第3話④ 水瀬結月 その2
×××
『水瀬結月様、日菜様
お世話になっております。
先日はありがとうございました。
さて、今日、私が保証していた陽太さんの借金を一括で返済しました。
これで、もう借入先の金融機関から連絡が来ることはなくなると思います。
これから先も大変だと思いますが、どうか二人で力を合わせて頑張ってください。
桜坂光輝』
(うーん……ちょっと冷たいしビジネスチックすぎる感じがするけど、こんなもんだよな。)
俺は自分にそう言い聞かせ、スマホの送信のアイコンをタップした。
宛先は水瀬姉妹の姉、結月だ。
「ふう……」
緊張が解けた。
本来であれば、水瀬姉妹の兄である陽太の借金は関係ない。もし水瀬が死亡したのなら、家族で相続人にもなりうる彼女たち借金が請求される可能性はあるが、現状は女と蒸発して行方不明という判断だ。であれば、金融機関も契約関係のないただの家族に借金の返済を迫ることはできない。
「ただ、な……」
あの場で姉妹と話し合いをした時、姉の結月さんは兄の借金を働いて返すと言い張ったのだ。借金の契約を引き受けて……大学を辞めてでも。
それを俺とあの冷たそうな職員が、なぜか一緒になって彼女を止めるという、奇妙な構図になってしまった。
という経緯から、念のために彼女たちへ水瀬の借金の完済を報告することにしたのだ。電話番号とアドレスは、もし水瀬から連絡があった時のために交換しておいた。
とはいえ、別に返事は期待していなかった。
『兄の借金を代わりに返しました』なんて突然言われても、どう受け止めていいか戸惑うだろうし、そもそも兄の友達ともいえないアラサーのオッサンから連絡などされても、普通に気持ち悪いだけだろう。
まあ、姉妹揃って常識はありそうだったから、さすがに無視はされないかもしれないが。
せいぜい、簡素な返信があるくらい――――――。
その時、俺のスマホの通知音が鳴った。
『桜坂光輝様
お世話になっております。
このたびは兄がご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません。
兄に代わって返済をすべてしていただき、感謝の言葉しかございません。
ぜひ一度、お伺いしたうえでお礼をしたいです。
ご都合のよろしいお時間はございますか?
水瀬結月』
×××
「それで結月さん。俺は何をすればいいのかな?」
押し寄せる漠然とした不安感を押し殺し、俺はおどけたように肩をすくめてみせた。
「そうですね……」
結月さんはうーんと唇に指を当て、
「それじゃあ、光輝さんが今どんなお仕事をしてるのか聞きたいです!」
明るい声で言った。もう、さっきのことは引きずってはいないようだ。
「へっ? そんなことでいいの?」
「何言ってるんですか。身近な先輩のお仕事の話を聞く。OB・OG訪問は就活の基本だと思いますよ?」
「ま、まあそう言われればそうだけど……。でも俺、OB訪問とかやらなかったなあ」
正確にはできなかったという。なぜなら、見事なまでのぼっちキャンパスライフだったからだ。
入学当初、キャッキャウフフなリア充ライフを夢見てオタク系のサークルに試しに入ってみたが、高校とはまた違うドロッとした人間関係に馴染めず、すぐに行かなくなってしまった。……あいつら、何ですぐに「桜坂って空気読めなくね?」って言うん?
そして、文系の学生はサークルという居場所が作れなければ即座にソロ確定。ソウルジェムが常に真っ黒に染まる大学生活まっしぐら。
後半こそゼミでいくらか知り合いはできたが、まさに友達も彼女もナッシング、思い出したくもない黒歴史の4年間だった。
そんな俺のトラウマが伝わってしまった……わけはないだろうが。
結月さんはちょっと気まずそうに頬を掻いた。
「……実は私、バイトをたくさんしなくちゃいけないから、サークルに入ってないんです。だから、私も友達とか先輩のつてがあんまりなくて……」
「そっか……」
そりゃあそうだよな。いくら国立とはいえ、店を立ち上げたばかりの水瀬の稼ぎだけはでは厳しかったんだろう。それこそ借金の返済もあったわけだしな。
「それに……私、兄や日菜と違って明るい性格でも、器用に何でもこなせるわけでもないですから。やっぱり、就職が上手くいくのって、活動的で他者とのかかわりに積極的で、コミュニケーション力が高い人でしょうし……。そういう意味でも、不安なんです。……失敗、絶対にできないのに」
結月さんの声が深く沈む。
初めて見る、彼女の表情だった。きっと、妹には見せないように気丈に振舞っているんだろう。
でも。だけど。
「大丈夫だよ」
俺は言った。確信をもって。
「えっ?」
「結月さんなら大丈夫。君は誠実で責任感が強くて……そして優しいから」
「光輝さん……。いえ、私そんな……」
「そんなことあるよ。俺も銀行勤めだからわかるけど、金が絡むことは社会人だってそうそう冷静じゃいられない。でも結月さんは、自分には直接関係のない兄貴の借金のことを、冷静に、それでいて責任を持とうと辛抱強く対応していたじゃないか。誰にだってできることじゃないよ。ましてや学生ならなおさらだ」
嘘などない。次々と言葉が溢れてくるのがその証拠だ。
「心配いらないさ。結月さんを必要としてくれる人も、会社も、いくらだってあるよ」
「光輝さん……」
結月さんが感極まったかのように、どこか潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
なんだか急に恥ずかしくなってきて、俺は慌ててごまかした。
「な、なーんてね。俺みたいな半人前の大人に保証されても信じられないかもしれないけどさ」
……キャラじゃねえよな。
しかし、結月さんは首を大きく左右に振り、
「……ううん、そんな……そんなことないよ。ありがとうございます、光輝さん」
その名前の通り、目に痛くない月の光のように、彼女は優しく微笑んだ。




