第三幕
翌日。
俺は着流しで、腰に太刀と脇差を下げて役宅の前で立っている。
「はぁ……」
何度目のため息だろうか、昨夜からため息が止まらない。それと言うのもお奉行のせいである。
「明日、俺は椿殿と江戸見物をする約束をしていたのだ。だが急な予定ができてしまってな。椿殿は構わないと言ってくれたが、男が約束をしたのに果たせぬのはどうもなぁ……。だから代わりに瀬田が行ってはくれないか?お前ほどの腕なら護衛も完璧にこなせよう。どうだ!」
俺は断るわけにもいかず請け負ってしまった。そして昨夜から気が重くて仕方がない。
仕事とはいえ女子と一日中連れ立って歩くなど経験がない。大木のように女遊びもしないし、中村様や小西様のように嫁も貰っていない。勝手が分からないのだ。
同じ独り身の同心にそれとなく聞こうとしたが、どうもそんなことを聞く自分が恥ずかしくなってやめてしまった。
ため息をつきながら待っていると、椿殿が現れた。
「お待たせしました。お早いのですね。私が遅かったのでしょうか……申し訳ございません」
椿殿はいつもと違い、町娘のような格好をしている。今までの格式高い着物ではない。おそらく市中に紛れ込むためだろう。
「いえ。待ってはおりません。今日は護衛として側に控えます、瀬田銀次と申します」
できるだけ平静を保ちながら自己紹介をした。
「瀬田……銀次……様。他の方々から聞いております。一刀流の使い手だと。しかもお奉行様にも一目置かれる程の腕前と。心強い護衛ですね。よろしくお願い致します」
にこりと向けられた笑顔に言葉が詰まった。だが俺はその理由に気づかない振りをして、今日の予定を聞いてみる。
「では参りましょう。どちらへ行かれるのですか?」
「そうですね。神田明神へ行ってみたいと思っております」
神田明神か……。さほど遠くはないが江戸見物なら他にもあるはず。まぁ俺はそういった娯楽の場は知らないからありがたいが。
「分かりました。では参りましょう」
そう言うと椿殿は「はい」と答えて歩き出した。そして役宅を出て迷うことなく右へ曲がった。
「椿殿」
俺が声をかけると椿殿は振り返り首を傾げた。
「いかがしました?」
いかがしたのはこっちの台詞だ。
「神田明神はここから左です。そちらからも行けますが遠回りです」
そう言うと椿殿は目をばちくりさせてから破顔して言った。
「あ!こちらでしたか。ふふっ!まだ江戸の土地勘がなくて……京なら碁盤の目になってますが江戸は違っていて難しいですね」
そう言うと左の方へ足を進めた。
先が思いやられる……。俺も椿殿の後をついていく。
カランコロン
カランコロン
椿殿の下駄の音が響き渡る。ここはまだ人の少ない場所。俺は彼女の後ろをついて行く。
すると突然彼女が振り返り声をかけてきた。
「瀬田様。よろしければ隣を歩いてはいただけませんか?どうも後ろを歩かれると……気になってしまいます」
そう言う彼女の顔は先程と違って曇っている。俺はその顔を見て、心臓が握りしめられる様な感覚に陥った。
俺は一歩踏み出して彼女の隣に立つ。
「これでよろしいですか」
前を向きながらそう言うと、彼女は微笑んで満足そうに頷いた。
それから人通りの多い場所に出て、神田明神への参道を歩いている。周りには屋台がひしめき合い、あちらこちらから威勢のいい客引きの声が飛び交っている。
彼女は物珍しそうにそれらを眺め、時折足を止めて商品を見ている。店の者に声をかけられたり、買わないかと勧められたりしているが、困りながらも笑顔で上手く躱しているようだ。
その様子を見る限り、世間知らずの娘という訳ではなさそうだ。お奉行の客人ということだけで後は何も知らない。一体どこの娘なのか。刺客に狙われるほどの良家の娘なのか?事情があるにしろ、俺のようなただの同心が気安く尋ねられる人ではないのだろう。
俺は周りを警戒しながら彼女の側についている。護衛の任を確実に遂行するために。
すると目の端に何かを捉えた。行商人のようだが妙に気になる。記憶を辿ると、先程も見かけたのを思い出した。
俺は店主と話している彼女に近づき小声で伝えた。
「椿殿。先程から後をつけているものがおります。そのまま気付かぬふりをしたまま社殿に向かいましょう」
椿殿は笑顔のまま頷き、店を後にして俺と一緒に社殿へと向かった。
歩きながら俺は後ろを警戒しつつ彼女に聞いた。
「いつ襲ってくるやも分かりません。先程と違って人も少なくなります。捕らえますか?」
「いえ。襲ってくるなら捕らえます。ですができるだけ引き付けたいのです。刺客の人数も分かりませんから」
「分かりました」
俺と彼女は並んで参拝を済ませた。そして彼女はフラフラと周りを歩き回って観光しているようだ。
刺客に狙われているとは思えないほどの肝の座り方だ。俺は感心してしまった。
ふと刺客の様子を窺うと、刺客は俺が護衛であることを知り、敵わぬと悟ったのか、人の波に紛れるように去った。それを横目に確認して彼女に視線を移す。
すると彼女は絵馬が飾ってある所で立ち止まって、一つの絵馬を手に取っていた。そして不思議そうに眺めつつ俺に聞いてきた。
「瀬田様。この絵馬は他とは違って絵が既に描かれています。なんの絵馬でしょう?」
彼女が手に取った絵馬を見てすぐに分かった。そして誰が書いたのかは分からないが男女の名前が書かれている。
「これは縁結びの絵馬です。最近はこのように絵が描かれている絵馬があるそうです」
「なるほど……。江戸は面白いですね。京にこのようなものはあるのでしょうか……。瀬田様いかがです?この絵馬に書きますか?」
まさかの発言にむせてしまった。
「な、なにを言い出すのですか?! 某はそのような浮いたものに興味はありません!」
「そうですか……」
彼女は何故か残念そうな顔をした。だから俺も仕返しに言ってみた。
「椿殿こそ書けばいいのでは?想い人でもいれば縁が結ばれるかもしれませんよ」
素っ気なく言うと、彼女は「なるほど」と呟いて絵馬が売られている所へ走っていき、筆を借りて何やら懸命に書いている。
戻ってきたと思ったら鼻歌を歌い出しそうな勢いで絵馬を飾っている。
俺が覗き込もうとすると「だめです! 見てはいけません!」と必死に隠す。
「どうせ人の目に触れるものですよ?」
そう言ったが彼女は頬を膨らませて「だめです!」と言って見せてくれない。その姿が今までとは違って幼く見えてしまい、ふっと口元が緩んでしまった。
その後、腹を満たすために茶屋に立ち寄ったり、買い物をしたいと菓子屋へ寄ったりして夕方に役宅へ戻ってきた。
「瀬田様。今日はありがとうございました。とても楽しかったです。瀬田様は……お疲れですよね?」
俺の顔色を窺うように見てきた彼女に言葉を返す。
「いえ。某もこのような事はあまりしない故、珍しい経験をさせていただきました。刺客も姿を消しましたし、何事もなくて良かったです。それでは失礼します」
俺は今日の報告をするためにその場を去ろうとしたが、袖を引っ張られて足を止めた。椿殿が袖を掴んでいたのだ。
「あ、あの……。今日のお礼と言ってはなんですが……こちらを……」
おどおどしながら差し出してきたのは御守りだ。いつ買ったのか神田明神の名が刻まれている。
「これを……俺に……?」
つい自分を俺と呼んでいたことにも気付かぬほど驚いてしまった。
「ご迷惑でなければ……」
彼女は不安と期待の混じった顔でちらちらと目だけで見上げてくる。俺はそれを受け取った。
「ありがとうございます」
そう言って背中を向け、報告のために足早に与力部屋へ向かった。
早く刺客のことを伝えねばという気持ちもあったが、この顔を見られたくない気持ちもあった。一刻も早くあの場を離れたかったのだ。
なんだあの目は! いつ買った?! 刺客がいるのになぜこれを俺に……まさか! 護衛についた者全員にこんなことをしているのか!
俺は貰った御守りを懐にしまいながら心に決めた。
彼女の護衛はこの先ずっと俺がやる。他のものがやっていると思うとむかっ腹が立つ。それにあの刺客は相当な手練れだ。大木などでは相手にならない。
与力部屋へ行くと中村様と楽しげに話している小西様がおり、刺客のことを伝えた。そして小西様がお奉行に伝え、今後の椿殿の護衛は可能な限り俺が担うことになった。
後に聞いた話だと「刺客に気づいたのは瀬田だけだ。あいつなら腕も立つし護衛にぴったりではないか。椿殿も気に入ってるようだし任せよう」と、お奉行が言っていたそうだ。
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