31話 大迷宮
「ミューミスとは! 古王国語の断片であり、『深き母』を意味するのです」
「ミューミスさまあ」
「私たちをこの苦しみから解放してくださいい」
「『ミュ』は母なる大地や、暗黒、母胎を……! 『ミス』は命の息吹、神の残り香を意味します! つまり、地の奥底で命を育む女神なのです!」
「地底の女神万歳!」
「我々を新たなる生命に返り咲かしてくれる!」
「もう亡くなった夫を思って辛い夜を過ごさなくて済むわ」
リブラのお母さんに連れて来られたミューミス教徒たちの集会は、倒壊した教会跡で行われていた。
「……ここって前のソルジャス孤児院じゃないか」
なんとそこは、俺が16年前に廃教会を改築して作った孤児院跡だった。
まさか自分が孤児院を建てた地下から大迷宮が見つかり、さらに小人神ミューミスなるものが潜んでいたと思うと少しだけ面白かった。
当時もまた伝説や伝承に憧れてはいたが、まさか自分の足元に神が潜んでいたなんて夢にも思わなかった。
やはり伝承とは身近にだって存在するのだ。
「小人神ミューミス様が神聖であるのは間違いありません! なぜならこの地下迷宮は、王都内の全ての戦乙女オルトリンデ聖教会に通じているからです! 戦争で忘れてしまった教えを、今! 思い出すべきなのです!」
「そうだそうだ! ぽっと出の巨神なんかに俺らの何がわかるんだ!」
「巨神はただ敵を踏みつぶすだけじゃないか!」
「うちの畑はあの戦いで全部焼かれちまった! 巨神になあ!」
「ミューミス様は私たちの苦しみに寄り添ってくれるわ……」
なるほど……ミューミス大迷宮が全ての教会地下に通じていると。
どうして王都の地下に大迷宮が張り巡っているのか、新たなる伝承の匂いにワクワクする。
しかしミユユを狙う勢力が、全ての教会から強襲可能なのはやはり不穏だ。
何より、目の前で起きている光景には思わず目を背けたくなった。
「さあ、選ばれし信徒よ、ここに!」
選ばれた2人が前に出ると……ぽっかりと穴の開いた地面に自らの身体を入れた。そして他の信徒たちが次々と土をかけていき、2人は首だけが残された。
さらにその近辺には憔悴しきった生き埋めの信徒が2人。
腐った顔の信徒が6人。
頭蓋骨のみとなった信徒が10人。
「さあ! 土に還るのです!」
俺たちの孤児院だった場所で、地獄のような儀式が行われていた。
これはリブラがミューミス教を忌避するのもわかる。特に彼女のような前途有望な若者であれば、過去の悲しみを引きずり続けるよりも前を向いて歩こうと決意するだろう。
しかし、全ての人間がそこまで強くない。
苦しみからの解放に正当性を持たせてくれるミューミス教こそが、救いだと信じる者だっている。
……リブラのお母さんのように。
「お母さんは……私を置いて死んでもいいんだね」
「違うわ。あなたと一緒に生まれ変わって、やりなおしたいの。父さんだって戦死して土に還ったんだもの。きっと会えるわ」
どちらも望む未来を掴みたくて、信じて、相いれない思いを抱えているようだ。
「私もかつては王国兵として戦場に出ていました」
だから俺は周囲には聞こえない声量で、二人にポツリと言葉をこぼす。
「多くの戦友と、大切な人を失いました。それでも子供が生き残って感謝しています。このまま生きていても、死んだとしても、不確かな未来しか残っていないのなら。確実にある『今』を大切にしようと心がけています」
俺の言葉を聞いた二人がどう思うかはわからない。
ただの俺がここに来た目的はミユユに迫る危機を察知するためでもある。
だからこそ俺はニコリと笑う。
「今日、この日に出会ったミューミス教もまた大切になるかもしれませんね?」
そんな俺を見て明らかに嫌な顔をするリブラに対し、お母さんは瞳を輝かせた。
◇
「ほう、新たにミューミス信徒になりたい者がいると」
リブラのお母さんに案内されて、俺はさらにミューミス教の懐へと入る。
「私は元王国兵として、あの戦争を戦い抜きました。タリスマン元下級兵です」
目の前の神父らしき壮年の男性は、厳かに俺を見て深く頷いた。
ちなみにリブラは以前お母さんに連れてこられ、すでに入信済みらしい。
思ったより簡単に入れそうなので、そこまで後ろ暗い宗教ではないのかもしれない。おぞましい秘密を抱えている者たちは、決まって警備や入信を厳重にするものだがそうではないようだ。
いや、まあ白昼堂々と人を生き埋めにする儀式には度肝を抜かれたけども。
「よくぞあの戦争を生き抜いた、タリスマン下級兵」
そう言う神父の瞳には憐憫と、本気で俺を尊敬する色が見えた。
これは……予想以上に厄介かもしれない。
おそらく本気で神父は、【小人神ミューミス】が救いをもたらすと信じていて、その信念や教義に誇りを持っている。
だからこそ、命を賭けて戦った下級兵にもこれだけの敬意を示せるのだ。
「では、我らが楽園に案内する。そこでタリスマン下級兵がミューミス教徒にふわさしいかわかるだろう」
信心深い神父は不思議な実を取り出した。
そんな神父の動きに呼応して、複数の信徒たちが10人近い子供たちを連れて来て次々とその実を口に入れさせた。
俺は大丈夫なのか? とリブラに目で問えば小さく頷いてくれる。
ここまで来てたら引けないので、俺は神父からいただいた実を口に放り込んだ。
「これは小人神ミューミス様が生んだ奇跡の種子、【小さき運命】です」
神父の口上を聞いてるうちに、俺の視点はみるみる低くなっていき……もはや神父が巨人に見えるほどまで、俺の身体が縮小していた。
一瞬、幻覚剤の類かと疑ったが、周囲の信徒たちや子供たちも同じく縮んでいたので、周囲の物が大きく見える幻覚ではないようだ。
その証拠に数瞬後には神父も俺と同じサイズに変貌し、全てが巨大になった世界を共にする。
「さあ、ありとあらゆるものが大きく、私たちを包み込んでくれる。小さな日常にこそ偉大なものは溢れているのだ……!」
なるほど……。
これは確かに、なんてことない日々に感謝しやすいデモンストレーションだ。
戦争で大切な者を失ってしまった人々は、暗澹たる日常を過ごしていたはずだが、そんな日々のなんてことない物すら巨大に見せる。
感謝の対象にする、それはきっとふさぎ込んだ心に光を灯しただろう。
そしてこれだけの奇跡を見せてくれるのなら、生まれ変わって幸福に生きる未来だって実現してもらえるかも、と信じやすい。
「さあ、ミューミス大迷宮はこの下です。小人神の成した偉業を、奇跡を、その目に焼き付けるのです」
こうして俺は孤児院跡の小さな穴に……王都の地下に張り巡る【ミューミス大迷宮】に足を踏み入れた。
『説、【伝承位】の存在を確認』
ああ、ラピュタル。
おそらくは【小人神ミューミス】とやらだろうな。
『警戒を怠らないようにお願いします』
『万が一に備え、【伝承位】の守護者【戦乙女ブリュンヒルド】を出撃させます』
確かに……万が一にも【小人神ミューミス】や【巨神タイタス】とやらが王都でぶつかり合った場合、尋常じゃない被害が出そうだ。
その辺も踏まえると、今いる戦力だけでは心もとないのも確かだろう。
わかった、頼む。
『しかし、ここからでは【戦乙女ブリュンヒルド】の疾走であっても五日はかかるかと』
俺たちは竜で飛んできて王都まで三日だったが……。
徒歩の全力疾走で五日って……戦乙女ってすごいんだな。




