私の不幸はコメディだ
かの喜劇王、チャールズ・チャップリンは名言をのこした。
――人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。
「――つまり、“他人の不幸は蜜の味”でしょ」
おりたたみテーブルにビール缶をたたきつける。
乱暴な動作にもかかわらず、飲み切った空き缶からは、まぬけな音しかしなかった。
はずみで飛んだ貝ひもを、責任もって口にほおりこむ。
「うーん……まいちゃん、なにかあった?」
言葉をにごして私に聞くのは、十年来の親友――甲本杏実だ。
艶のある黒髪がよくにあう、おっとりとした和風美人で、梅酒がはいったグラスを手に、首をかしげている。
私、川端舞佳のことを、中学のときから「まいちゃん」と呼んでくれる親友だ。
「聞いてくれる? ていうか、聞いてもらうために今日の女子会をひらきました!」
両手をひろげて会場をしめす――1LDKの私の部屋だ。
ふるい木造アパートだが、リフォーム済みだからおおきな不便はない。
オーバーリアクションの私に、杏実はくすくすとわらう。
「女子会っていっても、ふたりきりだけどね」
「だって杏実にしか言えないような、なさけない愚痴しかないんだもん。……この貝ひも、おいしいな」
「おいしいね」
そんな会話をしながら、テーブルにならべた缶から、二本目をえらぶ。
ながく飲みたいから、度数のひくいチューハイにしよう。
「きみに決めた!」
某アニメ主人公のセリフとともに、パイナップルチューハイをかかげる。
そんなくだらないことにも、杏実はくすくすと笑ってくれる。
缶チューハイをあけて喉を潤し、私は口をひらいた。
「てかさあ」
「うん」
「この令和の時代に、会社が昭和なのよ」
「うん」
「家族経営から始まったのはわかるよ。でももう社員百人ぐらいいるじゃん? 支店も五カ所に増えたわけじゃん? なのに上の考え方が昭和のまま!!」
めこっ、と缶がへこんだ。
相槌をうってくれる杏実にあまえて、私はつらつらと話しつづける。
「こないだ同級生に『有給とって平日に遊ぼう!』ってさそわれたから、『有給は冠婚葬祭のときにしか使えない』って言ったら失笑されたわ。自由に使える権利なのは知ってるけど、それ法律上の話な!? うちの会社でそんなことしたら席なくなるから!」
慶弔休暇に至っては、なにそれおいしいんですかー? レベルだ。
「だいたいさぁ、五年働いてるのに新人がひとりも入ってこないのって何なの? 不況なのはわかる。でも私ずっと下っ端だからずっとひとりで電話対応してるんだけど? 一日中鳴り続ける電話を取りながら自分の仕事して……って進まないわ!」
「えーと、他の女性社員は、電話を取ってくれないの?」
「先輩方は、私が電話対応中に、ほかの電話があれば取ってくれる。それ以外はおしゃべりしてる」
「え?」
「おしゃべりしてる」
「……そっか」
苦笑する杏実におおきくうなずき、パインチューハイをゴクリとひとくち。
「なさけない愚痴はまだまだつづくけど、だいじょうぶ?」
「うん。この際、ぜんぶ言いなよ」
「ありがとう! でね、うちのお客さんは個人商店ばかりだから、店主も高齢の方ばかりで――だから注文は電話とFAX」
私の会社は、酒と食品をあつかう卸売会社だ。
居酒屋や飲食店に、配達をしている。
「WEB注文システムを使うのは、パソコンを所持している大手得意先のみ。つまり、ほかのこまごまとした店はほとんど電話注文! そりゃ一日中電話が鳴りっぱなしなわけだ!」
「あらら」
「でね、午前十時までの注文が、当日の午後配達、それ以降は次の日の午前配達なの」
「十時がしめきりなんだね」
「そう。なのに昼前に電話してきて『今日もってきて』って一方的にまくしたてて電話をガチャ切りする客がいる」
「それは……すごいね」
「そして『また断れなかったの?』って笑われる」
「え、だれに?」
「おしゃべりしてる先輩方」
「そ、そっかぁ……」
杏実がとまどうのもよくわかる。
はなしていて私も、こんなことある? って理不尽しか感じない。
ちなみに、ガチャ切りされた店に折り返し電話をしても、だれも出ない。
セールスの判断で、次の日の配達にまわしたら、夕方に怒りのクレーム電話がかかってくる。
その対応をするのは、もちろん私だ。
セールスや上司に訴えても、何の対応もしてくれないから、現状は変わらない。
そういう雑務はそっちでなんとかしろ、だとよ。はっ。
「時間内にうけた電話注文なら、メモして、伝票入力のパートさんに渡して、おしまい」
伝票は、納品のときに必要だ。
とどけた商品とてらしあわせて、おわったらその伝票に、お客さんから受領印をもらう。
「まいにち十時に、いったん“締め作業”をするの」
締め作業をすれば、それまでに伝票入力した分の、出荷リストが出る。
つぎに出荷専門のパートさんが、そのリストどおりに倉庫から商品をあつめて、指定されたトラックに積む。
昼から、ドライバーがそのトラックで配達するわけだ。
午前十時まで、というリミットがあるのは、この出荷作業があるからだ。
「締め作業後の注文は、どうなるとおもう?」
「どうなるの?」
「私が伝票発行して、私が倉庫に行って商品をあつめ、私が指定のトラックに積んでくる」
「え?」
目を丸くした杏実に、私はいい笑顔をみせて、うなずく。
「――つづきがあります」
「はい」
背筋を伸ばした私に、杏実も背筋を伸ばして返答してくれる。
あー、これこれ。このくだらないことに付きあってくれるのが最高だわ。
「あたりまえだけど、日によって、配達する件数がちがいます」
「はい」
「十時の出荷リストの時点で、各トラックに均等にわけられます」
「はい」
「だから『追加注文』なら、商品を指定トラックに積んで完了」
「なるほど」
「もんだいは『新規注文』。どのトラックが配達するかで、めちゃくちゃもめる。そういうところにかぎって、隠れ家をねらったのか、一軒ぽつんと離れたところにある店だったりする」
「あー」
「だからドライバーに直接! 私が! 配達を頼みにいくけど、全員に断られる日もある。月曜とか金曜とか――つまり、今日!」
「あ、これ今日の話だったんだ」
「うん。杏実と飲めるのをたのしみに、今日一日がんばった」
「えらい! えらいよ、まいちゃん!」
杏実が力説してくれる。
そのやさしさに、視界がうるむ。
「杏実!」
「まいちゃん!」
腕を広げると、杏実も腕を広げてくれる。
そのまま親友のハグをかわし、一息ついてから離れる。
「で、全員に断わられるでしょ? それじゃ困るから、必死で食い下がるわけよ」
「うんうん」
「その姿を見て『必死すぎる』と先輩方は笑っておられました」
「え……それは意味がわからないね」
「――でしょ!?」
パインチューハイを飲み干し、またテーブルにカンッ! とたたきつける。
三本目は、いちばん手近な缶をあけた。
「あ、これミカンだった。おいしい」
「おいしいよね、ミカン。梅酒もおすすめだよ」
「――梅酒は度数が高いから!」
「じゃあ、炭酸で割ってみる?」
「割って……くれるの? 私の、ために……?」
「割るよ……まいちゃん……!」
寸劇にも付きあってくれる杏実、マジLOVE3000%。
「だいたいさぁ、セールス担当者がお客さんに徹底してくれないのが悪いのよ。不慮の注文は、最終的にはセールスが責任をもって配達するっていう不文律があるんだけど」
「へえ」
「でもね……なんどセールスの携帯に電話しても、金曜日はつながりません! いそがしいから!」
「あらら」
「で、鬼電ならぬ鬼留守電を残すわけよ。得意先名と注文内容、本日配達希望だがドライバーも手一杯、って」
めのまえの枝豆を口にいれる。
もぐもぐしていると、杏実が首をかしげた。
「そうしたら、折り返しかかってくるの?」
「――と思うでしょ? 金曜日はかかってきません!」
「え? じゃあ、どうするの?」
目をみひらく杏実に、私はもったいぶって口をひらく。
「なんと…………私が帰り道に配達してきましたー!!」
「えー!? ほんとうに!?」
「そうです! そしてー……」
たちあがり、冷蔵庫の扉をあける。
とりやすいところに置いてあった大皿をとりだす。
「そのお店で買ってきたフルーツタルトのホールでーす!!」
「きゃー! おいしそう!!」
「売れ残ってたのと、配達ありがとうごめんねって言って、半額にしてくれた!」
「そっか……まいちゃんが、頑張ったからだね」
「うん、ありがとう。――このフルーツタルトを杏実と食べたら、私は元気になります!」
「うんうん! 食べよう、食べよう!」
「夜だけど今日は気にしない!」
「おー! デブ活だー!」
「で、デブ活……ッ!」
涙が出るほど爆笑しながら、テーブルにフルーツタルトをのせる。
包丁はいらない。
いるのはフォーク二本だけ。
かの美人事務員、川端舞佳は言った。
――私の不幸は悲劇だが、過ぎてしまえば喜劇である。
そんな迷言を言ったり言わなかったりしながら、親友との笑える女子会の夜は、まだまだ続くのであった。
おしまい!!