◆ 第三章 皇城(8)
一方の潤王は、ふむと頷いた。
「玲燕か。玲は美しさを、燕は安らぎを意味する。よい名だ」
「お褒め頂き、ありがたき幸せにございます」
玲燕は深々と頭を下げる。
「ところで、鬼火の犯人捜しは進んでいるか?」
潤王と視線が絡む。
口元は穏やかに微笑んでいるが、じっとこちらを見つめる瞳の眼光は鋭い。玲燕の能力を見極めようとしているように見えた。
「まだです」
玲燕は首を横に振る。
「解決に向けて、何か希望はあるか?」
「できるだけ多くの、疑わしき人々の情報がほしいです。あとは──」
玲燕は口ごもる。
「なんだ? 言ってみろ」
潤王は逡巡する玲燕の迷いを断ち切るように、先を促す。
「僭越ながら申し上げます。私が謎を解明する際は、多くの人の前で推理を披露したいと思います」
「ほう? なぜだ?」
「私の錬金術は天嶮学の系統をなすもの。天嶮学がまがいものではないと知らしめるためです」
玲燕はまっすぐに潤王を見つめる。
偽りの妃である玲燕が皇帝を凝視することは本来あってはならない不敬だが、玲燕はそれをわかっていて敢えて潤王を見つめた。
潤王は驚いたように僅かに目を見張る。そして、口元をふっと綻ばせた。
「天嶮学がまがいものでないことを、か。なるほど。お前の意思はよくわかった」
よいとも悪いとも言わない返事だった。しかし、少なくとも拒否ではないと玲燕は受け取った。
「楽しかった。また今度会おう。天佑も、邪魔したな」
潤王は片手を上げ、立ち上がる。
その後ろ姿を、玲燕はしばし見つめる。完全に背中が見えなくなったところで、どっと肩から力が抜けるのを感じた。
「驚いた……。陛下は……その、なんというか。型破りな方ですね」
ただの官吏のふりをしてふらりと臣下の元を訪れたり、天佑に〝宦官の栄佑〟という偽の身分を与えたり。潤王の普段の仕事ぶりは直接目にしたことがないが、『皇帝らしくない』と反対派が多いのも頷ける。
「驚いていた割には、随分と堂々と話しているように見えたが」
天佑は笑う。
「それにしても、天佑様は随分と陛下から信頼されているのですね。後宮との秘密通路も知っているし」
「あのお方とは付き合いが長いから」
「ふうん。……そう言えば、先ほど礼部の雲流様が天佑様の体調を気遣っておられましたが、どうかされたのですか?」
玲燕が知り合ってからの天佑は健康そのものだ。連日職場に泊まり込むほどの仕事ぶりは、病気とは無縁に見える。
玲燕は不思議に思い、天佑に尋ねる。
「まあ、そうだな」
天佑はふいっと玲燕から視線を逸らす。その様子におやっと思った。
(もしかして、今も体調が万全でない?)
天佑は自分の過去を玲燕に話したがらない。
心配になった玲燕は「もう体調は──」と口を開きかけるが、すぐにむぐっと言葉を詰まらせた。天佑に、先ほど切った胡麻餅を口に突っ込まれたのだ。
「ほら、食べろ。先ほどの茘枝の代わりだ」
「にゃにふぉふふほうぇしゅは!」
「ん?」
天佑は首を傾げる。
玲燕は口に入れられた餅をもぐもぐと咀嚼し、お茶と共にゴクンと飲み込んだ。
「何をするのですか!」
「茘枝に負けないくらい旨いだろう?」
頬を膨らませる玲燕を見つめ、天佑はまた楽しげに笑ったのだった。