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第2話⑤ 神楽坂愛海 その1

「えっと……」


 まさか、こんなところでこいつと再び会うことになるとは。

 いや、まあここが彼女の職場でもあるんだからいても全然おかしくないのだが。どちらかといえば、本日のイレギュラーな存在は俺のほうだ。


 別に期待していた……わけじゃない、はず。

 ひょっとしたら会えるかも、なんて。


「その、だな……」


 ……うまく言葉が出てこない。

 そんな俺のコミュ障ぶりに郷愁でも覚えたのか、かつての同級生にして今は大学院経済学研究科の助教授を務める神楽坂愛海は、くすくすと笑った。


 ……何度も目にして、そして幾度も心が揺れた、あの笑顔だった。


「久しぶりね、光輝。3年前のゼミの納会以来、よね?」

「あ、ああ。もうそんな前だったか。年取ると時間の感覚どんどんなくなるよなー。はは……」


 ……嘘だ。きっちり覚えている。他のことはともかく、神楽坂と会ったことは。


「そうよ。あれ以来、光輝ったらゼミの集まりにも飲み会にもまったく顔出さなくなったし」

「……そう、だな。ちょっとタイミングが合わなくなってきてさ。みんなそんなもんだろ」


 理由自体はよくある話だ。

 社会人になって3年。みな仕事に慣れ、婚約だの結婚だの留学だの起業だの、就職した頃とは一歩も二歩も進んだ新しい夢を語るようになっていた。


 こういうと嫌味っぽいかもしれないが、私大の名門、名門学部の有名ゼミ。俗っぽく言うなら『勝ち組』の多い集団。

 当然、リア充ばかりだ。それもなんちゃってではなく、真の。


「確かに、年を追うごとに出席率は落ちてきてるわね。結婚して家庭を持ったゼミ生も増えているし。海外勤務になった人も結構いるわ」

「ま、そうだよな」


 だから、俺のような陰キャ非リアには眩しくて、目に痛すぎて、気まずくて、居場所も身の置き場もなかった。

 元からメンバーともたいして仲がよかったわけでもない。

 だから、足が遠くのは必然だった。


 もう、大学時代の知人(友達は最初からいない)で連絡を取り合っている人間など一人もいない。


 強いて例外をあげるなら、俺のことを“光輝”と下の名前で呼ぶ、ただ唯一の女子。

 そして、ゼミのOB会に顔を出すことがなくなった一番の理由でもあって。


 神楽坂は白衣のポケットに手を突っ込んだまま言った。


「光輝、仕事はどうなの? 辞めてない? まだ続いてる? ニートになったりしてない?」

「心配のレベルが低すぎるだろ……。いや、その懸念自体はまったくもって適切だけどさ」

「……いや、ちょっとは否定しなさいよ。大丈夫? 辞めてないならちゃんと会社になじめてる? 孤立したりしてない?」

「だからおまえは俺の母ちゃんか。……ったく、久しぶりに会ったってのに、変わらないな。神楽坂は」


 俺も苦笑が漏れた。そして、さっきまでの緊張が次第に解けてきているのがわかる。

 そうだ。こういうヤツだった。

 俺みたいな根暗な奴にも特に構えることなく、そしてお節介を焼くお人好しでフラットな性格。


 だから、次第に口が軽くなってくる。こんなこと言ったら引かれるかも、嫌われるかも、とか考えすぎて、大抵の女性とはまともに話せない俺だが、昔からこいつは別だった。


 だから……。


「けどまあ、大学の頃よりかはわりとマシな環境かも。別に一生懸命働きたいわけじゃないけど、居場所がないってほど浮いてるわけでもないよ、一応。働きたくはないけどな」

「何で二回言うのよ。まったく」


 『居場所』という言葉を出した瞬間、ふと美里先輩のことが頭をよぎった。


「でも、前からあなたは社会に出てからのほうが居場所を作れるタイプだとは思ってたけど、予想がいい方向に当たってホッとしたわ」


 神楽坂はなぜか安心したような笑みを見せる。


「何だよそれ」

「だって光輝、ゼミの頃から真面目で責任感強かったじゃない。無茶な課題教授に振られても絶対に投げ出したりしなかったし。ずっとすごいと思ってたのよ、私」


 ああもう。何でこいつはこういうことを平気で……。

 面映ゆい気持ちでいたたまれなくなった俺は話の矛先を変える。


「ゼミ始まって以来の秀才に言われても説得力に欠けるけどな。……それに、おまえこそ、どうなんだ? もうここにいるってことは、留学は終わって帰ってきたのか?」

「うん、1年前にね。レポートにディカッションに論文に。本当に大変だったわ」

「イェール大だろ。マジすごいよな。将来は日本人初のノーベル経済学賞か?」

「そんなわけないでしょ。私、まだたかが助教よ?」


 神楽坂は3年前からアメリカに留学していた。経済学の本場はやはり米国だからだ。その中でもトップクラスの大学院。本人は謙遜しているが、学会などでも注目される論文を連発しているらしい。

 ……ひたすら英語と数式の羅列で、俺には内容が2割も理解できなかったが。


「あ、そうだ光輝。ちょっと確認したいことがあったの。手、見せてよ」

「へ? 手?」


 言われて、俺は利き腕を幽霊のようにだらりと掲げる。


「そっちじゃなくて。左手よ」

「は?」


 もっと意味わかんねえ。


「はい、見せなさい」

「わっ!?」


 いきなり俺の左手が柔らかい感触に包まれる。

 ……なぜか神楽坂は俺の手を取っていた。


「ふむ。指輪は嵌ってないわね。光輝、あなたまだ独身ってことでオーケー?」


「あ、当たり前だろ!? 何すんだおまえっ!?」


 俺はまるで乙女のように手を引っ込め隠すのであった(キモい)。


 ×××


 ~Another View~


 その頃。光輝たちから隠れて覗く少女たちの姿があった。


「なんなのアレ……」

「……光輝さん。その女の人は……」


 一つの視線は訝しげに。

 もう一つの視線は不安げに。


 水瀬姉妹は光輝たちに釘付けになっていた。


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