◆ 第五章 事件、再び(9)
「それで、一体どこで誰と、何をしていた?」
「回廊でたまたま蓮妃様にお会いして、殿舎にご招待いただきました」
「蓮妃様に?」
「はい。久しぶりに会ったので、色々と話したいことがあると」
「……そうか。それで、何の話を?」
「主には、天佑様のおっしゃっていたあの事件の話をされておりました」
「何か気になる情報は得られたか?」
「現段階では、犯人は翠蘭であるとされても致し方ないということがわかりました」
「それでは玲燕を呼んだ意味がないではないか」
天佑は呆れたように、玲燕を見る。
「状況証拠が揃いすぎています。酒器には毒が入っており、酒樽には毒がない。そして、その酒器を持っていたのは翠蘭であることは多くの人が目撃している。この事実に相違はありませんか?」
「ない。その通りだ」
「では、犯人は翠蘭とするのが自然です」
天佑は数秒押し黙り、玲燕を見つめる。
「……玲燕は翠蘭が犯人だと思っているのか?」
「感情論を話しているのではありません。私は事実を述べているのです。翠蘭がこんなことをするはずがないと私も思いますが、この状況では誰がどう見ても犯人は翠蘭です」
玲燕は口を噤み、辺りに静謐が訪れる。時折、火鉢からパチッという炭が弾ける音がした。
窺い見た天佑の顔に失望のような色を感じ、玲燕は咄嗟に目を逸らした。まるで『天嶮学などこの程度のものか』と言われているような錯覚を覚える。
視線の先では、火鉢の炭が赤く燃えていた。
今の状況では翠蘭以外の犯人が思い浮かばない。ただ、一介の女官である翠蘭が潤王の暗殺を企むことなど考えにくいので、裏で糸を引いていた誰かがいると考えるのが自然だ。そして、その『誰か』とは翠蘭の主である桃妃と疑われるのも自然な流れだった。
(間違ってはいないはずよ)
けれど、何かが引っかかる。
──我らは錬金術を用いて物事の真理を見極め、あらゆる世の不可解を解明し、また、世の不便を解決するのだ。
天嶮学士であった父が生前によく門下生達に説いていた言葉を思い出す。
(何か見逃していることがないかしら?)
玲燕はもう一度考える。けれど、どんなに考えても何も思いつかなかった。
「桃妃様は絶対に糸を引いていない。それは、間違いない」
火鉢を挟んで向かいに座る天佑が、苦しげに呟く。
「なぜですか? 物事に『絶対』などありません。どうしてそう言い切れるのですか」
何も答えずに眉を寄せる天佑を見て、玲燕は苛立ちを感じた。
(まただわ)
以前にも、天佑が桃妃を庇ったとき、この苛立ちを感じた。
「天佑様。きちんと話していただかないと、犯人を捜すこともできません。どうして桃妃様は絶対に糸を引いていないと言い切れるのです?」
知らず知らずのうちに、口調がきつくなる。天佑は苦しげに口元を歪めた。
「それは言えない。ただ、桃妃様は背後で糸を引いたりはしない。それは確かなのだ」
「それでは話になりません」
玲燕は首を振る。
「雪がひどいので、今日はもうお帰りください。明日の昼頃、私が訪ねます」
「……そうだな」
はあっとため息をついた天佑は、立ち上がると出口へと向かう。ぴしゃりと音を立てて、入り口の戸が閉じられた。
足音が遠ざかり、部屋の中に静謐が訪れる。
シーンと静まりかえった部屋が妙に物寂しく感じるのは、この寒さのせいだろうか。