◆ 第三章 皇城(3)
「あまり時間がない。着替えてきてくれ。俺も官服に姿を変える」
「あ、そうですね。わかりました」
玲燕が慌てて立ち上がりかけたそのとき、ころころと丸い実が床に転がり落ちた。先ほど、廊下で出会った女官にお裾分けしてもらい、玲燕が懐に入れていた茘枝だ。
「あ、いけない」
「これは? 茘枝か?」
天佑は赤い実を拾い上げると不思議そうに見つめる。
「あ、はい。先ほど、いただいたのです」
「先ほど?」
「はい。桃妃様付きの女官に。桃妃様のご実家から持ってきて桃林宮に植えた木が実ったと」
「へえ、桃林宮の茘枝なのか」
天佑は手のひらで転がしていた茘枝をまじまじと眺め、その皮を器用に剥く。そして、何を思ったのか中身を口の中に放り込んだ。
「え!?」
まさか落としたものを口にするとは思っていなかった。驚く玲燕に対し、天佑は平然としている。
「本当だ。懐かしい味がする」
「……懐かしい? 天佑様は昔、茘枝をよく食べたのですか?」
「ああ、そうだな」
天佑はそれ以上話すことなく口を噤み、玲燕も突っ込んでは聞かなかった。
隣の部屋に移動して素早く衣装を替える。おずおずと戸を開けると、天佑は既に官吏──甘天佑になっていた。
「足元が悪いから気をつけろよ。鈴々、少しの間留守は頼む」
天佑は石灯籠の下に開いていた穴に先に下りながら、玲燕と鈴々に声をかける。
「はい、お任せください!」
鈴々が力強く頷くのを見届け、天佑はひらりと地下へと下りていった。
真っ暗な坑道のような、けれど坑道と呼ぶには狭すぎる通路を案内されて行き着いた先は、倉庫のような部屋だった。
いくつも並ぶ棚には、丸められた竹簡がぎっしりと詰まっている。反対側を見ると、紙の巻物がいくつも積まれていた。
「ここは、書物庫ですか?」
「そうだ。光琳学士院の持つ書庫のひとつだ」
「光琳学士院……」
光琳学士院は書物の編纂、詔勅の起草などを行う皇帝直轄の部署だ。官吏登用試験である科挙で特に優秀な成績を収めた者が配属される場所としても知られる。そして、天嶮学士であった父──秀燕が働いていた部署でもあった。
(ここでお父様が──)
玲燕は周囲を見回す。
ここは倉庫なので実際にここで働いていたわけではないだろうが、仕事でここに来ることはあったかもしれない。
置かれている竹簡や巻物はかなりの年季が入っているように見えるが、手入れが行き届いており埃などは被っていなかった。
「玲燕、行くぞ」
天佑に呼ばれ、玲燕ははっとする。
(いけない。ぼーっとしちゃった)
無意識に、ちょっとした感傷に浸って辺りを眺めてしまった。
「はい」
閉じていた書庫の扉が開かれ、玲燕は眩しさに目を眇めた。
玲燕は慣れた様子で歩く天佑のあとを追う。途中で何人かの官吏とすれ違ったが、玲燕が男装している妃であるとばれることはなかった。皇城には数多の官吏や女官がいる。その全員の顔まで、いちいち覚えていないのだろう。
光麗国では皇城内で身分を示すために官吏は腰帯をするのだが、それも天佑が貸してくれたので疑われることもなかった。




