◆ エピローグ
久しぶりに戻った甘家の屋敷は、以前と変わらず人気がなかった。その大きな屋敷の奥には、先祖を祭った祖堂がある。
玲燕は梅の枝を一本そこに供えると、手を合わせた。
「ここに天佑様が?」
「ああ、そうだな。両親とともに眠っている」
じっと祭壇を見つめていた栄祐は、「茶でも飲もう」と玲燕を誘う。
中庭に面した縁側に、玲燕は栄祐と並んで腰掛けた。
「それにしても、まさか褒美に女官になることを望むとはな。これでは、英明様にとっての褒美だ。錬金術師として勤務する女官は、光麗国で初だ」
「名前を偽り宦官と官吏を兼務する人間も、世界広しといえど天佑様おひとりでは?」
玲燕はいたずらっ子のような目で、栄祐を見上げる。
「そうかもしれないな」
栄祐は参ったと言いたげに、楽しげに肩を揺らした。
玲燕は潤王から尋ねられた褒美に、光琳学士院に錬金術師として勤めることを望んだ。今はまだ手続き中だが、近い将来に朝廷に仕える錬金術師となる予定だ。
そして、栄祐は今も〝甘天佑〟と〝甘栄祐〟の一人二役をこなしている。今更本来の栄祐には戻れないし、潤王からも一人二役しているほうが何かと勝手がいいと言われたようだ。
「いつか、天嶮学士になりとうございます。なれるかどうかはわかりませんが、目指してみようかと」
玲燕は、幼い日に見た父を思い出す。父の開く私塾に紛れ込んでは門下生と肩を並べ、父のような錬金術師になりたいと夢見た。
それを聞いた栄祐は、口元を優しく綻ばせた。
「それもいいかもしれないな。──今はまだ」
「え?」
ざっと強い風が吹き、玲燕は髪の毛を抑える。風のせいで栄祐が最後になんと言ったのか、よく聞き取れなかった。
「今、なんと?」
「頑張れよ、と言った」
「はい。ありがとうございます」
玲燕は微笑む。このようなチャンスをくれた栄祐には、心から感謝している。
「その日が来るのを、いつかお見せします。……栄佑様」
栄祐は驚いたように目を見開く。
「……この姿のときに、その名を呼ばれるのは久しぶりだな。楽しみにしている」
「私でよろしければ、ふたりきりのときはそうお呼びしますよ。名は親からの最初の贈り物です」
栄祐はこれから先の人生、宦官姿以外では甘天佑として生きてゆく。誰かひとりくらい、彼の本当の姿のときにその名を呼ぶ者がいてもいい気がした。
栄祐は嬉しそうに破顔すると、玲燕のほうへと手を伸ばす。
「あとで渡そうと思っていたのだが」
何かが髪に付けられたような感覚がした。
玲燕は耳の上の辺りを触れる。
「これは、簪ですか?」
「俺からの祝いだ」
「ありがとうございます」
「……意味は知らないのだな」
「なんの意味ですか?」
玲燕はきょとんとして、聞き返す。
「なんでもない。似合っている」
こちらを見つめる栄祐が、優しく微笑む。
その瞬間、なぜか胸が大きく跳ねた気がした。
玲燕は咄嗟に栄祐から目を逸らす。妙にどぎまぎしてしまうのは、男性から簪など贈られたことが一度もないからだろうか。
(綺麗……)
代わりに視界に映った梅の花は、満開だった。
まるで紙吹雪のように、美しく花びらが舞っている。
玲燕は空を見上げる。
父と母も、新たな門出を祝福してくれているような気がした。
(了)
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