◆ 第三章 皇城(15)
菊花殿へと戻った玲燕は、今さっき言葉を交わした桃妃のことを思い返しながら今日のことを紙にしたためた。
(まさに、佳人という言葉がよくお似合いの方ね)
少しだけ垂れた目元が可愛らしい、色白の美人だった。
以前、桃林殿で働く女官──翠蘭から聞いていたとおり、物腰が柔らかで優しそうだ。新入りの妃である玲燕にも気さくに話しかけ、接していて嫌なところは何もない。
「桃妃様もないかな……」
玲燕は小さな声で呟く。
「何が、『桃妃様もないかな』なのだ?」
ひとりきりだと思い込んでいたところで話しかけられ、玲燕は驚いた。顔を上げると、宦官姿の天佑がいる。
「天祐様! 驚きました」
「玲燕が昨晩、色々と用意してほしいと言っていただろう? どうせ今日は栄佑として一日過ごすから、持ってきた」
天佑は腕に抱えていた布の包みを、玲燕に差し出す。
「ありがとうございます。助かります」
玲燕はそれをありがたく受け取り、礼を言う。
「それで、何が『桃妃様もないかな』なのだ?」
「ああ、それは──」
玲燕は自分の考えを話し始める。
鬼火の事件を巡り、玲燕は元より妃の誰かが事件に関わっている可能性は低いと考えていた。しかし、昨日の潤王の様子を見て、もしかして恋情のもつれによる動機であればあり得るのではないかと予想したのだ。
「桃妃様が嫉妬したのではないかと思ったのです」
「嫉妬?」
「はい。本来であれば、陛下は即位することなく宋家に婿入りし、桃妃様と夫婦になられるはずでした。ところが、皇帝となったために多くの妃を娶ることになった。桃妃様としては、自分ひとりの夫になるはずだった人がそうではなくなってしまったので、面白くないのではないかと思ったのです」
「なるほど。だが、それはないと思う」
「なぜですか?」
即座に玲燕の推理を否定した天佑に、玲燕は聞き返す。
玲燕も今日の桃妃の様子を見ておそらく違うだろうと思ってはいるが、どうして天佑がそう判断したのか興味があったのだ。
「桃妃様はそういう方ではない。それに、ご実家である宋家もだ。宋家の当主であられる桃妃様のお父上は、陛下の即位を心から喜んでおられた。なにせ、自分の家で世話をしていた皇子が皇帝になったのだからな」
「それはそうですね」
鬼火は一回を除き、全て後宮の外で目撃されている。桃妃が犯人だとしても、犯行には強力な協力者──実家の後ろ盾が必要だ。しかし、桃妃に関しては実家が潤王の即位を大いに喜んでおり、それが望めない。つまり、犯行には関わっていない。
極めて単純明快で、説得力のある理論だ。玲燕もこの推理には全面的に賛成する。
ただ、なんとなく心の中でもやもやしたものが湧き起こる。
「天佑様は、随分と桃妃様のことを肩入れしていらっしゃるのですね」
「肩入れ? 事実を言っただけだ」
「そうですが、最初から桃妃様だけは違うと決めきっているかのような言い方でした」
「そうか? そういうつもりで言ったのではない」
天佑の声に、戸惑いが混じる。
「……いえ、私も申し訳ございません」
なぜこんな風にイライラしたのだろう。玲燕は自分の気持ちが掴みきれず、ぎゅっと手を握った。