◆ 第六章 後宮の闇を解く(10)
「井戸に関して、何か気になったことはありませんか?」
「気になったこと?」
「なんでもいいのです。いつもと違うことがありませんでしたか?」
玲燕は真剣な面持ちで、女官に尋ねる。
「……輪軸が昨日交換されました」
「ええ、それはさっき聞いたわ。他には?」
玲燕は問い返す。
後宮内部の井戸の輪軸を順次交換していることは、以前より聞いている。なんら不審な点はない。
「えーっと……、昨晩は井戸に氷が浮いていて、珍しいこともあると皆で話していました」
「氷?」
玲燕はバッと体の向きを変えると井戸の中を覗き込む。暗い井戸の奥に水面が見えるが、氷は浮いていない。
「浮いていませんが?」
「昨晩の話です。もう、溶けたのかと」
女官は困惑したように、言う。
(まだ巳一つ時なのに……。おかしいわね)
一日の気温は時間により変化する。一般的には日中の未の刻に一番気温が上がり、日が昇る直前の寅三つどきに一番下がる。夜寝る前に氷が張っていたのなら、朝は氷が広がっているはずなのだ。
今はまだ巳一つ時。氷が全て溶けるには早すぎる。
(前日の夜間の氷が、昨晩まで残っていたってこと?)
けれど、昨日の明け方はそんなに冷えていなかった。むしろ、昨晩急に冷えた印象だ。
(なら、どうして?)
そして、ハッとする。
(誰かが氷を井戸に入れた?)
その瞬間、玲燕の中でこれまでの全ての謎がひとつの筋となって繋がってゆく。
「この謎、解けたかもしれません」
「解けた?」
「はい。天佑様、至急で調べていただきたいことがあります。もし予想が当たっていたならば……潤王陛下の御前で、ご説明して差し上げましょう」
玲燕は口の端を上げ、天佑にそう言い切った。
◇ ◇ ◇
翌日、玲燕は朝議の場へと呼び出された。
朝議とは皇帝の御前で各省部の者達が報告を行う定例会議で、朝廷の有力者が一堂に会する場でもある。
玲燕は物陰からそっと朝議の様子を窺う。
一段高い位置に座る潤王の前に、ずらりと官吏や宦官達が並んでいるのが見えた。後宮内部の井戸の輪軸交換作業が全て完了したという報告もされているのが聞こえた。
定例の報告が終わる。
「昨日、後宮で恐ろしい事件が発生した。この件で、菊妃が犯人を突き止めたので、ここで説明してもらおうと思う」
いつもなら閉会の言葉を言うはずの潤王が発した言葉に、一堂は困惑したようにどよめいた。
「菊妃、ここへ」
「はい」
潤王に呼ばれ、玲燕はすっと息を吸って深呼吸してから、前へと出る。突然の菊妃の登場に、朝議の場はざわざわと騒めく。
「静粛に」
潤王の言葉に、辺りが一瞬で水を打ったように静まりかえる。
「菊妃。事件について、話してくれるか?」
「はい、もちろんです」
玲燕は緊張の面持ちで、頷いた。
「昨日の朝、後宮の内部にある桃林殿でひとつの事件が起きました。井戸に毒が混入され、それを飲んだ女官がひとり亡くなったのです」
玲燕の話を聞き、朝議の会場は再び騒めく。この事件については、知っている者もいたが、知らない者もまだ多かったからだ。
「この事件の犯人ですが、様々な状況証拠から、私は昨日桃林殿で井戸の輪軸の交換工事をした男だと判断しました。彼は工事のどさくさに紛れて、井戸の中に毒入りの氷を落としたのです。氷にしたのは、工事した時間と第一の被害者が出る時間に差を付けるためです。毒を直接入れればすぐに効果が現れてしまい、犯人だと疑われてしまいます。しかし、氷にしておけば溶け出すまでに時間がかかりますから、数時間の時間差を生むことができます」