◆ 第二章 偽りの錬金術妃(5)
その日の夕刻、菊花殿に内侍省から使いがきた。
鈴々から「内侍省の方がお見えになりました」と聞き、玲燕は首を傾げる。
「後宮内で過ごす心構えでも話してくれるのかしら?」
内侍省とは、後宮のことを取り仕切る宦官達が所属する組織だ。
用件が思い当たらないが、訪ねてきた宦官を追い返すわけにもいかない。玲燕はその宦官が待つ部屋へと向かった。
「甘栄佑にございます」
かしこまって挨拶するその人を見たとき、玲燕は目が点になった。
「天佑様、何やってるんですか?」
きっちりと宦官の袍服を着て、いつも下ろしている髪の毛は幞頭にしまわれているものの、それはどこからどう見ても天佑にしか見えない。
「なんだ。気づかれたか」
天佑は玲燕を見て、口の端を上げる。
「当たり前じゃないですか。どっからどう見ても同一人物です」
「行動する場所と格好が違うから、意外と気づかれないのだがな」
「残念ながら、一瞬でわかりました」
玲燕は真顔で答える。
「今は甘天佑の双子の弟──栄佑ということになっている」
「なるほど、双子ですか。これも、皇帝陛下の命で?」
双子だと言われれば、そうだと思ってしまうかもしれない。しかし、勝手にこんなことをしでかしたら大問題になるはずだ。
「まあ、そうだな」
天佑はなんでもないように頷く。
(どんだけ型破りな皇帝と臣下なのよ!)
平民の玲燕を偽りの妃として後宮に入れるわ、男の臣下に宦官のふりをさせて後宮に送り込むわ、やることが突拍子なさ過ぎる。玲燕は頭痛がしてくるのを感じた。
「甘様も玲燕様も、お茶でも飲んでくださいませ」
タイミングを見計らったように、鈴々がお茶を淹れる。
香ばしい香りが周囲に漂った。
「わあ、いい匂い」
玲燕が歓声を上げると、鈴々が「甘様からの差し入れですよ」と教える。
「茶の産地、宇利から取り寄せた。気に入ったなら、また取り寄せよう」
「ええ、是非。でも、茶葉では誤魔化されませんからね!」
玲燕はじとっと目の前の人──玲燕をここに送り込んだ張本人である天佑を睨み付ける。
「そう睨むな。だれか妃と交流したのか?」
「先程、廊下で蓮妃様とお話ししました」
「蓮妃と?」
「算木を廊下に落としてしまったので探している最中に遭遇したのです」
「算木? 見つかったのか?」
「いえ。『二』が見つかりません。廊下から中庭に降りて探したのに」
玲燕は首を横に振る。
地面を見回しても、算木はひとつしかなかった。
「場所はどこだ?」
「菊花殿から内侍省に向かう途中、梅園殿の手前にある小さな庭園の辺りです。椿の木がある──」
「あそこか。では、もし拾ったという知らせを受けたら、玲燕に届けよう」
天佑は言葉を止め、玲燕を見つめて口の端を上げる。
「なかなか自由に歩き回っているようではないか」
「出歩くなとは言われておりませんので」
「女官達もまさか菊妃本人がぷらぷらと歩き回ってるとは思わないだろうな」
天佑はくくっと笑う。
「幽鬼に憑かれたのではないかと噂が立ちそうだ」
「既に、変わり者の錬金術妃だという噂は立っているようです」
鈴々が口を挟む。
「錬金術妃か。いかにも玲燕にぴったりな名だな」
天佑は楽しげだ。
「全て天佑様のせいですよ!」
玲燕は口を尖らせる。
「悪い悪い」
天佑は鈴々が淹れたお茶を飲む。