1-6 メルノア ルクスに大苦戦
「これでよし」
彼らのために、簡単に墓を作った。名前は知らないから、岩に『ガブリエル王国の騎士たち ここに眠る』って短剣で刻むだけ。それでも、何もないよりはマシでしょ。
「ほんと、面倒なもの押し付けてくれたな…」
墓標の前で、ボソッと呟いた。赤子――ルクスを抱き直し、私は再び北へ向かう。
一時間ほど歩くと、死の森を抜けた。視界が開け、目の前には巨大な都市が広がっていた。思ったより早かったな。これで、この子から解放される。内心少しホッとして歩を進めようとしたその時。
寝ていたルクスが目を覚ました。
「……何よ」
思わずそう問いかけるけど、当然返事なんてない。ただ、透き通るような蒼い眼で、じっと私を見つめてくる。
「……ごめん」
無言の責めを感じた私はそう呟き、視線を逸らした。
「そこのお前!止まれぇい!」
巨大な門を越え、街に入ろうとしたところで門兵に声をかけられた。しまった、誰でも入れるわけじゃないのか。……こっそり入ればよかったな。
「もしかして、入国許可証が必要?」
そう尋ねると、門兵は鼻で笑った。
「許可証?そんなものはいらん!ここは、自由と平等を重んずる国、ローランド辺境国だぞ!」
なんだよ、ビビらせんな。それにしても、自由と平等?胡散臭い国だな。
「んじゃ、入るね」
「いや待て待て待て!お前の見た目とその格好…なんか怪しい。持ち物を検めさせてもらう」
おいおい。さっきの話と違うじゃん。銀髪に褐色の肌の私は、ここでも目立つのか…。
「自由と平等は?」
「最低限のルールがあってこそ成り立つものだ。それに最近、魔王が復活したせいか、物騒な連中が増えていてな。協力してもらうぞ」
マズイ。もし右眼を見られて、魔人…魔族だとバレたら――。
静かに、腰に据えた短剣に手をかける。
「とりあえず、その布の包みをこちらに渡してもらおうか」
門兵がそう言いながら手を伸ばしてくる。
え、赤子って気づいてないの?布で包まれて顔が隠れているせいか、静かにしてるとただの荷物に見えるらしい。
「いや、これは荷物じゃない。」
咄嗟に門兵の手をかわした。瞬間、門兵の顔が険しくなる。
「やはり…お前怪しいな!門兵歴三十年…この私の目に狂いはなかった!さっさとそれの中身を見せろ!」
剣に手をかける門兵を前に、私は溜息をついた。仕方ない。隠してるわけじゃないし、これ以上面倒になる前に見せるか。
私は、ゆっくりと布をめくった。すると、門兵の表情は、みるみる笑顔に変わっていった。
「おいおいおいおい!なんてきゃわいいんだ!お前、赤ん坊を抱えて旅してたのか!?」
え、なにその反応?予想外すぎて言葉が出ない私をよそに、門兵はすっかりルクスに夢中だ。
「その若さで赤子と二人旅なんて…よほどの事情があるんだろう?気の毒に…。でも安心しろ。この国は、どんな境遇の人間でも受け入れるからな!」
いやいや、何その偏見。それに、私はアンタが思ってる以上に歳とってるわ。まぁ、絶対に言わないけど。
「よし、通っていいぞ!気をつけて行けよ!何かあったら、相談しに来い!」
満面の笑顔で手を振る門兵を横目に、私は呆れながら街の中へ歩を進めた。
「……やるじゃん」
腕の中のルクスに微かに笑いかけると、それにつられるように小さな笑顔が返ってきた。
そして、街に入ってからも――
「あなた! 痩せすぎじゃない? 子ども育てるなら、ちゃんと食べなきゃ! ほら、これ持っていって!」
「赤子はな、ワシら老人にとって宝じゃ。しっかり育てるんじゃぞ? 必要な本も持っていけ」
「おい姉ちゃん! 子ども用の部屋がちょうど空いてるぜ! お代? 家族割で格安にしてやるよ!」
な…なんだこれ。まるで王様にでもなった気分だ。街の人みんなが優しい。優しすぎる。私一人だった時は、いつも恐れられるか、蔑まれるかのどちらかだったのに――。
人間の赤子…恐るべしだな。
「はぁ…つかれた」
宿の部屋に着くなり、重い荷物を机に乗せて、ソファにどさっと腰を下ろした。腕が痛い。ずっと抱きっぱなしだったからな。今は寝てるみたいだし、丁度いい。そーっと…。
備え付けの木製の赤子用ベッドにルクスを寝かせ、私の手が離れた、その瞬間――。
「オギャアオギャア!」
ルクスがはじめて泣きわめき出した。
「どどど、どうして。寝てたじゃんアンタ」
慌ててベッドにかがみ込み、抱き上げる。だけど、泣き声は止まらない。
「ほ…ほら、泣き止めってば」
王都で見かけた母親たちを思い出しながら、必死に揺らしてみる。けど、全然効果がない。ていうか、赤子の泣き声って、なんでこんなに焦燥感に駆られるの?マジで焦るんだけど。
ルクスを再びベットに戻し、急いで「赤ちゃんでもできる!赤ちゃんの育て方」の本を開く。こんなことがあろうかと、古本屋で買っておいたのだ。あらゆるアクシデントを想定し、プランを立てておく——そう、私は暗殺者。
「『空腹感による泣くという全身運動』…フッ、これね」
なんてことはない。いつも通りだ。私は、どんな困難な任務もこなしてきた。今回だって同じだ。さて、赤子の食事はっと…。
「ぼ…母乳? お…おっぱい?」
思わず、自分の胸に目を向ける。少し戸惑いながら、両手で鷲掴みにし、恐る恐る、揉んでみた。……が、当然ながら何も出なかった。多少でかいだけでなんの役にも立たないな……。強さの加減が問題かと思い、力を込めて揉んでみたが、弾力を感じるだけだった。
「……詰んだかも」
部屋には、ルクスの泣き声が響き続けていた。
「やっと…寝た…」
重い溜息とともに、私は椅子に崩れ落ちた。
あれから何時間経ったんだろう。泣き叫ぶルクスをあやしながら、寝かせるのに悪戦苦闘して、ようやく一息つけた。
ルクスの食事問題は、なんとかミルクで解決した。本に最初からちゃんと書いてあったのに、それを見逃してた自分を殴りたい。危うく、ルクスに自分の胸を吸わせるところだった。でも、次はもっとうまく…。
「って…なんでこんな必死になってんだ私は」
ふと冷静になり、疲れた顔で苦笑する。”次”って何よ。どうせ、明日でお別れなのにね。
「下手な魔物より手強かったよ…アンタ」
私の苦労も知らず、ルクスは小さな寝息を立てている。その寝顔につられて、私もいつの間にか、ルクスのベッドにもたれたまま、眠りに落ちた。