◆ 第一章 失われた錬金術(5)
◇ ◇ ◇
玲燕は馬車に揺られながら、目の前の男に目を移した。
その男──天佑は眠っているようで、ひとつにまとめられて無造作に肩から前に流れる艶やかな黒髪は馬車の揺れに合わせて揺れていた。伏せた瞼の際から伸びる睫毛は長く、その高い鼻梁のせいでできた影は頬に影を落としていた。
(都には美しい男がいるものね)
玲燕は天佑を見てそう思った。
玲燕が多くの時間を過ごした田舎の村では一度も見たことがないような、見目が整った男だ。涼やかな眼差しと凜とした雰囲気のせいか、どこか近寄りがたい雰囲気すら感じる。
年の頃はまだ二十代半ばだろうか。この年齢で吏部侍郎の座にいるとなると、恐らく超難関の試験を相当若くして突破し、更にその中でも同期で一、二を争う超出世頭のはずだ。
じっと見つめていると、男の睫毛が揺れ、ゆっくりと目が開いた。視線が宙を漂うように揺れ、玲燕を捉える。
「ああ、済まないね。うたた寝をしてしまった」
「構わない。疲れているのだろう?」
それを聞いた天佑は、形のよい口の端を上げた。
「きみの方が疲れているだろう? 私に遠慮なく休むとよい。動物達なら心配いらないよ。私からしっかりと面倒を見るようにと申し伝えたから」
「どうも」
微笑みかけられて、玲燕はふいっと目を逸らす。
(役人は嫌いだ)
それは昔、とある役人に知恵を借りたいと言われ呼び出されたときのことだ。
子供のために用意したからくり人形の修理だと聞き喜んでその仕事を受けた。
ところがだ。約束通りにその人形を修理した玲燕に対し、その役人は報酬を支払わないどころか「愛妾にしてやる、ありがたく思え」と言い放った。若い、かつ女である玲燕を軽んじていることは態度から明らかだった。
それ以来、玲燕は自ら進んで男の格好をして男のように振る舞うようになった。
この国では女の地位が低い。育ての親が亡くなり一人暮らしする上でも、そのほうが都合がよかったのだ。
男の身なりをして、男のような口調で話すようになってからは愛妾にしてやると言われることはなくなった。だが、今でも各地の役人にただ同然の報酬額に値切られることが多く、彼らが内心で平民である玲燕を小馬鹿にしていることは明らかだ。
(朝廷か……)
都に行くのは十年ぶりだ。
玲燕の父は天佑が言うところの天嶮学士その人だった。
父は子供の目に見てもとても聡明な人で、幼い玲燕に様々なことを教えてくれた。語学はもちろん、複雑な算術や水時計の仕組み、からくり人形の原理……。
天嶮学は錬金術学の一種で、初代の天嶮学士が学びやすいように体系立てたものがそう呼ばれているに過ぎない。それなのに、たった一度の失敗で父は天嶮学士の名を剥奪された上で斬首され、天嶮学そのものがまがい物の邪道であると断罪されたのだ。
まだ幼かった玲燕は屋敷の使用人──容が自分の子だと偽って連れ出してくれたおかげで助かった。そのときの無念を思うと、今でも怒りで手が震える。
玲燕は正面に座る天佑を窺い見た。再び目を閉じ、うたた寝をしている。長い髪の毛が一房こぼれ落ちて、額にかかっていた。
今のところ、天佑の態度はとても親切で紳士的だ。
玲燕が一年間、楽に暮らしてゆけるほどの多額の前金を入れてくれただけでなく、家畜の世話に関しても玲燕が住む地域の村長宅に赴き、しっかりと世話をするようにと目の前で話を付けてくれた。
だが、事件を解決したらこれまでの役人達のように態度を豹変させる可能性も捨てきれない。
だから、玲燕はできるだけ気を許さず、用件が終わったらさっさと家に戻ろうと自分に言い聞かせた。
(それにしても、あやかしなどとは……)
先ほど天佑が話したこと。それは、なんとも滑稽な話だった。
ここ光麗国の都、大明であやかし騒ぎが起こったのは数ヶ月前のこと。
夜になると、城内の皇城と呼ばれる官庁区や、外郭城と呼ばれる居住区や商業区において、度々鬼火が目撃されるようになったのだ。
それを見た市民は恐怖や不安を覚え、不吉なことが起る兆しだと騒ぎだした。
現皇帝は三年前に即位したばかりの潤王だ。
光麗国では、後宮に入るための身分は問われない。
潤王は下級貴族の娘が産んだ皇子で、本来であれば皇帝などになりようがない身だった。しかし、数年前に大明で肺の病が大流行したときに上の皇子達が次々と亡くなり、母の故郷に身を寄せていて難を逃れた潤王に皇帝の座が回ってきた。
そのため、人々は皇帝に相応しくない人間が皇位を得たので天帝が怒り、地上に鬼を遣わしたに違いないと噂しているのだという。