◆ 第五章 事件、再び(10)
◇ ◇ ◇
翌日は、昨日とは打って変わって快晴だった。朝には薄らと積もっていた雪も、昼前に溶けて消えた。
玲燕は袍服に身を包むと久しぶりに秘密通路を使って後宮を抜け出した。
「よいしょっと」
所々しか明かりが入ってこない仄暗い通路を抜けると、古い書物と炭の匂いが鼻孔をくすぐる。光琳学士院の書庫は、相変わらず古い書物であふれかえっていた。
「本当に、たくさん」
玲燕はあたりを見回す。
父を亡くしたあと貧しい暮らしをしていた玲燕にとって、書物はとても高価なものだ。数え切れない書物で溢れるこの書庫は、宝物殿のようにすら感じた。
(少しだけ……)
たまたま目に入った書物を手に取ってみると、有名な思想家の教本の写しだった。玲燕も名前だけは知っているが、中身をしっかりと読んだことがない。
その横も手に取ってみる。それは、かつて後宮に住んでいた公主や皇子達のために作られたからくり人形の設計図だった。
(これ、すごいわ!)
この一冊だけでも、どれだけの価値があるだろう。興奮で気持ちが高揚する。
玲燕は顔を紅潮させたまま、奥の書棚を見る。
「あそこの、年号が入っているのは何かしら?」
書物庫の一番奥には、年号が入った書物がずらりと並んでいた。一番新しいものは二年前、古いものは四十年ほど前の年号が入っている。玲燕はそのうちの一冊を手に取ると、ぱらぱらと捲る。
「これは、官吏の配置表かしら?」
役所の名称と共に、役職や人物名が記載されている。書物の表紙を見ると、四年ほど前の年号が書かれていた。
(古いものを、保管しているのね)
昨年と今年のものがないのは、書庫ではなく普段使う執務室に置いてあるためだろう。
(そうだ)
玲燕は、吏部を見てみる。
「あれ?」
吏部侍郎には、玲燕の知らない人の名前が書いてあった。
(天佑様、このときはまだ吏部侍郎じゃなかったのね)
侍郎に昇格する前だったのだろう思いもっと下の位を視線で追うが、見当たらない。
(どこかしら)
他の部署にも目を通していたそのとき、玲燕はとある名前に目を止める。
「甘栄祐?」
そこには、天佑が宦官に扮する際の名である『甘栄祐』の名があった。所属は皇帝に仕え詔勅の作成や記録、伝達を行う中書省という部署だ。
(彼は元々、宦官ではなかった?)
しかし、宦官とは男性器をなくした男性のみがなれる職であり、既に官吏の試験に受かって働いている者があとからなるとは考えにくい。
(となると、同姓同名?)
そんな偶然があるのだろうか。
判然としないものを抱えながらも、また一枚ページを捲る。そして、次に玲燕が目を留めたのは光琳学士院の構成員について書かれたページだった。『甘天佑』という名が、しっかりと書かれている。