◆ 第六章 後宮の闇を解く(5)
◇ ◇ ◇
玲燕は正面に座る男をそっと窺い見る。
碁盤を見つめる伏せた目は相変わらず鋭さがあり、数カ月前となんら変わらないように見えた。少なくとも、つい最近殺されそうになったことに対して怯えている様子はない。
パチッと碁を置く音がする。潤王が顔を上げた。
「何か、俺に聞きたげだな?」
玲燕はこちらを見つめる潤王を見返した。
「ばれましたか?」
「当たり前だ。熱い視線を送ってくる割に、恋情の気配が全くない」
「陛下に恋情はありませんので」
「ひどいな。仮初めでも、夫だというのに」
潤王が玲燕の腕をぐいっと引く。その弾みに袖が碁盤に振れ、碁石が木製の床に落ちる音が部屋に響いた。
鼻先が付きそうな距離から、口元に笑みを浮かべた潤王が玲燕を見つめる。玲燕は目をしっかりと開けたまま、彼を見返した。
「この距離になったら目を閉じろ」
「嫌です。何をされるかわかりませんので」
きっぱりと言い切ると潤王は目を見開き、玲燕の腕を放してけらけらと笑いだす。
「多くの女が俺の寵を望んでいるというのに」
「私は望んでいません」
「まあ、そうだろうな」
潤王はなおも笑い続ける。足元には落ちた碁石が散らばっていた。
「それよりも陛下。今、負けそうになったから対局をなかったことにしましたね?」
「何のことだ?」
器用に片眉を上げる潤王を見つめ、玲燕は肩を竦める。
こんな負けず嫌い、最近どこかでも見たような。
「話を戻しますが、陛下の仰るとおり、聞きたいことがあります。お聞きしても?」
「質問によるな」
潤王は尊大な態度で腕を組む。
「では、答えられない質問にはお答えしなくて結構です」
玲燕は頷く。
「今回の毒物混入の事件に関してです。事件の際、陛下はお酒を飲もうとして何か変化を感じましたか?」
「いや、感じなかった。匂いも見た目も普通の酒だったな」
「口を付けようとしたところ、黄連泊様がそれを阻止された?」
「ああ、そうだ」
「酒を注いだのは、桃妃様付きの女官──翠蘭様で間違いありませんか?」
「名前までは知らぬ。ただ、女官が黄に突き飛ばされた際に桃妃が慌てた様子を見せて『翠蘭!』と叫ぶのを聞いた」
「なるほど。よくわかりました」
玲燕は相槌を打つ。
当時の状況はもう数え切れないほど聞いたが、目新しい情報はなさそうだ。
「では、次の質問をさせてください。桃妃様は最近どんなご様子ですか?」
「桃妃? 知らんな」
潤王は興味なさげに首を振る。
その態度に、玲燕はピンときた。
(嘘をついているわ)
桃妃は潤王暗殺事件の重要な容疑者のひとりだ。何をしているか、逐一潤王のところに報告が入るはず。それなのに知らないなど、あり得ない。
「以前、宴会で体調を崩されたと聞きました。もう体調は大丈夫でしょうか」
「何も聞かないから、大丈夫なのだろう」
潤王は素っ気なく答える。
(教えるつもりはないということね)
これ以上、この話題について聞いても潤王は答えるつもりがなさそうに見える。
けれど、その態度は却って玲燕の興味を引いた。
(……もしかして、ご懐妊?)
色々と考えて、その可能性が一番高いように感じる。
以前宴席で食事を運ばれて体調を崩したのは、食べ物の匂いによる悪阻なのではないだろうか。
天佑が桃妃の様子を教えてくれないことや茶菓子がさっぱりとした柑橘であったことはもちろん、桃妃は犯人ではないということも、彼女が妊娠しているとすれば説明が付く。
未来の皇帝を身籠もっているかもしれないということは、ある程度の時期になるまで極秘事項だ。
そして、子供を身籠もった桃妃が潤王を暗殺しようとするわけがないことも至極当然だった。ここで潤王が亡くなれば、子供が即位する前に別の皇族が即位することは火を見るよりも明らかだ。
(となると、犯人はやっぱり翠蘭ではない……)