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第2話⑦ 水瀬結月と水瀬日菜①

「ほら光輝くん。こっちも美味しいよ? はい、あーん」


 何を思ったか、日菜さんはニコニコ顔で俺の目の前にスプーンを突き出してきた。

 その瞬間、またもや店内の空気に緊張が走ったのが分かる。


 さっきまでは「このオッサンなんなん?」、「え? パパ活?」的な警戒感や疑惑の眼差しだけだったが、今度はなんだか怨嗟や妬みの視線まで感じる。


 あ、前のカップルの男、今彼女に脛蹴っ飛ばされた。どうやら日菜さんの美貌とあざとい行動に目を奪われていたらしい。


「ちょ、ちょっと日菜、やめなさい。お行儀悪いでしょ」


 困った結月さんが注意する。奔放な妹と比べると本当に常識人だ。


「それにずるいし……」


 ん?


「えー、だってあたしたちこれから家族ぐるみの付き合いしていくんだし、どうしても光輝くんのお世話にならなきゃいけない場面も出てくるんだよ? こういうのにも慣れといたほうがいいじゃん」


 え、さっきの冗談じゃなかったの……? いや、もちろん決めたからにはこの子たちが巣立てるまで見守るつもりではいるが。


「というわけで、食べて?」


 日菜さんは可愛らしくウィンクしてみせた。あざとい。これ、同級生とかめっちゃ騙されそう……。つーか俺もすでに陥落しかけている。一応主張しておくが、俺は断じてロリコンではない。


 俺は軽く両手を挙げて降参のポーズを決める。


「……いや、あれだ。アラサーのおっさんが口付けたスプーンで食べるなんて嫌だし普通に気持ち悪いでしょ?」


 我ながら自傷ダメージを負う言い訳だ……。

 しかし、日菜さんはぽかんと口を開け、


「え? なんで? 別に嫌じゃないけど」

「へ?」

「イヤだったらこんなことしないよ。大丈夫大丈夫。光輝くん、確かにイケメンじゃないけど、生理的に無理! キモい!ってほどじゃないから! 自信持って!」


 スプーンを持ってないほうの手で軽く手を振った。

 いや、それでどう自信持てっていうんだ……。

 だが、不思議と嫌な気もしない。彼女の表情や声色に毒気が感じられないからだろうか。


「あれこれ言い訳がましいほうがめんどくさ!ってなるし、女子だって嫌われてるのかなーって傷つくこともあるんだよ? はい、覚悟を決める!」


 そして、再度、ほぼ目と鼻の先までオムライスが迫ってきた。


「……はいはい、わかったよ。じゃあ遠慮なくいただくことにするよ」


 ついに腹をくくった俺は、周囲への意識を心持ちシャットアウトして、日菜さんのスプーンを口に含んだ。

 しかし、目の前に映る結月さんの微妙に拗ねたような視線だけは逃れることができなかった。もぐもぐタイム……。


「えへへー、お粗末様―。どう? お味のほうは」

「どうって言われても……前に食ったことあるし美味いとしか」

「何よーそのリアクション、つまんなーい」


 俺の塩対応がお気に召さなかった(実際は心臓はバクバクだったが)お姫様は、そのままオムライスの続きを食べ始めた。

 ……本当に気にしてないみたいだな。ていうかそれって間接キ……

 ってやばいやばい。その先を想像したらマジでアウトだ。


 なんて俺の気色悪い想像をよそに、日菜さんがプレートに視線を落としつつ、ぽつりとこぼした。


「なんか、小さい頃お父さんにカレー食べさせてあげたときのこと思い出しちゃったなー」

「…………」


 どうして急にぶっ刺さるようなこと言うの、この子は。


 俺が二の句を告げずにいると、日菜さんはちょっと重くなった空気を払うように軽やかに言った。


「お姉ちゃんも、あんまり光輝くんの前で猫かぶりすぎてると、どんどん素を出しにくくなるよ?」

「え、素って……」


 俺が思わず結月さんを見返してしまう。さっきの陰湿とか腹黒とか……。

 彼女はわたわたと大きく手を振った。


「ち、違います! この子が適当なこと言ってるだけです!」


 だ、だよな……。もし結月さんの本性が実は性悪です、なんて言われたら俺、しばらく立ち直れないぞ……。


「えー、ホントー?」


 日菜さんはにひひと意地の悪い笑みを浮かべる。だが、その屈託のなさこそが、結月さんの本当の優しさの証左でもあるように思えた。仲いいな、本当。

 ……まあ、仲良くなければここまでやってこられなかったのかもしれないが。


「でもさお姉ちゃん、せめて敬語はやめたら? というか、変に距離あるみたいであたしがムズムズする。光輝くんもそのくらいならいいでしょ?」

「え? ああ、うん。それはもちろん」


 まあ、俺も社会人なので後輩からは敬語で接されるのがデフォだから、別に今のままでも違和感はないが。


「そ、そんなのダメでしょ!? 日菜はまだ子どもだからいいけど、私までちゃんとわきまえなかったらどうするの? 光輝さんにご迷惑でしょ!?」

「いや、だからその光輝くんがいいって言ってるじゃん」

「だからって、こういうのはちゃんとしておかないと……!」


 際限なくなっちゃう、と彼女は小さな声で言った。


 …………。

 ……やっぱり、そうなんだな。


「結月さん」

「は、はい?」

「日菜さんの言う通り、俺はタメ口だろうが気にはしないよ。ただ、結月さんが嫌なら今のままでいい。好きなほうで構わない」


 間違いない。結月さんは必要以上に俺を頼らないようにするつもりだ。そのために線を引く。彼女なりのけじめなんだろう。

 ……だけど、


「そ、そうじゃないです光輝さん! 別に嫌ってわけじゃなくて……!」


 彼女はなぜか強く否定した。


「だったら練習だねお姉ちゃん! はい、キュー!」


 日菜さんは昭和の映画監督のように、手だけでカチンコを叩く仕草をした。……なんでそんな古いこと知ってんの。


 結月さんは最初はあわあわと視線をあちこちにさまよわせていたが、やがて覚悟を決めたのか、眼を閉じて何度か大きく深呼吸をした。


 そして静かに目を開き、そのオニキスのような瞳を向けた。


 心臓が震えた。


「こ、光輝さん」

「え? えっと……は、はい」


 なぜか俺が敬語になっている。


「……今日の夕ご飯、肉じゃがにするね。だからお買い物、手伝ってくれると嬉しい、な……」


 結月さんはもじもじとはにかみながら、それでいて天使が花を咲かせるかのように微笑んだ。


「………………」


 何これ。可愛すぎるんだけど。


「……焚きつけといてあれだけど、肉じゃがとか男ウケ狙いすぎ……。ていうか夕飯もいっしょのつもりなんじゃん……」


 日菜さんの呆れたコメントは俺の耳には届かなかった。

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