第1話② それぞれの日常② 結月編
「けほっ、けほっ……! ちょ、ちょっと麻美、いきなり何言い出すの!?」
涙目で咳き込む結月に、麻美は「あーあ、もう汚いなあ」と愚痴りつつティッシュを手渡す。
「いきなり、ってわけじゃないよ。春休み辺りからあんた、ずっと変だったじゃん。明らかに上の空で落ち込んでたり、と思ったらある時から急に元気になったり。情緒不安定? って感じだったし結構心配してたんだから」
麻美の所感に、薫も続いた。
「……それは気になるところだな。私はまだ水瀬と知り合って間もないが、君はあまり感情の上下が激しいタイプには見えないぞ」
「そ、それは別にそういう話じゃないから。ちょっと家の方がゴタゴタしてて、考えることが多かっただけよ」
この激動の2カ月。実の兄が失踪し、その兄が残してくれた借金が判明し、住まいを奪われて途方に暮れそうになり。親戚には匙を投げられて。
大学を辞めることさえ本気で考えていたのだから、麻美から見て様子がおかしかったのも無理はない。
……まあ、急に元気になった、のくだりは、あの人に出会った後のことだろうから、全部が全部外れ……というわけではないのだけど。
結月は、自分が両親に先立たれているという話は薫にはもちろん、麻美にさえしていない。大学生ともなれば家庭環境のことなど、いくら親しい友人相手でもそれほど話題に上ることはないからだ。
……とはいえ、妹や兄の事はともかく、両親の話をまったくしないのは不自然だし、麻美には自分が複雑な生い立ちであると感づかれている節がある。
しかし、麻美はそこに土足で踏み込んでくるようなことはしてこない。だから、結月にとっては数少ない信頼できる友人だった。男好きな部分はちょっとどうかと思うけど。
「なるほど。そういうことなら理解はできるな。家庭の問題は十人十色だ」
「……?」
薫の妙な言い方に引っ掛かりを覚えた結月だったが、それを掘り返すほどまだ彼女とは親しくはない。
「とにかく、水瀬の疑惑は矢田の早合点だったということでファイナルアンサーか?」
「そ、そうよ。相変わらず適当なこと言うんだから」
事を収めようとしてくれる薫に乗っかり、結月は反撃する。
しかし、麻美はしれっとした表情で言った。
「根拠ならもう一つあるよ」
「え?」
「それよ」
麻美は行儀悪くフォークで“それ”を指し示した。
「……お弁当? ……私の?」
結月はつられて視線を手元に落とす。
これがどうしたというのだ。節約のために弁当を持参するのはいつものことだ。メニューだってローテーションでそう変わらない。ご飯に煮物、おひたし、サラダに卵焼き。日菜ほど健啖家ではない自分には十分な量だ。
ただ、今日はあの人の好きなミニハンバーグをせっかく作ったのに、弁当いらないなんて急に言うから仕方なく2コ入れて――――。
あっ―――――。
そこでようやく、結月は自分の不注意さに気づいた。
……そして、自らの愚かさを呪った。
だが時はすでに遅し。麻美はにやりと口元を歪めて言った。
「最近の……というか、新学期が始まってからのあんたのお弁当、明らかに茶色の割合が増えてんじゃん。生姜焼きとか唐揚げとかポテトとか。男の好きそうな肉々しいメニューがね」
薫も「ほう……」と、少年漫画の師匠ポジションのキャラクターのような吐息を漏らし、
「素晴らしい観察眼だな。女というのはこれだから怖い。だが矢田、日常的に弁当を作るような相手がいるというなら、それは好きな相手、ではなく恋人だろう?」
「薫、そりゃわかんないよー? こういう男が苦手って純情ぶった女に限って……というか、だからだけど、思い込み激しかったり重かったりするし。案外、付き合ってもないのに一方的にお弁当を押しつけてたりするかも……」
「いやはや、それはさすがに相当痛い女だろう。水瀬のような分別のある人間がそんな嫌がるような真似をするはず―――――」
「ふ、二人ともなに勝手なこと言ってるの! あの人は別に嫌がってなんか――――――」
あっ―――――。
本日2回目。
友人二人はようやく目当てのおもちゃを探し当てた子供のような表情をし。
「「あの人?」」
結月は、二人がかけた壮大なトラップにもろに引っ掛かったのであった。
×××
「へえー、引っ越し先のお隣さんねえー? しかも年上の社会人かー。やるじゃん結月」
「意外とありがちな話……とはいえないか。この隣人にも警戒するご時世においては」
自分で墓穴を掘ってしまった結月は、結局それなりのレベルで光輝のことをカミングアウトさせられていた。
とはいっても、当然、学費のパトロンであるとか、食事まで共にしているとか、本当に大事で危ないネタは伏せておいた。あくまで家庭のトラブルがあり、その引っ越し先で出会い、色々と手助けしてくれた、という設定である。
……だいたいあってる。
「でも、半分以上カマかけただけだったのに、ホントに付き合ってもない男に甲斐甲斐しくお弁当作ってたなんて……」
「重いな。地球の重力くらいには。メニューをモロに男の好みに寄せていることを含めて」
やや本気で引いている麻美と薫に、結月はムキになって反論する。
「べ、別にそういうんじゃないから! ただ、その人、自分のことになるとかなり適当で、ちょっと食生活が乱れがちで心配だから……。私と妹がすごくお世話になったし、そのお礼ってだけだから!」
「それでもなかなかな重量感だと思うが……」
「いやー、でもこれぞ春! って話を聞けて満足だわー。このネタで当分結月をいじれるし」
薫が呆れ、麻美がクスクスと笑う。
ようやく日常が戻ってきたのも束の間、新年度早々にまた頭痛の種が増える結月だった。




