◆ 第二章 偽りの錬金術妃(1)
光麗国の王都、大明にある巨大な城郭──麗安城。
皇帝の住む宮城、政が行われる皇城、そして人々が暮らす外郭城からなるここは、一辺の長さが数十キロにも及ぶ巨大な城だ。
そして宮城の一角にある後宮で、女官達が世間話に花を咲かせていた。
「今度のお妃様はどんなお方なの? 随分と急に話が降って湧いたわよね」
「それが、ほとんど情報がないのよ。なんでも、甘天佑様ゆかりの姫君だとか?」
「甘天佑様の?」
女官は驚いて声を上げる。
ここに勤めている女官で、甘天佑の名を知らぬ者はいない。
光麗国史上最も若くして官僚になるための試験を突破した秀才で、現皇帝である潤王の覚えもめでたい。さらにその見目は非常に整っており、少し切れ長の瞳にすっきりとした高い鼻梁、薄い唇、キリッとした眉が黄金比に並んでいる。
時折妃達を楽しませるために催される宴席に呼ばれる演劇の芸人ですら、彼の前では霞むほどだ。
「親戚ってこと? じゃあ、すごい美人なのかしら。だって、弟の栄佑様もすごく素敵じゃない?」
「さあ? でも、きっと変わり者だわ。殿舎が幽客殿らしいもの」
「幽客殿!?」
それを聞いた女官は驚きの声を上げる。
「ええ。それも、自分で希望したらしいわよ」
説明する女官は、声を潜める。
幽客殿とは、この後宮でも最も外れに位置する殿舎──菊花殿の別名だ。
後宮は今も昔も、どろどろとした愛憎劇に事欠かない。
今から十五年ほど前、時の皇帝の寵を失ったと知ったひとりの妃が自害した。それだけであればよくある話なのだが、そのあとからその妃が住んでいた殿舎──菊花殿からおかしな物音が聞こえるようになった。
後宮の人々はこの世に未練が残って成仏できなかったその妃が幽鬼となって殿舎にとどまり皇帝の訪問を待っているに違いないと噂し、いつしか菊花殿は幽客殿と呼ばれるようになった。
後宮の一番外れにある上に、何年も誰も住んでいなかったので手入れも行き届いていない。挙げ句の果てに、幽鬼がいる。
嫌がることはあっても希望する者などまずいないような殿舎だ。
「……それはたしかに、変わり者だわ」
女官は眉を寄せて頷く。
「ただでさえ鬼火騒ぎが頻繁に発生しているのに、よりによって幽客殿なんて……。ねえ」
自分の殿舎によそ者の女が入内し、更には皇帝陛下の寵があったら……。幽客殿の幽鬼が怒り、もっとひどい災いが起きるかもしれない
そのとき、回廊の向こうに人影が現れる。
「あら、噂をすれば」
女官のひとりが、もうひとりの女官へと耳打ちする。
「見慣れない子がいるわ。きっと、新しいお妃様付きの子だわ」
回廊の向こうから、髪の毛をひとつに纏めた可愛らしい少女が歩いてくるのが見えた。手には平べったい木箱を持っている。
「ちょっと。何を運んでいるの?」
女官のひとりが、近づいてきた少女へと声をかける。少女は立ち止まり、こちらを見た。
「引越の荷物を運んでいます」
「へえ」
女官は相槌を打つ。引越ということは、予想通りこの少女は新しい妃付きの女官だ。
女官は少女が大事そうに持つ木製の箱をちらりと見る。
「その中には何が?」
「宝物です」
「宝物? 菊妃様の?」
「……まあ、そうですね」
少女は口ごもりながらも、頷く。
女官達の目がキラリと光る。
新しい妃付きの女官が大事そうに抱えて運ぶ、宝物。きっと中身は宝石か衣だろうが、一体いかほどのものなのか。
「それでは、ごきげんよう」
少女が先に進もうと歩き始めたそのタイミングを狙い、女官のひとりがさっと足を差し出した。