お飾り聖女はもう恋なんてしたくない! 真の聖女が現れたから婚約破棄ですか? 上等です! わたくしには黒猫のノアがいますから! 引き篭もってもふもふぷにぷにの幸せに浸ります!!
「今日を限りに貴女との婚約を破棄させて頂きたい!」
はい?
今、なんと?
「ローゼンシュタイン大公には先ほど早馬を送った。貴女に落ち度は無い。全てはこの帝国の行く末を勘案し、思慮思案した結果の事。セリア、君には本当に申し訳なく思っている」
真剣な眼差しで、そう語る彼。
いきなりわたくしの部屋を訪ねてきたと思ったら、そんなことを切り出すアルベルト皇太子殿下。
でも、だって。
わたくしとの婚約はこの世界の安定を求めた極めて政治的なお話であったはず。
皇帝陛下もうちのお父様も、そんなこと簡単にお認めになるとは思えません!
「ですが殿下、わたくしどもの婚約は帝国の未来の為、陛下はこのことはご存じなのでしょうか?」
「ああ。しぶってはいたが納得せざるを得ないだろう。何せ、真の聖女が降臨なされたのだから」
はい?
「君のようなお飾りの聖女とは違う、真の力を持った神の使い。本物の聖女がこの世界に現れたのだ。であれば、私の正妃にふさわしいのはそちら、真の聖女になるであろう? 君を第二妃にという声もあったが、それでは大公が納得するまい。もちろん婚約解消に伴う慰謝料は充分に用意した。今その交渉のために使者を送ったところだ」
あ。今何か失礼なことを言われたような気が……。
お飾り聖女、ですって!?
これでもわたくしのおばあさまは希代の大聖女とも呼ばれたお方。
皇女として立派に聖女を務め上げ、降嫁しお爺さまと結ばれたマリアリア大聖女その人です。
その血を色濃く受け継いだわたくしは、申し訳ないですがおそらく現在この世界随一の魔力量を誇る聖女です。
もちろん現代のこの平和な世ではそんな魔力を役立てるようなことは起こりませんし、そもそもこの聖女宮には聖魔法に長けた司祭が百人は下らないほど在籍しております。
わたくしがお飾りでいられるのは、そうした組織力のおかげ。
普段の些細な事柄、わたくしの手を煩わせることもないと、そう周囲が全てを執り行ってしまうからに他なりません。
それなのに、アルベルト様、あなた……。
ああ。
幼いころ初めて出会った時からわたくしは貴方にに恋焦がれておりました。
お父様から将来の伴侶であると紹介されたその時から、ずっと。
それなのに。
貴方は、わたくしのことなどこれっぽっちもまともに見ては下さらなかったということですか?
わたくしの今の、この姿も力も、貴方のために磨いてきたというのに。
悲しくて唖然としていると、アルベルト殿下は「それじゃぁ」と一言残して部屋を出て行きました。
ああ、もう。
わたくしは一体これから、何を信じて生きていけばいいというのか。
悲しくて悔しくて。
もう何もかも信じられなくてそのまましばらく立ち尽くして。
⭐︎
わたくしセリア・フォン・ローゼンシュタインは花も恥じらう17歳。現在は聖女の職についております。
聖女は公職。
元来皇女や公女、聖なる血筋に連なる息女が婚姻までの期間勤める名誉職なのですが、皇太子妃の選定となると少し事情が変わっていて。
昔から皇太子妃に選ばれるためには聖女の職にあったものでないと、という不文律があったのです。
まあ今は、そういう事情もあってアルベルト皇太子の婚約者であったわたくしが現在の聖女を努めているわけで。
しかし、婚約も解消となるとこの聖女の職もお払い箱なのでしょうか?
元々は政治的な思惑が深く関わった婚約ではありました。
未来の帝国を担う皇太子と、帝国を構成する国家の中でも今一番力があると言われているローゼンシュタイン大公国公女の結びつきは、世界の安定にも寄与するはずでした。
ですから、他にもっと利点がある妃候補が見つかったのであれば。
こういう選択肢を彼や彼の周辺が選ぶということはあり得たこと。
もちろんわたくしの父上は激怒するでしょう、しかしその見返りをもどうやら用意をしているご様子。
それでも。
幼い頃より貴方に恋をしていたわたくしのこの気持ちはどうすればいいというのです!?
結局、わたくしのことなどただの利点のある婚約者以上には見ては下さらなかったと、そういうわけですか!?
ああ。
考えているうちに段々と怒りが込み上げてきました。
アルベルト様に怒っている、という気持ち半分、自分自身の不甲斐なさに残り半分。
それもこれも、恋なんていうものにうつつを抜かした自分自身が悪いのです。
そもそも貴族同士の婚姻に、恋なんてものは不要であったのだということです。
ああ。
わたくしはもう恋なんてしません。
ええ、婚約破棄上等です!
どうせ聖女の職もこれでお役御免でしょう。
わたくしは国元に戻って、当面引き篭もって暮らします。
ええ、猫でもモフって暮らしましょう。
そう考えたら気持ちが少し楽になりました。
それでは、思い立ったが吉日。
このまま聖女の職を辞してとっととおうちに帰りましょう。
そう思って自室を出ます。
聖女宮の大司祭に辞表を叩きつけてあげましょうと、彼のお部屋を目指して廊下を進みました。
⭐︎
廊下は、シンと静まり返っておりました。
普段であればこの時間、もう少し人がいてもおかしくないのですが……。
中央通路を抜け大聖堂に差し掛かった時でした。
奥から何やら不穏な魔力を感じて。
この聖女宮には各所に魔力障壁が設置されております。
それもこれも、大聖堂の最奥にある聖石を封じ込めるため。
ですから少々の魔力であればここまで漏れ出ることは普通はないのです。
「これは……」
不安に駆られたわたくしは大聖堂の扉を開け中を覗くと。
正面中央祭壇のすぐその前に立つ美少女と目が合いました。
ああ。
感じていた膨大な魔力はこの子?
艶やかな黒髪が肩までのび。
ゆったりとしたローブを身に纏ったその姿。
華奢な手足はまだ少女のような幼さを秘め。
すっとした切長な瞳に磁器のように透き通った肌。
この世界のものとは思えない、そんな神秘的な美少女の姿がそこに。
「聖女よ。私の妃になっては貰えないか」
はう、アルベルト様もいた。
中央に立つ美少女に、そう迫る彼。
皇太子の周囲には側近の方々も控えていらっしゃいます。しかし彼らにはアルベルト様の行動に水を差す真似は出来ないのでしょうね。
「だから、出来ないと何度も言っているでしょう!」
冷たい瞳でそうつっけんどんに言い放つ彼女。
ほら、嫌がってるじゃないですか。
「だが、私の妃に相応しいのは貴女しかいないのだ。この国の未来のために、どうかこの求婚を受けてほしい」
はう。
いくら何でもこれでは。
普通の女性であってもこれでは心が動きようがありませんわ。
アルベルト様がここまでの朴念仁とは流石に思いませんでした。
「いい加減になさいませアルベルト殿下。嫌がっているではありませんか。これ以上しつこいと本当に嫌われてしまいますわよ?」
「セリア? なぜここに。これは君にはもう関係のないことだ。出ていってくれ」
「いえ、そうは参りません。このままでは殿下一人の問題では済みません。世界に危機をもたらすやもしれませんもの。知らん顔をして立ち去るわけには」
「関係ない! と言っているだろう? 部外者の君には口出し無用だ!」
「殿下はこの方が何者か、わかっていらっしゃるのですか?」
「ああ、聖女宮の祭壇に突如として顕現したのだ。彼女こそ伝説にある真の聖女に違いないではないか!」
ああ。
殿下はご存じないのかしら。
この聖女宮の最奥に何があったのか。
聖石に、何が封印されていたのか。
いえ、もし百歩譲って殿下が本当にご存じないとしても、それを正すのが側近の役目でしょうに。
彼らの中には年配の方もいらっしゃる……、というかそこにいらっしゃるのは大司祭様ではありませんか。
いくら何でもあなたは知らないわけはありませんよね!
わたくしは大司祭をキッと睨みつけ。
「五十年前の出来事です。大司祭カルマール様、あなたがご存じないはずはございませんよね!? どうして殿下をお諌めくださらなかったのですか!?」
そう問い詰めました。
「それはですね……」
オロオロとしたご様子で、そうしどろもどろと口を開くカルマール様。
ああ、もう!
そんなにアルベルト様が怖いのですか?
それとも。
わたくしたちの言い合いに苛立ったのでしょうか。
中央の美少女が皆に向かって大声を張り上げました。
「ねえ、もういいでしょう? マリアリアと約束したから大人しくしてたけど、僕、もういい加減うんざりだよ!」
はう。まずいです。
「聖女よ! いらない邪魔が入って申し訳ない。どうか私の求婚を……」
それでもまだ追い縋るアルベルト様。もういい加減、周りの方たち彼を止めて下さらないかしら。このままだと本当に危険です。
「だから嫌だって何度も言ってるでしょ! それに僕、聖女じゃないからあんたと結婚するのは無理!」
「聖女という呼び方が気に入らないのであれば止めよう。聖なる巫女よ。どうか我が妻に」
「しつこいな! 僕、オトコだから、無理! 絶対に無理!」
ざわ
側近の方々がざわめきます。
殿下は。
顔面が蒼白になっているのがわかります。
あまりのことにショックが大きかったのでしょうか。
でも。
ちょっと安心しました。
五十年前と違い彼も随分と丸くなったのでしょうか。
問答無用で魔力を解放されでもしていたら、この帝都なんか一瞬で炎に包まれてしまっていたでしょうから。
この魔力量です。宮殿に張り巡らされた魔力障壁如きでは耐えきれなかったことでしょう。
でも。
おばあさまと約束? ですか?
ではやはり、彼は魔王で間違いはありませんね。
それにしても。
綺麗な方だったとはうかがっておりましたが、ここまで美少女然としたひとだとは思いませんでした。
わたくしも、最初に目があった時には確信が持てませんでしたもの。
そんなコケティッシュな瞳がこちらを見つめています。
はう。
そんなふうに見つめられるとわたくしでもドキっとしますね。
ほんとう魔性の瞳とはこの事でしょうか。
「ねえ、そこにいる貴女。マリアリア? じゃ、ないよね? でもすっごくマナの色が似てる」
「はい。わたくしはセリアと申します。ノアール様。貴方様のことは祖母マリアリアより伺っておりますわ」
「そっか。じゃあ約束通り、君が僕の奥さんになってくれるってことで良いのかな?」
「わたくしでよろしければ、喜んで」
ノアール様が破顔してわたくしの側まで飛んできました。
そして。
「じゃあ決まりだ。よろしくねセリア」
と、わたくしの手を取りました。
お友達のようなやりとりですね。でも。
わたくしも。彼の手をぎゅっと握って笑みをこぼして。
「待ってくれセリア、君はわたしの婚約者だろう?」
アルベルト様?
今更のようにこちらに手を伸ばしてそういう彼に、わたくしは少し呆れて言いました。
「殿下は先程おっしゃいましたよね? 今日を限りに婚約は破棄だと。今更撤回されても困りますわ」
キッと睨みつけると、諦めたように項垂れる彼。
ああ。こんな人に恋をしていただなんて。
婚約解消になって本当によかったです。
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五十年前の事でした。
反乱軍、反帝国軍の蜂起による魔力紛争が起きたのは。
鎮圧される寸前、反乱軍の起死回生の策として召喚されたひとりの魔人。それがこの魔王ノアール様でした。
漆黒の魔獣に変化し破壊の限りをつくす魔王に立ち向かったのが当時の勇者さまとわたくしのおばあさま大聖女マリアリアだったのです。
魔王は不滅。この世界の人間ではどうやっても滅することは敵いませんでした。
しかし。
彼のそのおさまらない破壊衝動は、実は彼自身もコントロールが出来ず。
戦いの結果。
魔王は、表向きは聖女マリアリアの手によって聖石に封印されたことになっています。
でも本当は。
彼は自分で自身を封印したのです。
破壊衝動がおさまるその時まで、聖石の中で眠る、と。
わたくしは幼い頃よりその話をおばあさまに聞かされて育ちました。
もし魔王が蘇った時、その魔力に対処ができるのは聖女のみである、と。
だからお前は聖女の力の研鑽を怠るではないよ、と。
そして。
我が一族の者は、いつの日にか蘇った魔王の花嫁になるのだと。
そう約束を交わしたからと、そう。
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人身御供、というつもりは毛頭ありません。
魔王ノアールは、今わたくしの膝の上で丸くなってゴロゴロときもちの良さそうな音を鳴らして寝ています。
破壊衝動を理性で抑え込むことに成功したノアールは、獣化した今も幼い子猫の姿をしていました。
ふふ。かわいい。
真っ黒なツヤツヤな長毛は撫で心地も抜群で、もふもふと撫でてあげるとゴロゴロと喉を鳴らして。
ぷにぷになにくきゅうは触り心地も抜群です。
結局のところわたくしは聖女を辞するタイミングを逸しましたが、聖女宮の魔力障壁があった方が安心ですし。
このまま自室に篭ってノアを愛でて過ごすのは悪くはありません。
人の姿になってもまだ子供ですしね。
それに。
このまま愛情を注いでいれば、いつかはきっと彼の破壊衝動は完全に消え去るような気がします。
そしてその時には。
二人でしあわせな人生を歩みたい。
そう夢見ているのです。
Fin
追記。
後日。
皇帝アルブレヒト様がアルベルト様の行状に激怒し、皇太子を廃嫡、新たに弟君であるフリードリヒ様を後継に指名。立太子の礼が執り行われることとあいなりました。
わたくしにも聖女として参列して欲しいと皇帝陛下直々の要望が届いたところなのですが……。
まあ後ろ盾でもあったうちのお父様も激怒しておりましたし、しょうがありませんね。
お詫びのつもりなのでしょうが、フリードリヒ様との新たな婚約話も内々に打診をされましたが、そちらはやんわりとお断りをさせて頂きました。
わたくしにはノアが居ますもの。
日に日に成長しているのがわかるノア。
この子が大人の姿になった暁には。
おばあさまの約束だから、ではありません。
わたくし自身がノアールを愛しているから。
二人っきりでひっそりとしたものでもいい、ささやかなものでもいい。
ちゃんとした結婚式を挙げるのが、今のわたくしの目標なのです。
おしまい。