極悪魔法使い「デメル家」の養女
「この孤児院でもっともみすぼらしく哀れな子どもが欲しい」
――プラチナブロンドをオールバックに固め、黒い眼帯で片目を隠した黒ずくめの男が部屋に入ってきたとき、孤児院の院長以下その場にいた子どもたち全員は「殺される!」と思った。
壮年の男の纏う雰囲気は明らかに堅気の人間のものではない。
鋭い眼光は、たった今、二、三人殺ってきてきましたと言わんばかりのソレで、黒いマントの下から凶器が大量に出てきてもおかしくはない。
真っ昼間から酒を飲んでいた院長は椅子から転がり落ちた。
「へ、へえ。かしこまりました……。男児ですかい? 女児ですかい?」
「女児を」
男児たちはほっと息をつく。
女児たちは皆、肩を強張らせた。確率は七分の一。
「でしたら……、アレを。おい、キャロル! こっちへ来い!」
むんずと襟首を掴まれた私――キャロルは、お客様の足元に放り出され、挨拶をしろと怒鳴られた。恐ろしい男は虫けらのようにキャロルを見下ろしている。
「はは、は、はじめ、まして。キャ、キャロル、です……」
「ふむ。年はいくつだね」
「じゅう――」
「――十歳でございます、旦那様。これは人間との混血でして魔力はほとんどありません。頭も悪く、従順な性格で奴隷にはぴったりでございます」
調子を取り戻した院長は揉み手をして一番の不人気者を男に引き渡そうとした。
魔力の高い女児は引き取り手が多いが、キャロルはこの先も残ってしまう可能性があるごくつぶしだからだ。みすぼらしく哀れな子どもを寄こせなどと言うリクエストなのだから、奴隷にするつもりなのだろうと院長も――キャロル自身も思った。
男は「そうか」と頷く。
そして、次の瞬間――ゴウッと唸るような風が吹いたかと思うと、巨大な蛇が院長の身体を締め上げていた。本物の蛇ではない。風の魔法で作り出した、薄緑に輝く蛇だ。
「ぐぇ……っ、な、なにを……」
「私はキャロルにいくつかね? と聞いたのだが?」
「ぎええええ! 苦しい!」
「それをまあ、頭が悪いだの奴隷にぴったりだの、聞かれてもいないことをぺらぺらと……。真っ昼間から酒を食らい、まともに子どもたちの世話をしないような馬鹿でグズでクソな男が言えたセリフかね? ん?」
「す、すみま、すみませ……っ」
ぎりぎりと蛇が院長を締め上げる。真っ青になったキャロルは「十二歳でございます! 旦那様!」と叫んだ。やせっぽちのキャロルを少しでも若く偽って手放そうとした院長の嘘がバレたら、男はますます逆上するだろうと思ったのだ。
「十二。そうか、よろしい」
ぱっ、と蛇を消した男は、気絶した院長を踏みつけ、部屋の隅で抱き合ってガタガタ震えている子どもたちの前に金貨の入った布袋をそっと置いた。
「お前たちはこの金を持って、レンドルフ通りのシスター・メアリの元を訪ねなさい。もしも誰かを見捨てたり、金を盗んだりしたものはどんな目に合うか――わかるね?」
子どもたちはこくこくと頷いた。
そしてキャロルは男に腕を掴まれたかと思うと、一瞬の後にどこかの屋敷に降り立っていた。
◇
(魔王城……?)
屋敷の内装を見たキャロルの感想はそれだった。
全体的に薄暗く、暗い色の調度品ばかり。リビングらしきこの部屋に飾ってある絵は高価そうだが、悪魔が人を食らっているものや、絶叫する姿をオブジェにしたものなど……、恐ろしい物ばかり置いてあった。
「おかえりなさいませ、旦那様。ずいぶんと汚らしい身なりの子を連れて帰っていらしたのね」
そして、そこに美魔女が現れた。
手足が長く、ウエストがキュッと締まった女性だ。黒髪をシニョンに結い上げ、露出の多いドレスを着ている。この妖艶かつ冷酷そうな女は男の妻なのだろう。二人は冷え切った夫婦のように淡々としたお帰りのキスを済ませたのち、キャロルを上から下まで眺めた。
「ジョセフィーヌ。彼女はキャロルだ。十二歳。人間との混血」
「そう。ずいぶんと汚れた身なりね。髪もぼさぼさ、そんな姿でわたくしの前に立たないでくださる?」
睨まれたキャロルは震えながら「申し訳ありません、奥様」と跪いた。ジョセフィーヌはますます眉を吊り上げた。
「奥様、ですって? そんな呼び方は許しません!」
ぴしゃりと怒鳴ったかと思うと、手を叩いて使用人を呼んだ。
「誰か! この娘を連れておゆきなさい!」
「……かしこまりました、奥様」
キャロルは両腕を掴まれると連行された。ああ、自分はどうやらジョセフィーヌの不興を買ってしまったらしい。旦那様も助けてはくれない。追い出される、あるいは始末されるのだろうか。真っ青な顔で、キャロルはただただなすがまま連れていかれる……。
……なんと、キャロルは殺されなかった。
風呂場で汚れた身体をぴかぴかに磨き上げられたかと思うと、黒いロングドレスに着替えさせられたのち、豪華な料理が並ぶダイニングへと座らされたのだ。
キャロルの隣にはジョセフィーヌが座った。
礼くらい言わなくては。キャロルは震える声で「お風呂をありがとうございました、…… ジョセフィーヌ様」と縮こまる。
「『お母様』とお呼びなさい」
ツンと前を向いたジョセフィーヌの言葉がよく聞き取れずにキャロルは間抜けな声を出してしまった。
「……へっ?」
「『お母様とお呼びなさい』と言ったのよ! こんな恥ずかしいことを二度も言わせないでちょうだい!」
「も、申し訳、ありませんっ」
ヒステリックに言われてびっくりしたが、ジョセフィーヌの耳は真っ赤だった。
キャロルをこの屋敷に連れてきた男も、凶悪な顔で言う。
「私の事もお父様と呼びなさい。今日からきみの名前はキャロル・デメル。きみをデメル家の養女として迎え入れる」
養女? 奴隷じゃないの?
さらには、テーブルの向かいに座った少年と女児も紹介された。
「息子のノアだ。きみと同じ十二歳。それから娘のベヨネッタ。七歳」
二人がデメル夫妻の実子であることは見てすぐにわかった。
ノアは父親譲りのプラチナブロンドと青い瞳を持った美少年で、ベヨネッタはセクシーさこそまだ備わっていないが、母親譲りの黒髪を縦ロールに巻いた美少女だ。人形のように整った顔立ちの二人は特に感動も反抗もなくキャロルを見つめている。
「キャロル。きみは明日から学校に通いなさい。ノア、きちんと学校を案内してあげるように」
「はい。わかりました、父上」
学校にも通わせてくれるの?
びっくりしすぎて感情が追い付かないキャロルに、『お父様』は「冷める前に食事を食べるように」と命じた。デメル家の食事はとても静かだが、料理はキャロルがこれまで食べたどの食事よりもおいしかった。
「あ、あのっ……」
食事を終え、夫妻が退席するのをキャロルは慌てて追いかけた。
「こんなにも良くしてくださってありがとうございます。このご恩は一生かけてお返しします」
夫妻は顔を見合わせたが表情はぴくりとも動かなかった。
「きみが礼を言う必要はない。ゆとりのある貴族が孤児を養うのは当然のことだ。恩に思うのなら、デメル家の一員としてしっかりと勉学に励みなさい」
「は、はい。……でも、わたし、魔力がほとんどなくて……」
「その魔力だが、後日鑑定士を呼んでもう一度測らせるつもりだ。もしも魔力がないとわかれば……。キャロル、私が何を言いたいかわかるか?」
「はい。すぐに出て行きます」
「違うわ馬鹿者。魔力が無くてもつける仕事はある。研究職や芸術家、他にも道はたくさんあるだろう。自分に合った能力を伸ばしなさい。……私は愚か者が嫌いだ。きみがデメル家から与えられるものに胡坐をかくような娘にならないことを祈るよ」
「……はいっ! ありがとうございます、お、お父様、お母様」
慣れないながらも二人のことをそう呼ぶと、……やはり図々しかったのだろうか。二人とも咳払いをして顔を背けてしまった。
◇
ガタガタと走る馬車の中、キャロルは制服姿のノアと向かい合わせに座っていた。
デメル夫妻に入学用品をそろえてもらったキャロルの初登校だ。
夫妻にあれこれ質問するのは気が引けたが、同い年のノアならとキャロルは気になっていたことを質問した。無言の馬車が気づまりだったというのもある。
「ノアさんが通っているレクター魔法魔術学院とはどのようなところなのですか?」
「……。魔力のある子ども、あるいは両親のどちらかが魔法使いであれば入学を認められる。六歳から十歳までは幼等院。十一歳から十六歳までは高等院。あんたと俺は高等院の二年生だ」
「ではベヨネッタさんは幼等院に通われているのですね」
ノアは表情を変えないまま言った。
「ベヨネッタは通学していない。家庭教師をつけている」
「そうなのですか」
「……あの子は身体が弱いから、あまり外に出られないんだ」
「申し訳ありません……! 踏み込んだことを聞いてしまって……」
「別にいい」
沈黙。
キャロルはしばらく静かにしていたが、結局また口を開けてしまった。
「あ、あの、なぜ、私は養女として連れてこられたのでしょうか……。ご両親からなにか聞いていらっしゃいませんか」
これほど裕福な家庭なら、一番出来の良い子を養子にしたがるのが普通だろう。
魔力判定ではキャロルの魔力があることが無事証明されたが、いばれるほどの魔力量はなく、デメル夫妻にとってメリットがあるとも思えなかった。
「さあ。知らない」
ノアはきっぱりと言ってそっぽを向いた。
馬車が止まる。ここからは歩くというノアに従い、キャロルも馬車を降りた。
石畳で舗装された道の先には大きな校門があり、その奥には城と見まがう巨大な校舎がある。
(うわあああ……! ここがレクター魔法魔術学校……!)
笑顔になってしまうキャロルだったが、数歩歩くと生徒たちの視線が気になった。みな、遠巻きにノアとキャロルを指さしてはひそひそやっているのだ。
「ノア・デメルだ。一緒にいる女は誰だ?」
「同じ馬車から降りたぞ?」
「デメル一族ってこと……、怖ぁい……」
え? なんだかみんな嫌そうな顔をしている?
「来い。職員室まで連れていく」
「あ、うん……」
ノアに先導されたキャロルだったが、指さしのひそひそは一日中続いた。二年生はクラスが三つあり、ノアとも別れてしまう。キャロルは一日中独りぼっちだった。
「あの……、デメル家って嫌われているんですか?」
こんなこと聞くのは気が引けたが、帰りの馬車でノアにそう訊ねた。
皆、キャロルが話しかけると蜘蛛の子を散らすようにいなくなるのだ。そのくせ、キャロルが授業の準備や、予習などをしているとじいいいぃいぃぃいっと一挙一動を見ている。
「そうだ。恐れられている」
「どうしてですか?」
「父アーゼルには逮捕歴が三度ある。暴力沙汰で相手を病院送りにするのが得意なんだ」
「ヒッ!」
孤児院の院長を絞め殺そうとしたことを思い出した。
「父は三兄弟で、一番上の兄――俺にとっての伯父は裏社会の総元締め、下の叔父も父と似たようなもので、違法決闘で何度か捕まっている」
「極悪一族……?」
「そういうことだ。真っ当な奴らは近づいてこない。教師からも怖がられている。そういう家だ。お前も早く慣れろ」
「…………」
確かにお父様は只者ではない雰囲気だし、お母様も裏社会の女と言う言葉がぴったり似合いそうな女性だ。そんな恐ろしい二人だが、キャロルに不自由のない生活を与えてくれる。
(悪い人かもしれないけど、……でも、極悪人ってほどじゃ……)
ノアもそうだ。
つっけんどんな物言いだが、キャロルの質問にはきちんと答えてくれている。本来は面倒見の良い性格なんだろう。
「あ、あのね、ノアさん。明日から一緒にお昼食べない?」
「は? なんで」
「わたしが寂しいから、一緒に食べて欲しいんです」
「……。チッ、仕方ねえな」
口調とは裏腹にまんざらでもない表情をしている。
「あの、あともうひとついいですか?」
「なんだよ」
「家にいるベヨネッタさんにお土産を買っていこうと思いまして。何かいい案はありませんか?」
朝、キャロルは両親からパンパンに膨らんだ財布を渡されたのだ。
お父様はおっかない顔で「お小遣いだ」といい、お母様は「デメル家の娘が一文無しだったら恥ずかしいでしょうっ!」と言って持たせてくれたのだが――学食は授業料を払っているものなら無料で食べられるし、今のところ欲しいものはないし、……使い道はまったくない。それなら、家にいるベヨネッタと仲良くなるために何かしたかった。
「……大通りのドーナツ屋、とか?」
「素敵です! ぜひそこに行きたいです!」
「いいけど……。ベヨネッタのためにわざわざ菓子買って帰るとか……、……優しいな」
「え? 何か言いました?」
「別にっ。ほら、さっさと行くぞ」
カラフルなトッピングがされたドーナツを買って帰ると、ベヨネッタは「たまにはこういう安っぽいお菓子も悪くないわね」と可愛げのないことを言ったが、どのドーナツを食べるか真剣に選んでいたから――おそらくは喜んでくれていたと思う。
◇◇◇
「ノアーっ! こっちこっち!」
それから月日は流れ――十五歳になったキャロルは学園の裏庭で兄を手招いた。
「じゃじゃーん! 今日のお昼は私が作りました!」
木陰にピクニックシートを敷き、バスケットの中にはフライドチキンやバケット、カップサラダが詰め込まれている。
「そしてハイッ! 遠隔糸電話では、なんとデメル家にいるベヨネッタとも繋がっています! もしもーし、ベヨネッタ~?」
『お姉様ったらうるさいですわ。なんで私まで同じ時間に同じものを食べないといけないのかしら……』
「へへへ、せっかくだから一緒にピクニック気分を味わいたくて」
『一言も話していませんが、ノアお兄様もそこにいらっしゃるのかしら』
「もちろんいるよ。無言でサラダ食べてます」
『相変わらず愛想のないこと……』
キャロルは孤児院にいた時とは比べ物にならないほど明るい性格になっていた。
デメル家の人間は皆無口で、沈黙に耐え兼ねたキャロルは率先して場の空気を盛り上げるようになった。そして、三年間のうちに気づいたことはたくさんある。
強面のお父様とヒステリックなお母様は実はラブラブであるということ。キャロルが見ている限り、行ってきますとお帰りなさいのキスを欠かしたことは一度もない。
デメル家が「要注意一家」として魔法警察からマークされているのもどうやら本当だということ。キャロルが学院から寄り道するときは必ず誰かが張り付いていた。
ベヨネッタの体調はあまり良くないということ。妹のためにノアは薬学を専攻しており、少しでも症状を和らげようと新薬の研究に勤しんでいるということ。
それから――
「キャロル。進路調査票は出したのか」
ノアに問われたキャロルは頷いた。誰にも相談することなく決めたため、ノアは気にしてくれているようだった。
「出したよ」
「なんて書いたんだ」
「んー、内緒!」
「はあ? なんだそれ……」
呆れられてしまったがノアには言えない。言いたくない。
「あ、あのさー、ノア。今日のチキン、ちょっと焦げちゃったけど……。前よりは上手にできたんだ。どう、美味しい?」
「美味いけど……」
「けど? 何か気になるところあった⁉」
「ねえよ。ただ、お前、最近あまり寝てないだろ。飯作ってる暇があるなら寝たほうが良い」
ノアが心配するようにキャロルの顔を覗き込んだ。
子どもの頃から美少年だと思っていたが、年を重ねるごとにますますかっこよくなっていく兄。独りぼっち同士だったノアとキャロルは学院生活のほとんどを一緒に過ごしていた。キャロルはいつの間にかノアのことを好きになっていた。こんなにも格好いい美少年が自分の世話を焼いてくれるのだ。好きにならないわけがない。
「平気平気。それに、あんまり寝てないのはノアだって一緒でしょ? この頃論文の発表とかあって忙しかったもんね。だから、ちょっとでも元気になってくれたら嬉しいな」
「っ……、そーかよ……」
『あーら……、私、お邪魔虫のようね? 電話切ってもいいかしら?』
「ばっ、ばーか! 何言ってんだ!」
「そ、そうだよっ! ほら、食べよ食べよ!」
周囲から忌み嫌われていようと、キャロルにとっては大切な大切な家族だ。
そんな家族のために、キャロルは胸に決めていることがあった。
◇
「キャロル。今日、学院の先生から連絡があったよ。これはどういうことかな?」
家族揃っての食事のあと、父の私室に呼び出されたキャロルの前には進路調査票が置かれていた。そこにはキャロルの名前だけしか書いていない。白紙で提出したのだ。
「そのままの意味です、お父様」
「私はきみを引き取った時、魔力が少なくてもつける仕事はあると言ったはずだね。デメル家から与えられるものに胡坐をかくような娘にならないことを祈ると」
「はい。おっしゃいました」
「ではなぜ白紙なのだ?」
「それは――お父様のほうが心当たりがおありなのではないですか?」
三年もの間、デメル家で暮らしていたキャロルの耳には『ある噂』が届いていた。使用人たちがひそひそ話をしていたのだ。
『旦那様は、悪魔の魔術に手を染めるおつもりだ。あの娘はその生贄だ。あの娘を殺して、ベヨネッタ様の生を永らえようとしているに違いない……』
悪魔の魔術。
古い魔術の中には不老不死の術と言うものがあるらしい。片方の生命力をもう片方の生命に移し替えるのだ。ちら、と父の書斎に視線を投げかけると、そこには『禁忌の魔術』『人はなぜ死ぬのか』『もっとも安全な蘇生術』などといった背表紙の本が並んでおり、父が黒魔術に並々ならぬ興味を抱いていることがわかる。
そして、父と母は時々キャロルの顔を見て囁き合っていた。「まだ早い。あと二年」。
キャロルはあと数日で十六になる。そしてベヨネッタは十二歳。
ベヨネッタの身体が成長し、体力がつくのを待っていたのだろう。キャロルに対して冷たい態度をとっていたのも、いずれ殺す生贄なら情が湧かないようにしていたのかもしれない。
(なあんだ、そうか)
その噂話を聞いた時、キャロルは自分がデメル家に引き取られた理由にようやく納得がいった。
孤児院でみすぼらしく哀れな子をとリクエストしたのも、デメル家に恩を感じ、従順に従う子どもを探していたのだろう。
「心当たり? なんのことだ?」
父はとぼけた。
「その、お父様の本棚にある悪魔の魔術書……。お父様はベヨネッタ様の命を長らえさせるために私を殺すおつもりだったのでしょう? このキャロル、デメル家に引き取られた三年間は幸せなものでした。私の命でベヨネッタ様が元気になるのでしたら本望でございます」
――いつか両親はキャロルを殺すのだろうか。
――だったらそれまでは明るく楽しく生きよう。
キャロルは胸にそう決めていた。だから恐れる気持ちも怖さもない。
デメル家に恥じぬよう、勉学も課外活動も一生懸命頑張った。
キャロルはもうじゅうぶん満足していた。
「キャロル……」
父はぶるぶる拳を震わせた。そして、ダァン! と机を叩くと真っ二つに割れる。
父お得意の風の蛇が召喚されていた。
「馬鹿な娘だ……、言うに事欠いてそのことをずっと黙って暮らしていたとは……」
「ごめんなさい。お父様」
キャロルが気づいていたと知って、父は怒っているのだろう。
花瓶が割れる。窓ガラスが割れる。
部屋にノアが飛び込んできた。「父上、お待ちくださいませ!」とキャロルを庇うように立ちはだかる。キャロルがこの場で殺されると思ったのだろう。それほどまでに父は怒っていた。
「どきなさい、ノア……。私は今、キャロルと大切な話をしているのだ……」
「話は外で聞かせてもらいました! 父上、どうかお気をお沈め下さい。そして、キャロルを殺さないでください!」
「どきなさいと言っている……」
「ベヨネッタのための命が必要なら俺の命をお使いください! 俺は……、俺は、キャロルの事を愛しているんです!」
「どきなさい、ノア!」
ごうっと風が吹き、父の蛇がノアに襲い掛かった。ノアは蛇に巻き付かれてキャロルから引き離されてしまう。
「ノアッ!」
キャロルは必死になってノアの手を取ろうとした。しかし、その手は父にとられてしまう。恐ろしい顔でキャロルの手を掴んだ父は……。
「キャロルぅぅぅ! お前、そんな風に思っていたのか。馬鹿なやつめ。お前を生贄なんかにするはずがないだろうっ!」
「……へ?」
おいおいと声を上げて泣いていた。
「バカバカバカっ! なんて馬鹿な娘なのかしらっ!」
カッカッカッ! とヒールの音を響かせてやってきた母までキャロルに抱き着く。両親二人に泣きながら抱き着かれて、キャロルもノアもぽかんとした。
「で、ですが……、それならどうして私を養女に……?」
「それは、だなあ……」
「ごめんなさいね、キャロル。この人ったらお兄様たちと賭けをしていたのよ。三兄弟みんなで養子をとって、誰が一番真っ当に育つかをね。自分の血の繋がった子どもで優劣を競ったら生々しいでしょ。……でも駄目ね。結局みんな養子が可愛くて仕方なくなって、賭けは中止になったんだから」
「大変だったんだぞ! でろでろに甘やかして傲慢な娘に育ってしまったら困るしっ」
「そうよそうよ。あんたときたらけなげに家族の間を取り持とうとするものだから、毎回顔をにやけるのを我慢するの、大変だったのよ!」
よくわからないことで怒られる。
「で、でも……、『あと二年』とか言っていたのは……」
「兄たちがキャロルに会いたいというから、まだ早いと言ったんだ。十二、三歳の少女にギャング団みたいな兄を会わせるのはちょっと」
「じゃあベヨネッタは……」
「ベヨネッタにそんな怪しげな魔術を使うわけないだろう。身体が弱いなりに一生懸命勉強に励んでいる子に対して失礼だ。それに、ノアが熱心に研究してくれているのも知っているからな。ちゃんと治療法を模索しているさ」
こんなものを並べているからいけないのね! と母が父の書棚の本のカバーを引っぺがす。
「やめないか! ジョセフィーヌ!」
そこにあったのは『愛とロマンスの逃避行』? 『ラーラ夫人の初恋』? ベタベタの恋愛小説だ。
では、キャロルを危険な魔術の生贄にするというのは、使用人たちの憶測から出ただけの、根拠のないただの噂話……?
「……オホン! ともかくすまなかった、キャロル。お前は私たちにとって大切な娘だよ」
「お父様……」
「だからノア。いくら息子と言えども簡単には交際は認めんからな」
……そうだ。
そういえば、父に吹っ飛ばされたノアがいたのだ。キャロルを庇って、それから、愛してるとかすごいことを言われたような……。
真っ赤になっているノアに、キャロルも真っ赤になる。
「私……この家にいていいんですね?」
「当たり前だとも」
「ノアの事も……好きでいていいんだ……」
「ん? あーいや、それは……。キャロル、お前にはもっといい男がいるかもあ痛っ」
父が母に踏まれた悲鳴が聞こえたが、キャロルはノアに駆け寄って抱き着いた。
白紙の進路調査票に「ノアのお嫁さん!」とでかでかと書き、父に再び怒られることになったのはまたのお話。
◇
「見ろよ、あれ。デメル一家だ」
馬車から降りた黒づくめの一家に、通りを歩いていた人々は恐ろしいものを見る目で囁き合った。
この魔法街には極悪魔法使いと名高い家族が住んでいる。
「恐ろしいな……。父親のアーゼルは前科持ち、母親のジョセフィーヌは男を狂わせる氷の魔女。末の妹のベヨネッタもその魔性の血を受け継いで、医学院の連中を次々と誑かしているようだし、兄のノアと言えばあの若さで薬学会の部長に上り詰めて学会を牛耳っているって噂じゃないか」
「で、あれが養女のキャロル・デメルか……」
「もう妻だぜ。ノアと結婚したらしいぞ」
「あ。ほんとだ。手ぇ繋いでる」
「人畜無害そうな顔をして、手料理で何人も病院送りにしているらしい。黒魔術でも仕込んでるんじゃないか?」
「こえー……。一家揃ってお出かけか。何を企んでいるのやら……」
「な。ブラックマーケットとかにでも行くのかな……」
――世間から恐れられている極悪一家。
実は家族だけになると平和で平凡な仲良し一家だということを、彼らはもちろん、知らない。
聞いてくれたら一家の長が恐ろしい顔に笑みを浮かべて嬉々として答えてくれるだろう。
「家族揃ってピクニックだが、何か問題でも……?」と。