◆ 第一章 失われた錬金術
都を出て丸二日。
どこまでも広がる田畑以外には何もない。時折違うものがあるとすれば、穀物を食い散らかすカラス避けの案山子か、土を耕す車を引く牛位のものだ。
「随分と遠くまで来たものだな」
馬車に揺られていた甘天佑はその景色を眺めながら呟く。
殆ど整備されていない道の悪さから、揺れを起こさないように何重にも綿を敷いて贅を尽くした座面もその用をなしていない。尻の痛みもここまでくると、感覚がなくなってくる。
やがて田畑も消え、辺りは山道に入った。
秋が深まってきたこの季節、車窓から見える木々には時折赤いもの──色付いたカラスウリがぶら下がっているのが見える。
外を眺めるのに飽きた天佑は馬車に揺られながら目を閉じる。
(本当にこんなところに、有能な錬金術師などいるのだろうか?)
仕えている皇帝──潤王からの命でこんな田舎まで来たが、空振りになるのではないかと不安がこみ上げる。
しばらくすると、ガシャンと音がして馬車が止まった。
「ここか……」
馬車から降りた天佑は目の前の建物を眺めた。
質素な民家は相当な年季が入っており、瓦には苔がむしている。
外から見える窓には網状の不思議なものが貼り付けてあった。壊れかけた塀を応急修理したのかもしれない。
ドアの横には木の板が置かれており、『お困りごとの解決、承ります』と書かれていた。
ドアの反対側を見ると隣接して小屋があり、中には牛が繋がれているのが見えた。その横では犬が呑気に昼寝をしていた。
──トン、トン、トン。
天佑はその屋敷の木製の戸を叩く。しかし、返事はなかった。
「いないのか?」
忙しい中、都から丸二日掛けて来たのだ。この家の主に会わずには帰るわけにはいかぬと天佑は戸に手をかける。
ガラリと引き戸を開けた瞬間、鼻につく独特の臭い。麻紐、バケツ、縁がギザギザした円盤……。玄関口から見える土間には乱雑に、使い方がよくわからない部品が散らばっている。
天佑はその光景に眉を顰める。
「たのもう。どなたかおられぬか」
大きな声で呼びかける。
「はい、いらっしゃい!」
威勢のよい声が返ってきた直後、大きな反響音が響く。ガランガランッと金属がぶつかって崩れ落ちるような音だ。
(何だ?)
あまりの音の大きさに、天佑はビクンと肩を揺らす。何事かと恐る恐るそちらを見つめると、「あいたたた……」と小さな声がした。
「大丈夫か?」
「問題ない。立ち上がろうとした拍子に、絶妙のバランスを維持していたこの山に触れただけ」
ガラクタの山から高い声がした。
目を凝らしてよく見れば、今さっき豪快な音を立てて崩れ落ちた木と金属の屑に埋もれて、小柄な男の影があった。
背中の途中までの長さの黒髪は艶があり、後ろでひとつに結ばれている。白い袖口から覗く黒く薄汚れた手足は棒きれのように細い。
座っていても女ほどの体格しかないことはすぐにわかった。まだ少年だ。
少年は立ち上がると、服についたほこりをはたき落とす。
「驚かせて悪かった。それで、どんなお困りごとで?」
何事もなかったようにそう言った少年は、天佑を見る。
しかし、次の瞬間には顔から笑みを消し、困惑の表情を浮かべた。
「……あんた、都のお偉いさんだな? 都のお偉いさんがこんなところになんの用だ?」
「なぜ私が都から来たお偉いさんとわかるんだい?」
天佑はにこりと笑って逆に問いかける。
すると、少年は少しだけ首を傾げた。
「理由は二つある。第一に、あんたの足元。靴が全く汚れていない。この辺で働く下級役人の靴が全く汚れていないなんて有り得ない。普段、道の整った場所に住んでいて、ここまで靴を汚さずに来られるということだ。道が整った場所として考えられるのは、都だな。第二に、あんたが着ているのは官服だ。それにその帯銙。かなりの高位なのだろう? ……察するに、清官だな。そもそも、錬金術師の知恵を借りたいなんて言い出す役人は政治舞台の高みを狙う食わせ者が殆どだ」
天佑は目を瞬かせる。
(なかなか鋭い洞察力だな)
こんな片田舎でこの衣装が官服だと認識し、さらに帯銙で品位を認識できるとは驚いた。
この国、光華国では官史の身分が九に分かれており、その身分の高さによって、また、職種によって官服の色や帯銙の種類が違う。
天佑が今着ている紫色は、人事関係を取り仕切る吏部のものだ。