1-5 その子の名はルクス
「やぁ…無事でよかった」
青い短髪の若い騎士は、布に包まれた何かを抱きながら、大木にもたれて座り込んでいた。手で腹を押さえ、その隙間からじわじわと血が滲み出ている。
――もう、長くないな。
せめて最期くらいは見届けよう。そう思い、私は彼の隣に腰を下ろした。
「終わった…のかい?」
「うん。間に合わなくてごめん」
「いや、来てくれただけでも充分だ。無関係な僕たちのために戦ってくれて……本当に感謝してる」
その言葉に、胸がちくりと痛む。完全に私の気まぐれでここに来ただけなのに、こんなふうに感謝されるなんて…正直しんどい。
少し迷ったけど、白状してしまうことにした。
「……ぶっちゃけ、来るか迷ったんだけどね」
彼は少し驚いた顔をしたけど、すぐに口元を緩めた。
「ふはっ。正直だな、君は」
彼は小さく笑った後、そのまま続けるように言葉を口にする。
「なぁ…君は、魔族なのかい?」
唐突な質問に、不意を突かれてギョッとし、心臓が一瞬ドクンと跳ねた。なんで急にそんなこと……いや、そうか。骸の王との会話を聞いていたんだ。
「だったら…何か問題?」
少し警戒しながら返すと、彼は力なく首を振り、かすかに微笑んだ。
「いや…気を悪くしたならすまない。ただの、死にいく者の戯言だよ」
ずるい。そんなこと言われたら、答えないほうが悪いみたいじゃないか。私は、小さくため息をつき、口を開いた。
「……魔人よ。人と魔族の混血種」
一瞬、彼の表情が変わった気がした。でも、「そうか」と短く答えると、すぐにまた柔らかい笑顔を浮かべた。
その後、しばらく沈黙が続いた。森は静まり返り、さわさわと風の音だけが耳に残る。その中で、彼がふとつぶやいた。
「君の…名前は?」
「……メルノア」
「メルノア。最後に一つ、わがままをきいてくれないか?」
若い騎士は、震える手で布の包みを差し出してきた。戸惑いながらも、私はそれを受け取る。布越しに伝わる温かさ。そして、思ったよりもずっしりとした重み。
――何これ?
中身を確認するため、私はそっと布をめくった。
「………え?」
目に飛び込んできたのは、輝く金色の髪。閉じられた瞼の上には長いまつ毛が影を落とし、小さな口がかすかに動いている。
人間の赤子だ。
「か…かわいいだろ?その子を…守ってあげてほしい」
「はぁ!?ふざけないで!そこまでする義理なんてないでしょ?」
静かに看取るつもりだったのに、思わず叫んでしまった。こんなお荷物を抱える余裕なんて、あるわけないでしょ。
「その通り…義理なんてない。だから、これは僕のわがままだ」
「悪いけど無理。諦めて」
冷たく言い放ち、赤子を彼に返した。人間の赤子を連れるなんて、私にはとんでもないリスクだ。
やっぱり、ここに来るべきじゃなかった。
私は彼を見ないようにして立ち上がると、踵を返してその場を後にしようとした——その時。
「君がきた途端…!この子は泣き止んだんだ!」
う、嘘でしょ?
振り返ると、若い騎士が立ち上がっていた。傷だらけで、今にも倒れそうな体を震わせながら、それでも赤子をしっかりと抱き、フラフラと私に近づいてくる。
「あんなに激しい戦闘があった中でも…安心したようにずっと眠ってたんだ…!今だって…!」
「し…知らない!こないで!」
思わず声を荒げて一歩後ずさる。それでも彼は足を止めず、とうとう私の目の前に辿り着いた。
「この子が、君を選んだ。僕はそう感じている」
死にかけている人間とは思えない、真っ直ぐな目。思わず目を逸らしてしまう。
「私は…魔族よ。それに、もう誰とも関わりたくなんてない。この子を捨てるかもしれない」
自分で言っていて、ズキンと胸が痛くなった。でも、そう言うしかなかった。私には…とても背負えない。
彼は、ほんの少しだけ驚いた顔をしたあと、穏やかな笑みを浮かべた。
「魔族かどうかなんて…そんなの関係ないよ。僕は、メルノアを信じる。それに、本当は一人は嫌なんだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に熱いものが広がるのを感じた。そして、自分でも気づかないうちに、差し出された赤子を受け取っていた。
「……近くの街に連れていく。それだけよ」
そう答えると、彼は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう」
その言葉と同時に、彼の体がぐらりと崩れ落ちた。
「ちょっ…!」
慌てて手を伸ばしたが、届かない。彼はそのまま地面に力なく横たわる。
「その子の…名は…ルクス。僕たちの…希望の光…」
そう言い残すと彼の目から光が消え、事切れた。
「ルクス…」
私がそう呟くと、赤子はゆっくりと目を開けた。
澄んだ、どこまでも深い青い瞳。
私が触れようとすると、小さな指が私の指を掴んでくる。その力は頼りなく、それでも不思議なくらい温かく感じた。