◆ 第三章 皇城(4)
書物庫から五分ほど歩いただろうか。天佑が立ち止まる。
「わっ」
よそ見をしていた玲燕は正面から天佑の背中にぶつかり、顔を打つ。
「痛たた……」
「何をしている。ちゃんと前を見ろ」
「天佑様が突然立ち止まるからではないですか」
呆れたような眼差しを向けられてムッとした玲燕は抗議する。
「到着したから立ち止まったんだ。ここだ」
「え?」
玲燕は天佑の向こう側に目を向ける。
回廊は行き止まりになっており、一番端はちょっとした東屋のようになっていた。周囲には人工の池があり、水の中を鯉が気持ちよさそうに泳ぎ回っている。池の向こう側にはちょっとした庭園があり、高さ三メートルほどの木が植えられているのが見えた。
「あちらの庭園にはどうやったら行けますか?」
「庭園? 見ての通り、この池には橋がない。向こう側に行きたかったら、回廊の元来た道を戻ってぐるりと回らないとだな」
「あの建物はなんですか?」
玲燕は庭園のすぐ横に建つ、平屋建ての建物を指さす。池にせり出すように、大広間があるのが見える。
「あれは、昭園閣──宴会場だ。大人数の宴席が催される際に利用される」
「つまり、宴席がなければ誰も使わない?」
「その通りだ」
天佑は頷く。
玲燕は手すりに手をかけ、改めて池の向こう側を眺める。距離にして十メートルほどある。夜間に黒い服を着た人間がいたとしても、認識できないだろう。
「状況はよくわかりました。ありがとうございます」
「ああ。菊花殿に戻る前に、ひとつだけ所用を済ませてもよいか?」
「もちろんです」
「助かる。届け物しなくてはならなくてな」
天佑はそれだけ言うと、元来た廊下を歩き始めた。
一旦、天佑は執務室がある吏部に届け物を取りに行き、またすぐに部屋を出た。
「どこに行くのですか?」
後ろをついて行きながら、玲燕は尋ねる。
「礼部だ」
「礼部」
礼部とは、光華国における祭礼、祭祀の中心機関だ。この他に、教育や外交なども担っており、官吏になるための科挙の最初の試験の主催は礼部だ。
いくつかの渡り廊下を抜けた先には、先ほど行った礼部に似た大きな四角い建物が見えた。
天佑は慣れた調子で、入口を開く。天佑の肩越しに中を覗くと、沢山の官吏達が何やら書類とにらめっこしているのが見えた。
「雲流。書類を届けに来たぞ」
天佑がそのうちのひとり、若い男に話しかける。書類を睨んでいた官吏──李雲流ははたと顔を上げた。
「これは、天佑ではないか。珍しい奴が現れたな」
雲流はにこやかな笑みを浮かべると立ち上がり、天佑から書類を受け取る。そして、その場で中身を確認した。
「今年、ここに配属される官吏の一覧か。しかと受け取った」
「ああ、頼む」
天佑は軽く片手を上げる。
「体調を崩したと聞いたときは心配したが、すっかり元気なのか?」
「ああ、心配ない」
天佑は口元に微笑を浮かべる。
(体調?)
天佑は以前、体調を崩していたのだろうか。ふたりのやりとりを聞いていると、どうやらそうなのではないかと窺えた。