◆ 第二章 偽りの錬金術妃(4)
「あった」
玲燕はそちらに近づき、算木の積み木を拾い上げる。積み木の表には『七』を示す記号が書いてあった。
「もうひとつは……」
そのとき、遠くから衣擦れの音と足音が近づいてくるのが聞こえた。
「何をしているの?」
振り返ると、艶やかな長い髪を下ろし、繊細な織り込みが見事な襦裙を身に纏った少女がいた。背後には、上品な薄黄色の上品な色合いの襦裙を纏った女官を数人従えている。
「これは蓮妃様」
鈴々が慌てたように頭を下げる。
(この子が蓮妃様?)
玲燕は鈴々に倣い頭を下げつつも、目の前の少女を窺い見た。
事前に天佑から渡されていた資料によると、蓮妃は国内有力貴族である明家の姫君だ。まだ十二歳なので本来であれば後宮に入る年齢ではないが、一族に結婚適齢期の姫がいないので後宮入りしたと書かれていた。
(確かに、若いわ)
事前に得ていた情報通り、年齢はまだ十代前半にしか見えなかった。ちょうど視界に映る豪奢な襦裙の裾には、蓮の刺繍が入っていた。
蓮妃は不思議そうな顔をして玲燕達を見下ろす。
「そっちの人も見慣れない顔ね。新入りかしら?」
「こちらのお方は昨日、後宮に参られました菊妃様でございます」
鈴々がかしこまって、玲燕を紹介する。すると、蓮妃は少し驚いたように目を見開いた。
「菊妃様? あなたが?」
蓮妃は興味津々な様子で玲燕を見つめる。
「はじめまして、蓮妃様。お見苦しいところをお目にかけました」
「別に見苦しくはないわ。渡り廊下から地面に降りるのが見えたから、何をしているのかと思っただけ。どうしてそんなところに?」
「探し物をしておりました」
「探し物? こんなところで?」
「はい。先程、こちらを落としたので」
玲燕は手に持っていた算木を見せる。地面に落ちたせいで、一部が土で汚れていた。
「これは何? 積み木?」
「こちらは算木です。計算をするときに使います」
「ふうん、初めて見たわ」
蓮妃は不思議そうな顔で算木を見つめる。
そのとき、玲燕は蓮妃の後ろに控える女官が手に持っているものに気付いた。
「凧揚げをしたのですか?」
「ええ、そうなの。でも、うまく上がらなくて」
蓮妃は背後を振り返り、玲燕の視線の先にある凧を見る。
「上がらない? 少し見てみても?」
玲燕は手摺りに手をかけると、ひょいっと廊下に登る。そして、女官から凧を受け取った。
(飾りの付けすぎだわ。それに、結ぶ位置がよくないわね)
妃の凧だからと気合いを入れてしまったのだろうか。凧には様々な飾りがぶら下がっているせいで重くなっていた。これを揚げるのは一苦労だろう。
「きちんと揚がるように直して差し上げましょうか?」
「本当? あなたにできるの?」
「はい。よく作っていたので」
「作る? 自分で?」
蓮妃は目を丸くする。
「すごいのね。陛下が『今度、錬金術が得意な錬金術妃が来るよ』って仰っていたのだけど、本当だわ」
「錬金術妃、ですか……」
玲燕は苦笑する。ずいぶんな渾名を付けられたものだ。
「それじゃあ、お願いしてもいい? 郭氏に聞こうと思っていたのだけど、玲燕様にお願いするわ」
そこまで言うと、蓮妃はふと言葉を止める。
「それにしても、どうして幽客殿を希望したの? 怖くないの?」
「幽客殿?」
「菊花殿のことよ。だって、あそこは幽鬼が出るってみんなが言っているわ」
「幽鬼……」
玲燕は目をぱちくりとさせる。
天佑は『目立たないように後宮の端にある殿舎にした』とだけ言っていた。幽鬼の話は一切聞いていない。
(まあ、いいわ)
そもそも玲燕は幽鬼の存在をあまり信じていないので気にならないし、幽鬼が出るという噂が立っている殿舎であれば他の妃も寄りつきにくいので好都合だ。
「怖くないの?」
おずおずとした様子で蓮妃は玲燕を見つめる。
「大丈夫ですよ。私、あいにく幽鬼は見えませんので」
玲燕はにこりと微笑んだ。