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黒い雨の後で

作者: Xsara

1945年8月9日、午前11時2分。


長崎市茂里町の三菱兵器工場は、突如として襲いかかる激しい閃光と衝撃波に包まれた。作業中だった橘花子は、地鳴りのような爆音と共に吹き飛ばされ、気づけば鉄骨の下敷きとなっていた。


「花子さん、しっかりして!」


同僚の悲鳴に起こされ、顔に流れる血を拭った彼女が見たのは、壊れた工場の天井と、はるか空に立ち昇る黒灰色のキノコ雲だった。


「あれ……浦上の方だ……うちの方だ……」


誰かが止める声も聞かず、花子はふらつく足で焼けた地面を走った。焼け焦げた電柱、倒れた人々、蒸発したかのように消えた家々の影。息を吸えば喉が焼け、皮膚には焼けた紙のような灰が張りつく。


彼女の家──浦上の木造家屋は無惨に潰れていた。崩れた瓦礫の中に、母と祖母の姿はなかった。


泣き叫ぶ声も、涙も、すぐには出てこなかった。


戦後。父が中国戦線から復員し、弟・正雄も学徒動員から戻った。だが、それは「家族が戻った」ことを意味しなかった。花子の中で、浦上の黒い雲の記憶は、刻まれて離れなかった。


やがて彼女の体に異変が訪れる。


髪が抜け始め、体がだるく、微熱が引かない。医者も原因を特定できず、「気の病だろう」と肩をすくめるばかりだった。


「原爆にあった者は、うつる病を持っている」


そんな言葉が、ご近所で囁かれるようになる。


花子は針のむしろに置かれた。見合いの話は次々と立ち消え、「病気の女に子供を産ませられるか」と面と向かって言われたこともあった。


生活のため、細々と縫い物の内職を始めたが、どこに行っても「被爆者」であることが知られてゆく。正雄が就職先で「姉が原爆にあった」と告げられたことで差別を受け、転職を余儀なくされたとき、花子はひそかに自分を責めた。


父は無口だった。戦地で心を閉ざしていた彼もまた、爆心地の娘を持つことで、世間から距離を置かれていた。


昭和30年代、国による被爆者援護法が制定され、ようやく無料の医療補助や手当が支給されるようになった。しかし、それまでの10年を支えたのは、家族の内に宿る無言の絆だった。


「あの時、あの雲の下で死ねていれば……」


そう口にした花子に、正雄は初めて声を荒らげた。


「姉さんがいなかったら、俺は瓦礫の下で飢えて死んでた! 姉さんが生きててくれて、俺は、俺たちは──助かったんだ」


花子は黙って、弟の手を握った。


その後も病は彼女を蝕み続けた。結婚もせず、老いた父を看取り、正雄が家庭を持った後も、ひとりアパートの一室で暮らしていた。戦後40年が過ぎた頃、彼女は浦上天主堂跡に近い慰霊碑の前で手を合わせた。


「お母さん、おばあちゃん。私は、まだ生きてるよ。忘れてなんかいないよ」


彼女の背中に、どこか似た面差しの少女が寄ってきた。正雄の娘だった。


「伯母さん、今日もお花、持ってきたよ」


かつての黒い雨に打たれた身体は、痩せて小さくなっていたが、少女の手を握るその手は、静かに、温かかった。

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― 新着の感想 ―
弟が「あの日死んでいればと」を肯定して自殺するか絶縁するかして、主人公が天涯孤独になっていた方が悲劇性が高まったと思う。(福祉も零れ、被爆証言も拒んでいたらなお)
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