◆ 第一章 失われた錬金術(11)
翌日、まだ日が昇るか昇らないかという時刻。
寝台の上で体を起こすと、朝の空気が皮膚に触れる。
「段々と涼しくなってきたなあ」
ついこの間まで、寝苦しいほどだったのに。
玲燕は布団をぎゅっと引き寄せる。
ここの寝台はふかふかしていて、寝心地がいい。ずっと寝ていたくなるが、そういうわけにもいかない。
玲燕は寝台から抜け出すと、着慣れた胡服に身を包む。明明にどんな服が好きかと聞かれ、動きやすいからとお願いしたものだ。
屋敷の中心にある庁堂に行くと、既に天佑の姿はそこにあった。
「天佑様、おはようございます」
「おはよう」
天佑は玲燕のほうを見て、柔らかく目を細める。
「今朝は、昨日の場所に行くのだろう?」
「はい。そうしたいと思っております」
玲燕は頷いた。
同じ場所でも、昼と夜とでは全く印象が異なる。
天佑に連れられて向かった場所を、玲燕はじっくりと観察するように眺めた。昨日は暗くてよく見えなかったが、巌路川は川幅五メートルほどで、川岸は膝の丈ほどの草に覆われていた。
「昨日私達がいたのはどの位置でしょうか?」
「ちょうどあの辺りだ」
天佑は今いる位置の後方、川岸に沿ってある砂利の歩道を指さす。玲燕はその場所に行くと、懐から小さな小箱を取り出し、中から一本の針を取りだした。
「羅針盤か?」
蚕の繭から取った絹で中央が結ばれたそれを、天佑は見たことがあった。正確に方位を知りたいときに用いる道具で、よく易で使われるものだ。
「そうです。昨晩、鬼火を見た際に私は同じ方角に天極の極星があるのを見ました。天極は常に子の方角に位置します。即ち、この羅針盤が示す子の方角に、鬼火は現れたということです」
玲燕はじっと針を見つめ、その針が示す子の方向に歩み寄る。
「あちらに渡りたいです」
「向こうに橋があるな。行こう」
天佑は川下を指さす。
二百メートルほど先に、細い橋が架かっているのが見えた。
玲燕はその橋を渡り、川の向こう岸へと行く。
「火の玉が消えたのはこの辺りでしょうか?」
「そう思うが」
天佑が頷く。玲燕はおもむろに川沿いの草の中に足を踏み入れると、どんどんと川岸に向かい水面を見た。
「思ったよりずっと浅い川なのですね。流れも緩い」
「ああ、そうだな。最近は晴れが続いているから、よけいに水量が少ないのかもしれない」
「とても都合がいいです。もしかすると、思ったよりずっと早く解決するかもしれません」
「どういうことだ?」
玲燕の言う意味がわからず、天佑は聞き返す。玲燕は黙ったまま、じっと水面を見つめている。そして、胡服の下履きをたくし上げるとジャブジャブと川の中に足を踏み入れた。
「おい、何をしている!」
ぎょっとした天佑が叫ぶ。
「捜し物です」
「捜し物? 一体何を?」
天佑は問い返す。玲燕が何を捜しているのか、皆目見当が付かない。
訝しむ天佑に構うことなく、玲燕は辺りを見回している。
二十分近くそうしていただろうか。中腰で水底に目を凝らしていた玲燕が、ぱっと立ち上がる。
「ありました!」
「一体、何があったというのだ?」
「これです」
玲燕が持っていたのは、一本の棒だった。水に沈んでいたのでびしょびしょに濡れている。長さは二十センチほどで、箸と同じくらいの大きさだ。
「その棒がなんだというのだ?」
「よくご覧下さい。これは、ただの棒ではありません」
「なんだと?」
玲燕が差し出したそれをよく見ると、先っぽの先端が空洞になっており、焦げた布のようなものが巻き付いていた。松明に形が似ているが、それにしては細すぎる。
「なんだ、これは? 松明に形は似ているが……」
「これこそが、あやかし騒ぎの正体ですよ」
玲燕はにんまりと口元に弧を描いた。
「鬼火の謎、解けました」