◆ 第一章 失われた錬金術(7)
天佑はその門を慣れた様子で開けた。
「ここは私の屋敷だから、楽にしてくれ。身の回りをしてくれる婆やがひとりと、雑用を任せている使用人の男がひとり通いで来るだけだから。普段は皇城に泊まることも多くてね。あまり帰らないから、最低限の人しか雇っていないんだ」
それを聞き、玲燕は眉根を寄せる。
(こんなに広いところに、ひとりで住んでいるの?)
玲燕が大明に一時期住んだときも立派な屋敷だったけれど、ここはそれよりもさらに一回り以上立派だ。こんなに広い屋敷にひとりで住んで、寂しくはないのだろうか。
「著名な錬金術師をお連れするから寝具を干しておくようにと伝えてから屋敷を出たから、きちんと用意されているはずだ」
玲燕の眉間の皺を違うように捉えたのか、天佑は笑ってそう言った。
「疲れただろう? 少し休むといい。部屋に案内しよう」
艶々の板張りの廊下を歩きながら、玲燕は辺りを見回す。
天祐の言う通り、屋敷の中はがらんとして人気がなかった。広さが広さだけに、少々不気味に感じる。
「こんなところにひとりで住んで、寂しくはないの?」
「寂しい? そう思ったことはないな。なにせ、ほとんど帰っていないから」
「忙しいのね」
「まあな」
こんなに広い屋敷は維持するだけでかなりの額が必要になるはずだ。
(ほとんど帰らないのであれば、手放せばいいのに)
しかし、赤の他人である玲燕がそれを言うのは差し出がましいだろうし、天佑もそれ以上は詳しくは話そうとしなかった。
「ここだよ」
天佑はひとつの扉の前で立ち止まる。
案内されたのは手入れの行き届いた、明るい客間だった。二間続きになっており、一間には机と箪笥、もう一間には寝台が置かれている。寝具干すように伝えた、と言っていただけあり、寝台に敷かれた敷布からは太陽の匂いがした。
「もう少ししたら婆やが来るはずだ。それまで休んでいるといい」
「ありがとう」
「どういたしまして」
天佑は口の端を上げると、その部屋をあとにする。玲燕は天佑の後ろ姿を見送ってから、部屋に置かれていた寝台へと腰掛けた。
「さすがに疲れたわ」
こんなに長く馬車で揺られ続けたのは初めてだ。
座面がふかふかしていたからきっと高級車なのだろうと予想が付いたが、それでも整っていない道を走れば振動がひどい。お尻は痛いし、未だに地面が揺れているかのような錯覚に陥りそうになる。
玲燕は倒れ込むように寝台に横になった。何もしていないのに、ひどく疲れた。
(少しだけ……)
玲燕はそっと瞼を閉じる。
意識は急激に闇に呑まれていった。
◇ ◇ ◇
なんだかとても、寝心地がいい。まるで真綿で体を包み込まれたかのような心地よさに、玲燕はうとうととまどろむ。
そのとき、カタンと小さな音がして、はっと意識が浮上した。
「おや、起こしちゃったかね」
声がした方向──背後を向くと、見知らぬ老婆がいた。
半分近くが白くなった髪を後ろでひとつに纏め団子状にしている。よく見ると、老婆の前の箪笥が開かれており、中には沢山の衣類が収められていた。
「誰?」
「私はお坊ちゃんのお世話係をしている者ですよ」
「お世話係……」
「お坊ちゃんは〝婆や〟と呼ぶので、お好きな呼び方でどうぞ。学士様」
その老婆は顔に深い皺を寄せて、笑う。
玲燕は、即座にこの老婆が天佑の言っていた〝婆や〟なのだろうなと予想した。
穏やかな雰囲気と、少しだけ曲がり始めた腰、深い皺の刻まれたその顔つきが、どことなく育ての親である容を彷彿とさせる。
懐かしさを感じ、玲燕は自然と口元を綻ばせた。
すると、じーっとこちらを見つめていた明明は僅かに目を見開き、箪笥の中を見た。そして、今しまったばかりであろう衣類をおもむろに取り出し始めた。
「おやまあ。年頃のお嬢さんにこんな衣服を用意するなんて」
「え?」
「お坊ちゃんにはきつく言っておきます」
老婆はにこりと目を細め、立ち上がると全く歳を感じさせない足取りで部屋を出て行った。