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第4話⑫ 灯り始めた想い

「えっ!? ちょ、ちょっと日菜さん? な、なんでいきなり泣……」


 彼女の頬を伝う雫に、俺は死ぬほどびっくりしていた。


「そんなのあたしもわかんないよっ! でも、今の光輝くんの話聞いてると、めちゃくちゃムカつくしイライラするの……!」


 日菜さんは袖でごしごしと乱暴に涙を拭った。


「………。はは、まあそうだよね。こんないい年したオッサンの情けなくて痛々しい昔話なんて、聞いてても不快なだけだったよな。……ごめん、忘れてくれ。今日はちょっと夜のテンションで口が滑っただけで……」


 言い切る前に日菜さんは畳の床をバンと叩く。


「だから、そういうとこだよっ! 光輝くん、何にもわかってない!! ううん、わかってるくせにごまかそうとしてる!」


 …………。


「何でそうやって自分を傷つけるの……? 卑下するの……?」

「……別に卑下なんてしてないよ。客観的に見た時の事実を述べてるだけさ」


 そうだ。俺は自己評価が低いわけじゃない。単に実力が低いだけなのだ。

 今まで誰からも異性に好かれたことがないという事実が、端的にそれを示している。


 人の心などわからない、なんて言うが、俺に対する言葉、態度、距離感といった外から観測できる事象を積み重ねていけば、俺が他者にとって大した存在ではないことなど明白だ。


 だから、俺はそんな自分をロクに信じていない。


 でも、だからこそ、『自分を特別扱いしてくれる人』がどこかにいないかと求めてしまう。


「……光輝くん」

「……なんだい?」


「そうやって自分はヘタレですー、かまってーみたいなこと言ってみたって、女子はそのへんシビアだし、同情なんてしないし引くだけだからね。そんな自分に自信のない男子に、『自分だけを贔屓してくれる子』なんて絶対に現れないんだからね。普通の女の子にそんなところ見せたら100%アウトだから」


「……うん、わかってる。肝に銘じとくよ」


 俺のヘタレな願望を見透かしたかのような日菜さんの正論に、ただただ苦笑するしかない。耳が痛いな、本当に。

 まあ、ここまで自分の胸の内を吐露したこと自体、あんまりないんだけどさ。


「……あたし、もう部屋に戻るね。ごめんなさい、光輝くん。酷い事して、言っちゃって」

「大丈夫。気にしなくていいさ」


 彼女は俺と目を合わそうともせず、部屋から出ていく。


「日菜さん」


 玄関へと続くリビングの扉に手をかけたところで、俺は声をかける。

 彼女は振り返らなかった。


「おやすみ。まだ夜は冷えるから体調には気をつけてね」

「……うん。光輝くんもおやすみ」


 バタンと扉が閉じられる。

 俺は彼女の背中を見送った。



 ×××



 ~Another View~


 日菜はすぐ隣にある新たな住居に戻るなり、結月に声をかけることもせず自分の部屋のベッドに飛び込んだ。


『おやすみ。まだ夜は冷えるから体調には気を付けてね』


 つい先ほどの光輝の穏やかな声が脳裏に蘇る。


「何で……どうしてそんなに優しいのにさ……。なのに……! 光輝くんのバカ、バカ……!」


 日菜は枕に顔を押しつけ、足をバタバタさせながら光輝を罵倒する。

 何でこんなにイライラするのか、自分でもわからない。


 その時、日菜の部屋の扉が静かに開いた。


「ちょっと日菜? 戻ったの? もう。また光輝さんのところに勝手にお邪魔してたんでしょ。こんな時間まで迷惑……って日菜?」


 妹のおかしな様子に、結月はわずかに顔を青ざめさせる。

 光輝が自ら変なことをするとは思えないが、時間も時間。男の部屋で二人きり。

 一瞬だけ、最悪の想像が頭の中を駆け巡った。

 だが。


 それが杞憂であったと、日菜がくぐもった声でぽつりと漏らした。


「……あたし、光輝くんを傷つけちゃった」

「……え?」



 ×××



 それから、日菜は枕に顔を埋めたまま、途切れ途切れにさっきの出来事を告白する。もちろん、光輝が言った『贔屓してくれる子がいい』などの彼の大事な心の内は伏せて。


 妹の罪状を聞いた結月は、本当に長い長い溜息をついた。


「……はぁ。光輝さんのプライベートを根掘り葉掘り聞き出したあげく、勝手に逆ギレして飛び出してきちゃったとか……。何やってるのよ」


 結月が、「私も謝らなきゃ。あ、でも今の時間にLINEとかしたら迷惑かな? そもそも、こういうのは直接日菜と一緒に謝らないと失礼よね」なんて考えていると、


「……あたしだって、今は死にたいくらい反省してる。でも、なんだかやっぱり許せなくて……」

「……確かに光輝さん、そういうとこあるよね。自己評価が低いっていうか、周囲が良くなるなら自分が我慢すればいい、みたいな考え方っていうか」


 言いながら、結月は日菜のベッドに背中に預けた。落ち込む妹の姿を目に入れないように。


「だけど、それって本当に悪いことなのかな?」


 結月は言った。


「……普通に悪いことでしょ。自分に自信がないなんて。そんな人の相手、疲れちゃうよ」


 日菜は言った。実際、今の自分はものすごくメンタルを消耗している。本当は辛いだろうに、ヘラヘラと自虐で煙に巻く姿を見ていると、相当に精神衛生上悪い。猛烈に苛つく。


「でも、光輝さんはそんな弱いところがあったとしても、それを盾として振り回すような人じゃないでしょ? むしろそういう自分を受け入れていて、だから周りにも優しくできる人。……違う?」

「……そうだけどさ」


 でなかったら、自分たちを何の見返りもなく支援しようなどと言うわけがない。

 でも、日菜にはそれさえも光輝が抱える負の部分の裏返しのような気がして、だから余計に許せなかった。

 ……いや、許せないのではなく、心配だった。


 役目を終えたら、彼はふらりとどこかに消えてしまいそうで。


「……お姉ちゃん」

「うん?」


「妹として、光輝くんはあんまオススメしないけど。お姉ちゃんみたいに気がないあたしでも、こんなに心が振り回されちゃうんだから。本人は何も悪くないのに、傍にいるこっちがどんどんダメージを受けるって最悪の男子だよ?」


「……そうかもね。でも、そうなっても支えてあげたいって思えたら、それでいいんじゃないかな?」

「我が姉ながら趣味悪……。やっぱ兄妹じゃん……」


 日菜はそう文句をつけると、わざとらしく寝息を立てて狸寝入りをしてみせた。

 結月はそれに気づきつつも、「おやすみなさい」とだけ声を残して部屋を出ていく。


 ……大丈夫。あたしは、あんなめんどくさい、しかもオジさんが目の前に迫ってるような人なんてタイプじゃない。


 このイライラも、あの人がヘラヘラと情けないせいだ。断じて、同情したり可哀想に思ったり彼を認めない周囲のほうに怒ったりしてるわけじゃない。


 あたしは、光輝くんに惹かれたりしない。


 そう日菜は自分に言い聞かせ、納得させる。



 もう遅いかも―――――――――

 なんて心のどこかから聞こえてくる声は無視して。

 水瀬日菜は、無理やり眠りについた。



   第2章に続く


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