◆ 第六章 後宮の闇を解く(8)
先日書庫で見た、菊花殿で起きた菊妃自害事件。それは、天井に紐で引っかけた刀が寝台に落ちてきて、胸をひと突きしたというものだった。確かに、ちょうどいい場所に梁が一本走っている。
(亡くなった栄祐様はその事件に疑問を持ったって仰っていたかしら?)
その古びた梁を見つめていたら、玲燕の中にもむくむくと疑問が湧いた。
「そもそも、なんで梁に刀を引っかけるなんて面倒くさいことをしたのかしら?」
皇帝の寵愛がないことに悲観した妃。死にたかったら、自分で胸をひと突きすればいいだけなのに。
「玲燕様。お休みなら明かりを消しましょうか?」
寝台で仰向けになっている玲燕に気付き、鈴々が声をかけてきた。
「……ねえ、鈴々」
「はい」
「死にたいけど自分では胸をひと突きせずに、天井から刀を落とすってどういう心理状態かしら?」
「死にたいけど?」
突拍子もない質問に鈴々の目が大きく見開く。
「あ。もちろん、私のことじゃないわよ。ただ、そういう事件があったという文章を見たの」
「もしや、先代の菊妃様でございますか?」
「……事件のことを知っているの?」
「もちろんです。当時、大騒ぎになりましたから」
それはそうだろうな、と玲燕も思う。
後宮で妃のひとりが、胸をひと突きされて息絶えている。
考えただけでも、大混乱するのが容易に想像できた。
「発見した女官の証言では、発見当時菊妃様は既に虫の息で、『愛していると言ったのに、どうして──』と言って息絶えたそうです」
鈴々はその様子を想像したのか、沈痛な面持ちを浮かべる。
『愛していると言ったのに、どうして──』
愛していると言ったのに、どうしてわたくしを夜伽によんでくれないの? という菊妃の悲痛な叫びが聞こえてくる気がした。
「私はその菊妃様ではないので想像でしかありませんが……」
鈴々は視線を宙に投げ、物憂げな表情で前置きする。
「自分で刺す勇気がなかった、というところでございましょうか」
「自分で刺す勇気がなかった……」
玲燕は口の中で鈴々の言った言葉を呟く。
たしかに紐を使った方法であれば、紐を持った手を離しさえすれば刀が落ちてくるので恐怖心は幾分か軽減されるかもしれない。
「でも、ここに来て奇妙に思いました。私はその事件の経緯を知っていたので、菊花殿はさぞかし天井が高い特殊な構造をしているのだと思っていたのです。この程度の場所から刀を落とし、胸に突き刺さるものなのでしょうか」
鈴々は天井を見上げ言葉を続ける。
その言葉を聞いた瞬間、ハッとした。
玲燕は天井の梁を見る。高さは一丈(約三・三メートル)ないくらいだろうか。
(確かに、低いわ)
物を落とした際に地面に加わる力は、落とした位置の相対高さと落とした物の大きさに比例すると天嶮学で習ったことがある。こんな高さから小刀を落とし、胸に突き刺さるのだろうかという鈴々と同じ疑問を覚えた。更に、菊妃は服も着ていたはずだからその分力が分散されるし、まっすぐに突き刺さるとも限らないのに。
(刀が重かった?)
玲燕は、すぐに違うだろうと首を横にする。小刀が重いといっても、限度がある。
(じゃあ、なんで?)
そう考えて、ひとつの想像に至る。
(本当は、お父様が言うとおり他殺だった?)
もしそうだったら?
そして、死んだ栄祐がそのことに気付いて調べていたとしたら?
『十分に諷示してやった。あとは自分で考えろ』
先ほどの潤王の言葉がよみがえる。
(だとすると、犯人は──)
心臓の音がうるさく鳴り響くのを感じた。