そんな事言えない
――この二人で話してるところを初めて見た。いや、二人は同学年なのだから私の知らない何か繋がりがあってもおかしくないんだけど。
並木先輩とうちの部長が何やら話をしている。ただそれだけなのに二人がそれぞれいつもと違うように思えてしまう。
並木先輩はふたつ上の幼馴染。斜め前の家の子。当たり前だが通学路は同じなのでよく顔を合わせる。挨拶もするし当たり障りない話をする時もある。
でも学校じゃ見かけても話しかけたり話しかけられたりはしない。学年がふたつ違うというのは結構大きい。目があったらちょこっと笑いあったり手を振ったりするくらいだ。
昔は向こうが小学生だった頃までだろうか。他の近所の子と日が沈むまで一緒に遊んでいた。昔は並木先輩なんて呼び方ではなく、美音ちゃん、恭平くんと呼び合っていた。
その頃と比べたら他人行儀になってしまったけれど、今でもこうやって交流があるだけマシな方かもしれない。
部長は……部長だ。私の所属する部活の長で、部員が少ないせいもあって他の部活とは一味違う関係というか、二学年上の先輩なのに親しい間柄になっている。というかいちいち干渉してくる。
私は特に部長とよく出くわす、というかターゲットにされている気がする。面白半分おせっかい半分といった感じだが、根が良い人だから嫌ではない。ただちょっと面倒くさい。学区が違うのでこの学校からしか知らない人だったのに、下手したらうちの家族より今現在の私に詳しいし、私も向こうの成績とかマイブームを知ってしまっている。
とはいえ部長に並木先輩が実は幼馴染だとは話していない。今もめっちゃ仲良しというわけでもないし、なんか教えたらめんどくさそうだからそういう話題にならないように避けていた。
その逆もした事がない。並木先輩にわざわざ違うクラスの部長のことを言うほど話してはいない。
そんな二人がまだ目の前で話し続けている光景。もしかしたら私が入学する前に同じクラスだとか委員会だとか、受験の時に隣の席だったとか、なにかしら私の知らない秘密の過去があるのだろうか……。気になる。
砕けた感じで話しているのでそこまで真面目な話ではなさそう。よし、近づいて話が聞けたら聞いてみて、いけたら思いきって声をかけよう。と思った矢先、ふと部長の話に耳を傾ける並木先輩に目がいった。
意外な組み合わせのせいだろうか。それとも近所の幼馴染のお兄さんに妙な恥ずかしさがあって、顔をはっきり見ないようにしていたからだろうか。
普段気にした事のない並木先輩の顔をまじまじ見てしまった。長めの前髪。長いまつげ。ハッキリした二重。口元に当てられた白い指先。薄い唇。鼻筋の通った顔。並木家の御両親の良いとこ取り。
――なんて、綺麗な顔なんだろう。そんな言葉がすっと頭に浮かぶ。と同時にハッとした。綺麗って、……何?
私は、並木先輩を、男の人を、ずっと知ってるはずの人を、今この瞬間初めて綺麗だと思った?
急に心臓が波打ち出した。声をかけるどころじゃない。これは今話したらダメなやつ。何なのこの気持ち。
今日の私だけ目がおかしいのか、頭がおかしいのか、何だかよく分からない。でももう一度見てみても……綺麗、だと思う。あれ? 昔から綺麗だっけ? そんなことはなかった気がする。顔は多分今朝や昨日と変わってない。今朝挨拶したよね。その時は何とも思わなかった。
……どうした私!?
突如の動悸息切れにより一時後退を図ろうとしたものの、スムーズさを欠いていたようだ。最悪なことに部長が私に気づいてしまった。こっちを見てほくそ笑む部長に少し遅れて並木先輩も私に気づく。並木先輩は一瞬驚いた顔をして怪訝そうな表情に移っていく。
やめてよ、今は気づかれたくなかった。特に並木先輩の方には……。
「……美音、なんで赤くなってんの?」
彼の声は普段と同じくとても低い。テンションも低い。明らかに男の声だ。そりゃそうだ。どう見ても男だもん。
いくら今日の私の目がおかしくなっていて綺麗に見えたとしても、話せばいつもの彼だ。声は低過ぎて聞き取りにくいくらいだしテンションも低いから初対面の人には怖く見える。
こう見えて意外にお茶目なんだけど……って、私は何でそんな人を綺麗だと思ってしまったの?
私はこんなに彼の顔に注目した事がない。というかこんなに注目されるような顔ではなかったはず。綺麗はもちろん、周りからも並木先輩の見た目についての話なんて聞いたことが無い。……もしかして私が興味なかっただけであったのかもしれないけど。
急に先輩が変わったとか? いや、顔が急に変わった訳でもない。いつもと同じ顔だ。なのに綺麗に見える。となると私が変わった?
今何が違うと言えばこの二人の組み合わせが珍しいくらいで、彼はいつもの彼なのに、なんでこんなに私は照れくさい気持ちで動けないの? この気持ちはもしや私に今まで縁のなかった……。
私が返事もせずに顔を両手で覆ったまま固まっているので、二人は困ったようだ。
「曳野、おーい? あーあ、どうしたんだろうなー?」
「うん……? 何か用があったんだろうが、ぼーっとして顔も赤い。熱でもあるのか? 朝は元気そうだったぞ」
「えー、俺にはそうは見えませんけど」
「じゃあお前にはどう見えるんだ?」
「そうだな、むっつりすけべというか」
「……は?」
何言ってんだとばかりに並木先輩が部長に返事をする。
部長の馬鹿! セクハラ! といつもなら余裕で言えるのにそれも出てこない。それどころかもじもじして顔すら上げられない。私こんな性格だったっけ?
「おい、お前が変なこと言うから美音の耳まで真っ赤になったぞ!?」
「ヤバイねぇ、色々と」
「色々と?」
訝しげな先輩をよそに笑いを堪えているかのような部長の声が聴こえる。うう、ホントやだ。しかもなんか私に寄ってきた。でも逃げるのも恥ずかしいし……。
やけに優柔不断になった私の耳元で囁き声がする。
「曳野、それは恋だ」
「ち、違っ、違います!」
私が上ずった声で反射的に反論してしまった事なんて気にも留めないで、部長は更にさっきよりもより小さく、私にもギリギリ聞こえるかどうか怪しいような声量で囁き続ける。
「やっと君にも初恋が訪れたんだと思うと感慨深いよ」
「な、それじゃやっぱりこれって……」
「俺には秘密にしていた幼馴染ってところで可能性ありそうだと思ってたけど、まさかその瞬間に立ち会うとは」
「あーあーやめてください! なんでそんなのまでわかるんですか!」
「……実は俺も今、恋をしているんでね。分かるんだよ」
「え、部長が!? だっ、誰に!?」
「それは……いくら曳野相手でも言えないね」
「あっ、……部長!」
部長は私から離れて、今まで話していた並木先輩も置いて、逃げた。
さっき部長が発言したむっつりすけべ発言仕返しも含めてこの事は追求しなければならない、絶対に。というか幼馴染なのをどこから聞いたんだこの人。そもそもどういう関係なの二人は! 聞かなきゃいけないことだらけだ。
と、その前に並木先輩を見た。部長が私に何を言ったのか、並木先輩はさっぱり分からないのか首をひねっている。あ、目が合った。何か言いたげに口を開きそうな彼……駄目だ、私いつもと違う。気を張ってないとなにか言おうとして変な声が出そう。
もう、これも恋だなんて部長が言うからだ!
「美音、大丈夫か?」
「あーうん! 元気だよ! なんでもないよ!」
「大丈夫じゃなさそうだぞ……?」
「ううう、確かに今のはちょっと、大丈夫じゃないかも」
「……あいつ、美音のところの部長だったんだな」
「っうん、言ってなかったっけ?」
ああああ、なんか久しぶりにこうやって真正面から心配されてる感じが、今とても心臓に悪い。私や部長に困惑した表情がより綺麗に見えるなんて、これは本人には死んでも言えない……。
「悪い奴じゃないけど、気になる後輩って言ってたのがお前だったんだとはな。むっつり扱いまでされて」
「違うから! 私そんなんじゃないから!」
「分かってるよ。でもその後もなんかあいつに言われてたみたいだったし……まさかいじめられてたり?」
「並木先輩……恭平くん……うわああ……もう、限界かも」
「お、おい!?」
「ごめん! 落ち着いたらちゃんと話します!」
これ以上耐えられない。感情が暴走して、なんなら泣いちゃいそうで私も逃げた。泣いたら本格的に部長が私をいじめているように思えちゃうだろうし。……いや待て、逃げても肯定したように思われるかも?
こうなったらまず部長を捕まえて、いろいろ疑問の答えを吐かせてから改めて並木先輩に当たろう。彼と意外に仲が良さそうで、この気持ちをどうすれば良いのかも知っていそうな部長を捕まえて絞り上げなければ。……二人はどうも私のことで出会ったわけでもなさそうだけど、私とは知らず私の話をしていたような……?
あーもう、そういえばさっき恭平くんって言っちゃったよ! 急にお久しぶりな呼び名に戻るのキモすぎるよね……。
現実逃避とばかりに部長との追いかけっこに向かう私。並木先輩からしたらいじめられてる相手を追いかけていったように見えるから余計困惑しそう。これから彼と話す時どうすればいいのかも分からない。
何だか急に世界が変わってしまった気がする。これが恋なの? その前の経験値というものが皆無故に恋か否かも正直判別できない。
ひとつだけ確かなのは、このままの気持ちを本人に伝えるのは絶対無理だということ。そんな事、恥ずかしくって言えない。