第一幕
前々から温め続けていた時代小説を書いてみました。
今回は、初の男主人公です。
時代劇の世界に入ったような気持ちになっていただければ幸いです。
『道は違えど心は常にそこにある 再び交わることのない貴方へ』
『再び道が交わることを願う 愛する貴女へ』
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俺があの娘に初めて会ったのは奉行所だった。お奉行の客として来たことを同じ同心の大木に聞いた。
俺たち同心たちが業務に勤しむ部屋にせわしい足音を立てて入ってきた大木は、戸を開けるなり騒ぎ立てた。
「おい! お奉行に客が来た! しかも若くていい女だぞ!」
それを聞き、他の同心達は、我も我もと身を乗り出してお奉行の部屋からその客が出てくるのを待っている。
俺はそこに混ざることなく目の前の業務を終わらせるため筆を進めた。
するとそこへ筆頭同心の中村様が来て、入口にたむろしている部下たちを叱咤した。
「何をしている! さっさと仕事をせぬか!」
慌てた者たちは蜘蛛の子を散らす勢いで、ぶつかり、よろめき合いながら自席へと戻って行った。
それを見てため息をついた中村様は俺の名を呼んだ。
「瀬田。稽古の相手をしてくれないか?」
「はっ。もちろんでございます」
俺はすぐに立ち上がり、中村様と共に道場へと向かった。
着替えを手早く済ませ、道場へ歩いていると、道場の入口に支度を整えた中村様と筆頭与力の小西様がいた。二人は話しながら横目で何かを気にしている。
近づいて二人の目線の先を見ると、大木が言ってたであろう客人の娘とお奉行が楽しそうに話しているのが見えた。おそらくあの客人は帰るところなのだろう。それをお奉行が門まで送ろうとしているところだ。
「小西様。あの者は?」
「うん?私にも分からない。お奉行の知り合いのようだが……それにしても若い娘だ」
中村様の質問に答えている小西様が言うのも無理はない。お奉行は四十を越える。なのにその娘はまだ二十歳を迎えたかどうかという年頃だ。まるで親子のようにも見える。
若草色の着物に珊瑚の髪飾りをしている。話す姿はどこか品があり、歳の割に落ち着いた印象を与える。たまに聞こえる笑い声は鈴を転がしたような可憐さだ。
「おう、瀬田。来たか」
「はい。小西様もおいでとは」
俺は中村様の隣に立つ小西様にお辞儀をして挨拶をする。
「お奉行の客人だからな。私が部屋にいるわけにもいかず近くで見張っていたのだ。二人はこれから稽古か?」
「ええ。小西様もいかがですか?」
中村様がいたずらっぽい顔で聞くと
「馬鹿。私はこの後お奉行に問いたださねばならん。あんな若い娘。奥方様に知られたら大変だろう」
っと、小西様は笑いながら答えた。
「ははっ! それは大変だ。……おっ! お帰りのようですよ」
中村様の言葉に俺も小西様も視線を移した。
「検討してみよう。お父上にも俺から文を送るつもりだ。宿まで誰かつけようか?」
「いえ。大丈夫です。良い返事をお待ちしております。それでは失礼致します」
娘はお奉行に丁寧にお辞儀をすると、俺たちに気づいて愛想の良い笑顔を向けながら会釈した。そしてお奉行に連れ立って歩いていった。
「いやぁ……いい女ですね。小西様。あれは何としても身元を確認しないといけませんよ」
「あぁそうだな。一瞬こちらまで胸が高なったわ」
「なぁ瀬田。お前も……って……おーい」
中村様が俺の顔の前で手を振って、ようやく俺は我に返った。
「あ、は、はい! いかがしましたか!」
二人は面食らった顔をして顔を見合わせると、そのまま俺を見てにやりとした。
「瀬田。お前……確かまだ独り身だったな?」
「なるほどなぁ。知らんかったなぁ」
俺は小西様と中村様の言っている意味がわからなかった。
「あの。どういう意味でしょうか?」
二人に聞いてみると、中村様が俺の肩に手を置いて言った。
「お前の好みがああいうのだとは知らなかったと言うことだ」
俺はようやく意味がわかり、慌てて否定した。
「ち、違います! 某はただ……その……」
すると今度は小西様が腕を組みながら言った。
「あの娘の正体をお奉行に聞いてみよう。いやぁ、まさかあの瀬田がなぁ。剣の腕は立つが、浮いた話もない。岡場所にも行かない。真面目で剣の道一筋なお前がなぁ……。そうだ! ついでに一言余計なことも言っといてやろう」
俺はまたも慌てて言った。
「小西様まで! おやめください!」
すると門まで娘を送ったお奉行が戻ってきた。
小西様はすぐにお奉行の元へ行き、俺は中村様に引きずられるように道場へと入っていった。
「ははははは! あの子が俺の妾だとでも思ったのか?小西、お前も面白いことを言うのだな」
「お奉行。笑い事ではありません。奥方様の留守中にあのような娘と楽しげに話していたなど、誰もが頭に一度は浮かびます」
私の苦労も知らずにお奉行は笑っている。そして肘掛に体重をかけながら話し出した。
「あの子は昔世話になったお方の娘だ。あの子にもよく世話になった。まだ幼く、十かそこらだったがよく気の利く子でな。俺のようなやつにも分け隔てなく接してくれた。それが今じゃあんなに別嬪になっちまって……最初は気づかなかったほどだ。あれからだから……歳は十七といったところか。頼みがあるとかで話を聞いていたのだ」
私はほっとした反面、心の中でしたり顔をした。
「そうでしたか。同心達も皆気にしておりました。若い娘がお奉行に会いに来たと。まさか……などと噂するものもおります。先程中村とも話しておりましたが、とても気立ての良い娘のようですね。お奉行も楽しそうにしておりました」
お奉行は心底嬉しそうに手に持っていた扇子をぴしりと向けて言った。
「そうなのだ! 話しやすく気立ても良い。そして品がある。あれほどの娘はそうそうおらんだろうなぁ」
私はこれ幸いと先程の話をした。
「お奉行がそれほどまでに言うとは。確かに私も中村も一瞬目を奪われました。それに瀬田も熱い眼差しを向けておりました」
お奉行はぴたりと止まり、声を潜めて聞いてきた。
「あの瀬田がか?」
私は大きく頷いた。するとお奉行は盛大に笑った。
「そうかそうか! あやつにもついに春が来たか! 瀬田は歳はいくつだったか?」
「確か……二十七と記憶しております」
私は記憶を遡って、瀬田との会話を思い出しながら答えた。
「そうか! そろそろ嫁を貰っても良い頃合いだな! …………だが……」
楽しそうにしていたお奉行は急に真剣な顔になり私を真っ直ぐ見つめた。
「あの子は難しいぞ。まず家が大和だ。京にも屋敷を構えていて立派な家柄だ。ここは江戸。遠いだろ。それにあの家は代々帝に仕えているからな……ただの同心に嫁がせはしないだろう。しかも、あの子は帝に特に気に入られている。帝の寵愛を受けに宮廷に入るのも時間の問題だろうな……」
帝。その一言で私は瀬田の丸まった背中が脳裏に浮かんだ。あの娘はただの良家の娘ではないことは分かっていたが、相手が悪すぎる。
だがそんな娘が何故ここに?
「お奉行。あの娘はなぜ江戸に?」
今思えば、そんな良家の娘が一人で江戸まで来るなどありえない。護衛の一人も見かけていない。
「あぁ、それがな……。あの子は帝に気に入られている。つまりそれだけ敵も多いということだ。誰かに命を狙われているらしく、それを見極める為に江戸まで来たらしい。上方では取り巻きが多すぎて誰が敵か分からないからな。だからわざわざ江戸まで出てきて追いかけてくるやつをとっ捕まえるそうだ」
お奉行の話を聞いて私は血の気が引いていくのを感じた。
「では! 今すぐにでも誰か護衛をつけるべきでは?! 宿まで一人で帰らせたのですか?!」
私の慌てぶりとは正反対にお奉行は余裕そうに答えた。
「安心しろ小西。あの子は強い。その辺のごろつきじゃあ勝てんさ」
「強い?あの小柄な体で刀を振るえましょうか?それに武器らしき物も持ち合わせていなかったように思えますが……」
「お前は遠くからしか見ていないから気づかなかったか。懐に何か仕込んでおったわ。俺も帰り際に気づいたくらいだがな」
お奉行がすぐに気づかないほど上手く隠していた。確かに相当な手練れとも言える。
私が思案しているとお奉行がにこやかに言った。
「実はな……暫くあの子を奉行所の役宅で預かろうと思っている。毎日顔を合わせることになるぞ」
私は驚きのあまり声が出なかった。
与力部屋に与力、同心が集まっている。お奉行から話があるということだ。
皆で雑談をしながら待っていると、筆頭与力の小西様とお奉行がやってきた。俺たちは頭を垂れて迎える。そしてお奉行が俺たちの前に立つと頭を上げて話し出すのを待つ。
「皆、集まってもらって助かる。仕事で外に出てるものには後で伝えてくれ。今回集まってもらったのは暫くある者をうちで預かることになったからだ。この者は命を狙われている。そしてそれが誰なのかを見極めるためにわざわざ大和より江戸に出てきたのだ。基本的にこの俺が過ごしている奉行所内の役宅に居させるつもりだが、敵を炙り出すために外出もする。その時に護衛や、周りで監視をさせたい。それを皆に手伝って貰いたいのだ」
お奉行はそこまで言うと入口付近にいる小西様に目配せした。小西様はそれを受け、外にいる者に声をかけた。
「中へ」
「はい。失礼致します」
静かに開けられた障子の隙間から現れたのはあの時の娘だった。この間とは違って、薄桃色の着物を身につけていた。顔を上げて微笑む姿に俺はまたも目を奪われた。
「椿と申します。皆様にご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します」
流れるような所作、凛として耳に残る可憐な声色、着物とおなじ薄桃色の頬に品のいい色合いの紅を指している。
後ろの同心達も思わず声を出してしまっている。
「椿殿だ。俺が世話になったお方の娘だ。役宅を出る時は誰かに護衛を頼むつもりだ。皆頼むぞ」
「はっ! 」
お奉行の言葉に全員が返事をする。
横目で彼女を見ると目が合ってしまった。彼女は微笑んだが、俺はすぐに視線を逸らした。なぜか体が熱い。
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