6話 夕染めの魔王
どこまでも続く青い空。
眼下には海のように広がる白い雲。
天空城になってからは、決まってこの風景と共に一日が始まる。
『説、300日ぶりの起動です。ご気分はいかがでしょうか』
え……!?
俺ってばあれから約1年間も寝てたの!?
『はい。覚醒から様々な機能を行使されたので、主格との結び目が不安定になり、調整を施す必要がありました』
んん……よくわからないけどガチャや魔法を発動しすぎたってこと?
『はい。ですが調整は全て終えましたので、今後このようなことはほぼございません』
よほど無茶をしなければ大丈夫ってわけか。
まあ300日も眠りについてたのは驚きだけど、寝過ごして困る用事もないし別にいい。ただ、王国のその後については気になるので、その辺は早急に把握しておきたいところだった。
まず『周辺の探索』と『戻ってくる』を命じていた【巨神兵の人形】たちの報告を確認したい。
『説、【巨神兵の人形】たちの情報はまとめておきました』
『私たちが浮かんでいるのは、【ペンドグラム帝国】の帝都からおよそ120キロメルほど離れた上空です』
『視認での確認は不可能な高度にあります』
『一番近くの街は、【フリューグ湖畔街】で観光地のようです』
よりにもよって帝国領の上か……それ以外の情報は?
例えば周辺諸国の情勢などだ。
『【巨神兵の人形】たちは周辺のみ探索しておりましたので、それ以上の情報は得ていないようです』
……わかった。
守護者たちへのお願いは慣れるまで塩梅が難しい。
次はもっと探索範囲を広げてもらうようにしよう。
そういえば最初に落ちて行ったゴーレムは一体どうなったのだろうか。
戻ってくるのを命令に入れてなかったから、完全に音沙汰がない。
まあ、この場にいないものは仕方ないので、次に確認するのは黄金樹や【世界樹の若木】の様子だ。
これは【花精霊】や【古代樹の世話人】たちが良くやっていてくれたらしく、みんな活き活きしている。
特に荒れ放題だった庭園も、今では綺麗に整えられていてちょっと感動した。
あと気になるのは————
んん……ちょっと、あ、お腹のあたりが非常にくすぐったいぞ。
何事かと意識を向ければ、なるほど……翼竜の死骸を奪い合う熊と狼がいた。
二頭は激しく争い、互いを本気で殺そうとしている。
『説、【月を喰らう大熊】と【月狩りの古狼】ですね』
『検索、月魔法を扱う【かぐや一族】を滅ぼした種族です』
ふむ、なんだかすごそうだ。
そんなのがその辺に生息してるってなると、ウチの生態系はよほどヤバいんだろうな。
『格は両者とも【冠位】級です』
んんん、とにかく中庭で暴れるのやめてくれないかな。
くすぐったくて仕方ないんだが。
『説、【空の支配者】の死骸を回収するのはいかがでしょう』
できるのか?
『死体の『お掃除機能』がございます』
んんーじゃあ頼む。
『【空の支配者】の死骸を吸収しました』
『伝承【腐食竜を己の糧に】、【竜を土に還す】を達成』
『伝承ポイントを10獲得』
『ドロップ品【翼竜の骨】を獲得』
なんだか竜系は伝承の獲得になりやすい気がするな。
やっぱりドラゴンってやつは、古今東西のロマン生物だからだろうか?
伝承といえば、【千年書庫】も大変なことになっていそうだ。
なにせ345冊も新たなに追加されているわけだし。
どれどれ、うわっ……かなり面白そうな書物が追加されてるぞ!?
ええと、その中でも特に気になるのは【血染めの魔王】だな。
この魔王は別名【夕染めの魔王】と人族に恐れられていて、かの【剣聖】が沈めた魔王の一人だったはず。
その名前の由来は、空を真っ赤に染めてしまうほど大量の血を咲かせ、人々の亡骸を山のように積んだとの逸話がある。しかし、この本を読んでみて印象が180度変わってしまった。
【血染めの魔王】は元々、人族が大好きで融和政策を取っていた。
人族の身体を研究し、人族への理解を深め、人族に有効な治療魔法の開発や商業取り引きを目指していたようだ。
その一環として、処刑予定の罪人などを帝国や王国から譲渡してもらい、人体実験も行っていたようだ。
特に新薬の治験だ。
その人体実験は人類への冒涜とみなされ、血塗られた魔王として【剣聖】が討伐に出たのだとか。魔王側としては友好関係を築けていたはずが、急に手のひら返しの不意打ちをされ、魔族全体は大打撃を被ったらしい。
おかげで魔王亡き後、【夕染めの魔王】は魔族全体の希望の灯を沈めてしまった戦犯と語られているらしい。
【夕染めの魔王】が魔族にもたらしたのは、統率者のいない内乱の到来。それは魔族同士の争いで血に染まり、暗黒へと続く夕焼けの時代だとか。
『説、ガチャシリーズ【人族に憧れた魔王】が追加されました』
『50%……【起動:人化魔法Lv1】』
『49%……【起動:血×Ε武◆§〇Lv1】』
『1%……【宝物:???】』
そんな魔王の物語は俺に希望を灯してくれた。
【人化魔法Lv1】とやらが気になりすぎる俺は、急いで11回ほどガチャを回す。
『72万9610ポイント → 72万9500ポイント』
『【起動:人化魔法Lv1】×5を獲得 → 【起動:人化魔法Lv5】に統合』
『【起動:血戦の武具職人】×5を獲得 →【起動:血戦の武具職人Lv5】に統合』
『【宝物:夕染めの双角】を獲得』
おおっ、1%の【夕染めの双角】まで引けちゃったぞ!
『説、【夕染めの魔王】の双角。あらゆる素材に使え、強力な【夕焼け魔法】と【血戦魔法】の力を秘めています』
なるほどなるほど。
ひとまず魔王の双角は宝物殿にしまっておいて……【起動:血戦の武具職人Lv5】も気になるけど、やっぱり一番は【起動:人化魔法Lv5】だな!
『説、【起動:人化魔法Lv5】は発動してから50時間ほど人族に変身できます』
まさか、まさか人の姿に戻れる日が来るとは夢にも思わなかったぞ!
でももし俺が【人化魔法】を発動したら、この城全体はどうなるんだ?
『問題ありません。私がいますのでそのまま存続します』
なるほど。
じゃあ俺が人間の姿になっても、城の中や浮遊大地を散策できるってわけだ。
まあ城としての感覚で周辺を感知はしていたから、だいたいどこに何があるのは把握している。しかし細かい箇所は確認しきれていない。
ここは一度、人間の姿になって改めてここがどんな所なのか見て回るのが良いだろう。
『説、【見守る者】のステータスは【神話を生む天空城】と同等です』
『無闇に生物と戦闘しないでください』
というとやっぱり危険なのか?
『逆です。生態系を崩さないようにお願いします』
あ、俺そのものが危険なのか……。
ちなみに俺の、俺たちのステータスを参考までに聞きたい。
『HP530 MP530 力77 色力530 防御810 素早さ15です』
よく周囲を飛んでる翼竜とか、お腹の辺で暴れてた大熊や大狼は?
『推定、平均ステータスが20~50前後になります』
誤って周囲の生物を殺したりしないようにしよう。
それにしても守りたい人たちを全て失ってから、切望していた力を手に入れるのがこれほど侘しいとはな……。
とにかく俺は【浮遊する者】の言葉を肝に銘じて、【人化魔法Lv5】で習得する【完全人化】を発動してみる。
「あ……」
―———風。
そう、最初に感じたのは風だった。
雄大な大空に流れる心地よい風の波が全身に吹き抜ける。
城だった時も風を感知できていたけど、人間の肉体で感じるのとはまた違って、ここまで大きいとは思わなかった。
そして次は目を開けると、どこまでも澄み切った蒼穹の空が出迎えてくれる。
人の目で見る天空はやはり突き抜けて気持ちのいいものだった。同時に、朽ちてなお荘厳な城の佇まいが視界に入れば、どこか寂しくも圧倒的な神秘さを感じさせられた。
そんな恐れ多い気持ちを落ち着かせてくれるのが、優しい色に溢れた緑豊かな庭園だ。
それに音もいい。
城内のそこかしこで生物の息吹を感じられ、俺の世界に彩りを咲かせる。
風に揺れる木々の囁きや、風に舞う花や葉の舞踏会。
川や湖のせせらぎの音色。
庭園に住む虫の音や、鳥のさえずる声。そして肉食動物たちの生存競争などなど。
ああ、『花精霊』たちが花々を慈しむ歌声まで聞こえてくる。
さらにズシン、ズシンと地面が揺れるほどの大音量を出しながら歩くのは【古代樹の世話人】だ。
大樹が二本足で動き、その巨大な両手で鳥の巣から落ちた卵を拾っては優しく元の巣へと戻していた。
あまりにも大きな指で小さな卵をつまむものだから、割らないかとヒヤヒヤしながら見上げていたら、その【古代樹の世話人】が静かに傅いてきた。
「コレハコレハ、主ヨ……イツモ我ラヲ見守リクダサリ、感謝シテオリマス」
彼にそっと手を伸ばせば、ザラザラゴツゴツした樹木の手触りが手のひらを通じて伝わってくる。
同時に彼の『木々や生物を見守りたい』との優しい意思も。
「ああ……人間、俺は人間だったんだな……」
「主ヨ、散歩ノオ共ニ立候補シマス」
それから俺は【古代樹の世話人】の心遣いに乗っかり、彼の肩に乗せてもらって周囲を散策した。
木特有の落ち着く香りや、葉っぱの瑞々しい香りが今はすこぶる気持ちいい。
【古代樹の世話人】の頭で巣を作っている小鳥たちのさえずりは、陽気な気分へと導いてくれる。
「素晴らしい……人とは、生きているとは、こんなにも素晴らしいのか……」
あぁ、空一つ見ただけで、誰かと触れ合っただけで、こんなにも心を動かされるとは……これほどまでに人間とは素晴らしい感覚を持っていたのかと痛感した。
城になってからあまり考えないようにしていたけど、やっぱり寂しかった。
全てを失って空しかった。
悲しみとしっかり向き合い、泣くことすらできなかった。
だが、今は人の姿になって、両目から涙をこぼすこともできる。
「うぅっうぅっ……」
戦争の無念を思って泣いているのか、久しぶりに味わう肉体に感涙しているのか……定かではない。
ただ、こんな気持ちに気付かせてくれた天空城の全てに。
そして再び人間の姿を取り戻せるきっかけを作ってくれたラピュタルに。
俺は心の底から感謝した。
俺の……次の生きる目的はここでもいいんじゃないかと、そう思えた瞬間だった。
『説、【見守る者】の思うがままに過ごしてください』
『ゆったりと心地の良い、そんな世界を創造するのはいかがでしょうか?』
『そして気が向けば伝承を追い求め、ワクワクに遭遇しましょう』
あぁ、あぁ、そういうのがいい。
些細な出来事や、日々の何となくに感謝できるような————
そんな毎日が俺は好きだった。