◆ 第一章 失われた錬金術(8)
◇ ◇ ◇
その二〇分後、玲燕は夕餉の場で困惑していた。
「本当に申し訳なかった。てっきり少年だとばかり」
床に頭がつきそうな勢いで謝ってくるのは天佑だ。
「いえ、私がわざと男性と取られるような態度を取ったのです。見知らぬ男が訪ねてきた際は必ずそうしているので」
玲燕はなんでもないように答えた。
顔を上げた天佑はその意図をすぐに理解したようで、何か言いたげな表情で口元を引き結んだ。玲燕はそれに気が付いたが、知らんふりをして話を変える。
「それよりも食事にいたしませんか?」
玲燕は先ほどから気になっていた目の前の食台を見る。
そこには見事な御馳走が用意されていた。白い米に、卵の入ったスープ、青菜の炒め物に搾菜、豚肉の煮物まである。その煮物からはまだ仄かに白い湯気が上っていた。
家賃を払うにも難渋していた玲燕は、毎日の食事も粗食で済ませていた。こんなごちそうを目にするのは、父が生きていた頃以来だ。
「せっかく用意してもらった温かい食事が冷めてしまいます」
「ああ、そうだね」
天佑は慌てた様子で箸を手に持つ。そして、手を合わせると食事を口に運び始めた。玲燕もそれに倣って食事を食べ始める。少し薄味のそれは、どこか懐かしい味がした。
「ところで、もう一度、例の鬼火騒ぎのことを教えてもらえますか?」
「ああ、もちろん。ここ数ヶ月のことなのだが──」
天佑は頭の中で起こった出来事を整理するように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
始まりは、だんだんと春の心地よい風が吹き始めた頃だった。
日増しに長くなる昼間と過ごしやすい陽気に、外郭城──皇城の周囲に広がる町に住む人々も夜の行動時間が増す。
そんなある日の晩、ひとりの男がほろ酔い気分で機嫌よく川辺を歩いているとふと川の方向から物音がした。怪訝に思って近づこうとしたとき、突如川の向こうに火の玉が現れた。そしてその火の玉は川辺に沿うように空を浮き、横切ったのだという。
「春先に川辺で? それは蛍ではないでしょうか」
玲燕は真っ先に思いついた原因を告げる。
川辺で見られる光と言えば、蛍が定石だ。ほろ酔いということは、その光を見たのは酔っ払いということだ。つまり、蛍の光を火の玉だと勘違いしたのではなかろうか。
「当初は皆、酔っ払いの痴れ言だと笑い話で終わらせていたのだよ。玲燕の言うとおり、蛍ではないかと疑う者も多かった。しかし、その日以降も度々火の玉が目撃されるようになって、刑部にも情報が入ってきてね。ここまで目撃情報が多いと、単純に蛍を見間違えているとも思えない」
「場所は?」
「水辺が多いね。その火の玉を見た者の話では、この世の炎とは思えないような気味の悪い見た目をしていて、真っすぐに目の前を横切って行ったと」
「この世の炎とは思えないような気味の悪い見た目? どういうことですか?」
玲燕は箸を止めて聞き返した。
その話を聞いただけでは、一体どんな炎なのか見当もつかない。
「奇妙な色をしている」
「奇妙な色?」
「オレンジや緑、それに黄色だと」
「天佑様はそれをご覧になりましたか?」
「一度だけ。緑色の摩訶不思議な光がゆらゆらと宙に浮いていた」
「緑色……。ゆらゆらと……」
玲燕は箸を箸置きに置くと腕を組む。炎が緑色など、確かに摩訶不思議だ。
「最近になって、朝廷の陰陽師が騒ぎ出してね。これは天の怒りの表れだと。我々としては一刻も早く事件を解決してこの騒動を終わらせたい」
なるほどな、と玲燕は思った。
『一刻も早く事件を解決してこの騒動を終わらせたい』
つまり、天佑はその不思議な光を端から鬼火であるなどとは思っていないのだろう。彼が恐れているのは天の怒りではなく、反皇帝派が活発になることだ。
そう指摘すると、天佑は穏やかに口の端を上げた。