔をしている。
「保科……珍しく働いているようだな」
「なんだよ……そんなことを言いに来たのか? 俺だって忙しいんだ。例の辻斬りが見つからなくてな」
やはりまだ掴んでいなかったか。
「保科。お前に朗報だ。情報をやるからお前も情報をよこせ」
保科は心底嫌そうな顔をして「どんな情報だ? 場合によっては話せんぞ?」と言った。
「例の辻斬りについてだ」
すると保科の目の色が変わった。
「なに?! よし! 乗った! どんな情報が欲しい?」
俺は心の中でにやりとした。
「例の不審死についてだ。仏さんに外傷はなかったと言うが、小針のような物が刺さった跡はなかったか? 倒れる時に手で押さえていた箇所でも構わない」
保科は腕を組んで考えている。すると素っ頓狂な声を出した。
「あ。そういえば……」
俺は期待の眼差しを向けた。
「仏さん全員じゃないんだがな。一人用心棒をしていた体のでかい奴がいたんだ。そいつが路地で見つかった時、首元を押さえていたんだ。蚊にでも刺されたのかというような小さな跡があった。気にも留めなかったが……今思えばあれは何かの刺し傷だったのかもしれん」
やはりそうか。
俺は納得して保科に情報を話した。
「そうか。助かった。なら次は俺の方だ。例の辻斬りはどんな格好だった?」
「ん? 浪人っぽい格好だったな。見張ってた時は……小汚ねえ格好だったよ。まぁ浪人なんてみんなそんなもんだがな」
「その浪人。小綺麗な格好をしたから見逃したんじゃないか?」
保科はどういうことだ? という目で見てきた。
「綾部屋という反物屋。そこに一人の侍がやってきて急ぎで上等な着物を仕立てたようだ。なんでも目上のものに会う約束をしていたらしい。この濃紺の布でな」
俺は懐から濃紺の布切れを出した。綾部屋から切れ端を貰ってきたものだ。
保科はそれを受け取るとまじまじと見て俺の顔を見た。そしていつもの笑顔になって奉行所内へ走っていった。中に入ったと思ったら顔だけ出して「銀次! 今度何か奢ってやる! 助かった!」と言うや門の向こうに消えた。
俺はその素早さについ口が滑った。
「いつもそれくらい精を出せよ」
奉行所に戻ってくると大木がうろうろとしていた。
「大木……どうした? こんな所で」
声をかけると大木は、はっとして走りよってきた。そして小声で話し出した。
「実は先程、中村様とお奉行が話していたのを聞いたのだが、椿殿が行方不明らしい」
「なに?!」
俺は思わず声を大にして言ってしまった。
「どういうことだ? 役宅を出る時は護衛がついているはずだろう」
椿殿は役宅を出る際、どんな近場でも必ず一人で出ることはない。奉行所の者が必ずついている。
「それが役宅から出た形跡はないのに部屋にいないのだ。奉行所内も探したが見つからない。それで今も中村様が走り回って探している。先程小西様も慌てた様子で役宅に向かったから……おそらく小西様も捜索に加わったのだろう」
俺は不安に駆られた。
「大木。その話は皆には知らされていないのか?」
全員で探せばもっと見つかる確率は高くなる。なのにお奉行はなぜ小西様と中村様にだけ捜索させているのか。
「わからん。我らには知らされていない。だから私もどうしようかと悩んでいるのだ!」
それで大木は動くに動けずこんな所にいたのか。きっとお奉行には何かわけがあるのだろう。俺たちに知られては不味いことがあるか、大事にしたくない何かがあるか。どちらにしろ、俺たちが勝手に動くわけにはいかない。
「大木。とりあえずこの事は誰にも言うな。お奉行には何か考えがあるのだろう。いいな?」
大木は大きく頷いた。
俺は大木を置いてそのまま同心部屋へと向かった。だが俺の心はざわついたままだ。椿殿が心配だ。
一体どこへ……。
今すぐにでも探しに行きたい気持ちを抑えるしかなかった。
同心部屋に行くと、疲れた顔をした中村様が机に向かって座っていた。
「……はぁ……」
ため息までついている。
「中村様」
声をかけると体をびくりとさせて俺を見た。そして安堵した顔で「なんだ……瀬田か」と言った。
俺は中村様の様子から椿殿が見つかったのだと察した。
「お疲れのご様子。いかがされましたか?」
「それがな……全く……女というのは困ったものだ」
何となく察しはついたが、椿殿が行方不明だったことは知らないことになっているから、何も知らぬ振りをして聞いた。
「女……ですか……?」
「あぁ。実は椿殿が一時行方不明でな。まさかと思って探し回ったのだ。役宅、奉行所内をあんなに端から端まで見て回ったのは初めてだ。でな。結局椿殿は台所にいた。七輪で餅を焼いていた……はぁ……全く……」
俺は中村様の心中を察した。
「椿殿が無事で良かったです。中村様も大変でしたね。それにしても突然餅とは……。腹でも減ったのでしょうか?」
「さぁな……。瀬田。お前ちょっと台所行ってこい。椿殿が無事に部屋に入るまで確認してきてくれ。俺はもう疲れた……頼むぞ」
「えっ?! そ、某がですか?!」
すると中村様はにやりとして俺の肩を叩いた。
「瀬田。椿殿の手料理だ。食いたくないか?」
俺は返す言葉もなく立ち上がった。
「ははは! 今が好機だ! 行ってこい!」
中村様の言葉を背に受けながら俺は台所へと向かった。
我ながら恥ずかしいが手料理というものに惹かれてしまった。しかも椿殿の……。だから女子は困るのだ。なぜ突然料理など作り出す。食べたくなるに決まっておろうが!
台所を覗くと、そこには、たすきをかけて餅を炙っている椿殿がいた。七輪の前にしゃがみこんで皿を片手に串に刺した餅を見つめている。後ろ姿からでも分かるほどの浮かれようだ。
俺が静かに近づいていくと、椿殿が振り向いた。気配を消していたつもりだったのだが……。
「銀次様? どうしてここに?」
どうしてはこっちの台詞だ。
「皆探しておられましたよ」
俺は椿殿の隣にしゃがみこみ、餅を眺めながら話した。
「椿殿が部屋にいないので何かあったのではと中村様が探しておられました。役宅と奉行所内を見て回り、ようやくここに居るのを見つけて安堵したようです。ですがそのおかげか、ため息をついてました」
その言葉を聞いて椿殿は青ざめた顔をして皿を落としそうになった。俺は慌てて椿殿の手ごと皿を受け止めた。
「危ない! 椿殿……皿が割れますよ」
そう言って椿殿を見ると、さっきの青ざめた顔とは正反対に真っ赤な顔で手元を見つめている。
「椿殿?」
声をかけると椿殿ははっとして慌てたように口を開いた。
「す、すみません! まさかそのようなことになっているとは知らず……。な、中村様には後で謝罪をしておきます。あと……その……」
「どうされました?」
椿殿は手元をちらちらと見ながら真っ赤な顔のまま目を泳がせて呟いた。
「その……手……を……」
俺は皿を受け止めるつもりで椿殿の手を握ったままであることにようやく気づいた。そして慌てて手を離して謝罪した。
「も、申し訳ない……。その……」
「いえ……受け止めてくださりありがとうございます」
椿殿と俺の間には妙な空気が流れている。七輪の炭がぱちぱちと音を立てているのがやけに大きく聞こえる。
俺は堪らず口を開いた。
「突然台所に来てどうされたのですか?」
すると椿殿は恥ずかしそうに微笑んだ。
「急にあぶり餅が食べたくなったのです。故郷というか……京に行くといつも食べていました。餅が好きなわけではないのですが……なぜだか無性に食べたくなってしまって……。お恥ずかしい限りです」
「某は口にしたことはないのですが……美味いのですか?」
そう言うと椿殿はにこりとして串を一本皿に乗せた。そして皿ごと俺に渡してきた。
「どうぞ。お食べになってみてください。店のものとは天と地ほども差がある上に、白味噌がなかったものですから……どうも味に決め手が欠けてしまいました」
俺は皿を受け取った。
「いただきます」
そして一口頬張った。きな粉のまぶされた餅に味噌の味が染み込んであまじょっぱい味だった。
「ど、どうでしょう……?」
不安そうな顔で見てくる椿殿に俺は餅を飲み込んで答えた。
「美味いです。このようなものは初めて食べました。京にはこのような甘味があるのですね」
「よかった。銀次様のお口に合ったようで安心しました。店のものはもっと美味しいのですよ? 私のは見よう見まねで」
椿殿はそういうがこれは美味い。江戸にはこれに近いものはあるものの、不思議とこのような味はしない。俺は甘いものはそこまで好かないが、これは次から次へと口の中に入れたくなる。味噌の塩気がいい塩梅なのだろうか。あっという間に一本食べ終わってしまった。
「椿殿は料理も上手いのですね。これは他の料理も食べたくなるというもの」
そう言うと椿殿はくすりと笑った。
「銀次様は褒め上手ですね」
「いえ。本気で言っています。椿殿は料理上手です。見よう見まねでこれが作れるのです。某にはできません。椿殿も食べれば分かります」
そう言って皿を渡すと、椿殿も一本手に取って頬張った。そして目を丸くして言った。
「あ……本当だ。美味しい! 想像していたより上手くできました!」
俺はそんなあどけない姿を見て口元が緩んでしまった。そして椿殿の口元に手を添えて、口の端についたたれを指で掬った。
「付いてますよ。そんなに腹が減っていたのですか?」
悪戯っぽく言うと椿殿は慌てて口元を拭った。
「銀次様! 私を子ども扱いしないでください!」
真っ赤な顔で膨れながらも食べ続ける椿殿に笑ってしまった。
◆◇◆
「いやぁ……これは出ていける雰囲気ではないな……。いい匂いに誘われて来たというのに……」
「お奉行。堪えてください。今出ていったら台無しです」
「しかしなぁ……小西。お主もこの匂いに誘われて来たのだろう?」
「私は……その……椿殿が見つかったと中村に聞いたものですから……様子を見に……」
中村から椿殿が見つかったと報告を受けて胸を撫で下ろした私は与力部屋へと戻ろうとしていた。だが途中で香ばしい香りに誘われて、椿殿が台所に居たという報告を思い出して、つい足が向いてしまったのだ。すると台所の入口から覗き見るように立ってるお奉行を見かけて声をかけたのだ。
お奉行は口に指を当てて静かにしろと言い、台所の中を見るよう促してきた。中を覗くと、椿殿と瀬田が仲良さそうに話しているのを見て、これは入っていけないと悟ったのだ。
「お奉行。見つかる前に去りましょう」
「おぉ」
するとお奉行の腹の虫が鳴き始めた。私とお奉行は慌ててその場を去った。
見つかっていないことを祈りながら。
きな粉に味噌なんて……絶対美味しいやつ……。
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