後妻男爵未亡人は、修道へすすみます。
正方形の盤上に置かれた装飾性の高い駒を対戦相手と交互に動かすボードゲームの終盤、相手が腕を組んだ。数手先を読み、額に汗する彼がどうでるか。私はじっと沈黙に耐える。
「負けました」
ぱっと顔をあげる対戦相手の青年は、使用人のジャック。まるで息を止めていたかのような真っ赤な顔をして、大きな深呼吸を繰り返す。
私は笑う。
「これで、三六七勝五八敗、ね」
ジャックは頭を抱えて、「無理なんですよ。奥様に勝とうなんて、もう勘弁してください」と泣きごとを言う。負けはすべて、駒落ちの指導なのだ。元来の彼と私の実力差は明白であろう。
くすくすと笑う私の名は、マギー・マンヴィル。ご高齢の男爵に後妻に入った平民だ。
すぐ横で寝床に伏しているサイモン・マンヴィル男爵は、今日はまだ調子よく、身を起こし、ボードゲームを観戦を楽しんでいた。
ここは男爵の寝室である。
ボードゲームが好きな男爵は、領地内でそのゲームに才能をしめす子どもを支援し、王都の養成施設に送り出してきた。手ほどきを受けた半数は、今も王都でプロとして活躍している。
私も支援を受けた一人だが、花咲くことなく、地元領地へ帰ってきた。
高齢な男爵が息子たちに仕事をすべて譲り隠居した。最期を迎えるまでボードゲームに興じることを望み、王都から戻ってきて嫁ぐかどうするかと実家で思案していた私のことを知り、男爵から後妻の申し出があり、両親が受けたのだ。
「ごほっごほっ」と、男爵がせき込む。
私は立ちあがり、男爵の背をさする。
「無理されないでください」
「すまない」と言いながら、またせき込む。
後妻に入った頃は、まだ打つことができたボードゲームも最近は、ジャックと私の対戦をみるだけにとどまっている。日に日に弱っていることは、肌で感じている。
「旦那様、私では奥様の対戦相手として不足で、もうしわけありません」
ボードゲームを片づけながら、ジャックがすまなさそうに言う。
旦那様は弱々しく笑む。
「いいんだ。盤上で撃ち合う駒の音を聞いているだけで、私の心は穏やかになる。痛みや苦しみが薄れ、若い頃の名局を思い起こせば、時を超え、隆盛期の頃をまどろみながら夢見ることができるのだよ」
私と、ジャックと、旦那様の三人が暮らす小さな屋敷内。肩寄せ合って、互いに思いやりながら、最期の時を待ち、穏やかに過ごしていた。
程なく、旦那様が亡くなった。夢の中に吸い込まれるような穏やかな、死だった。
先に亡くなられた正妻のご子息が数人乗り込んできて、遺体を持ち出し、葬儀を進めた。王都に出ていた旦那様にお世話になった人々も参列した。ボードゲームの協会からも、今までの功績をたたえる品が贈られ、代表者も参列していた。
古い馴染も何人かいて、私が男爵の後妻に入っていたことを驚いていた。
後妻の私は親族の中でも、末席に座らされた。
男爵の長男から三男までが、公然と前に出て挨拶する。彼らは、床に伏してからほとんど男爵の見舞いにはきていない。
重要なのは、男爵領と爵位の譲渡であり、それ以外は関心が薄いのだろうと私は思っている。
遺体も埋葬され、狭い屋敷には、私とジャックが残された。
ボードゲームも亡くなる数日前から使われなくなり、ばたばたと葬儀が終わり埋葬し終えるまでの間にほこりをかぶってしまっていた。
「静かになってしまったね。ジャック」
「本当に……」
静かになった屋敷の従業員用の食堂で、わびしい食事を黙々と食べながら、人ひとりいなくなった寂しさに打ちひしがれていた。
寂しくもひと段落がついた数日後、ばたばたとやってきたのは男爵の息子たちだった。
応接室に彼らを通し、私とジャックで急ぎお茶を用意する。
「ごめんね、後は任せたわ」
「奥様も、気をつけてください」
ジャックの意味を胸に秘め、私は応接室へと向かった。平民出身とはいえ、最期は男爵の夫人としての立ち位置にいるため、今この屋敷のトップは私ということになる。
応接室に入ると、三人の息子がいた。一人は立ち、二人はソファーに座っている。
私を見るなり、忌々し気な顔色を見せた。末端と言えど、貴族である。平民の私など、本当は、男爵夫人として扱いたくないのだろう。
「今日はわざわざご足労いただきありがとうございます」
私は丁寧に礼をする。
男爵に王都に送り出してもらう際に、私たちは礼儀作法も教えられる。こんなところで役に立つとは思わなかった。
「単刀直入に問う」
窓際に立っていた私の親ほどもある年齢の長男が、振り向き、冷ややかに私を見下ろした。
「お前の目的はなんだ」
「目的?」
目的と言われても、私は男爵とボードゲームを打つためだけにここにいたのであって、ここにいる目的も今は失ってしまい、どうしていいかと思案している最中である。
答えようがない。
「目的と言われましても……」
「親父が死んだのだ。それ相応のものを要求する気だろう」
ソファーに座り足を組んだ次男が語気強く言い放つ。
それ相応……?
「兄さん、やめなよ。まだ、子どもだ」
三男が隣の次男をなだめる。
「僕たちは君が父の後妻に入った後に聞かされた。体の弱っていた父にどのように取り入り後妻に入ったのか、または、どういう目的で後妻の地位をかすめ取ったのか知りたいだけだ。
最低限は条件をのんでもいい。しかし、身分不相応な要求をするようであれば、容赦はできないと言いたいだけなんだよ」
身分不相応……?
私はますます意味がわからない。晩年の男爵のボードゲーム相手として後妻に入っただけに過ぎない。ボードゲームの数手先は読めても、人生経験の浅い私には、今の状況までは想像できていなかった。
私が望んでいることなんて、特にないのに……。
「そうですね。しいて申し上げましたら……」
私の脳裏に浮かぶのは、盤と駒だけである。男爵の使う盤と駒は王都の一級品だ。後妻に入って、うれしかったのは、そんな美術品のような駒を毎日磨き、毎日打つことができるからに他ならない。
「私が欲しいのは、男爵が残された、盤と駒でしょうか」
考えあぐねて出した答えに、三人の息子たちの目がキョトンとする。視線を合わせ、笑いだした。
「なにを言っている。そんな親父の趣味の品など好きなだけくれてやる。私たちが聞いているのはそんなことではない」
窓際に立つ長男がすごんでくる。
「今回の相続で、どれだけの遺産分配を目論んでいるかだ」
その時、扉が開いた。
「お茶をお持ちしました」
ジャックが部屋に入ってきた。執事風の装いに変え、紅茶を用意し始める。
普段はこのような恰好を彼はしない。兼務する仕事が多いので、汚れてもいいような恰好をしている。庭師に料理人に、彼はほとほと忙しい人だ。
「ジャック。君もいつまでここにいるんだ」
次男が、親し気に声をかける。
「こっちに戻って仕事しろ」
「私は、旦那様と奥様の世話係としてこちらに配属されているにすぎません」
「親父もいなくなった。近いうちに、戻ってこい」
ジャックは黙ってお茶を入れ、各人に振舞う。
ジャックも彼らの知り合いなの。いつもの表情豊かな彼の面影は消え、無表情で面をかぶったような顔ではジャックの本心は読めない。
「問題は、お前だ。後妻のマギー。しらばっくれるな。このまま、親父の残した財産のどれだけを要求しようとしているんだ」
開いた口がふさがらない。この人達は何を言っているの。ジャックは歓迎され、私は煙たがられている。さっきから言っているのは、遺産、遺産……。彼らには父親が亡くなったことを悲しむ心はないの。
「私に遺産を受け取ってほしくないといっているのでしょうか」
乾きそうになる口からやっとの思いで言葉を紡ぐ。正直、遺産相続など関係ないと思っていた。念頭にもなかったことだ。はっきり言えば、どうでもいい。
「そこまでは言っていないよ。ただ、節度を分かっているのかと、そう聞きたいだけなんだ」
三男は、言葉は丁寧だけど、とても冷たい。
「私は……、特にそのようなことまで考えていませんでした。欲しいものなども、盤と駒ぐらいですし……。未亡人となった今、どこかで安泰に暮らせれば、欲するものはありません」
これは本心だ。盤と駒と、雨風がしのげる家と、つつましい暮らしだけできれば私は満足である。
三男が、ずいと身を乗り出した。
「遺留分だけ受け取ったら、ここを去り、修道へすすんでほしいとこちらが要求してものんでくれるのかな」
「私が、ここを去るのですか」
そこまでは考えていなかった。平民の私には過ぎた家ではあったけど……。
「僕たちは、君に後妻として、今後のことに口を出されたくもないんだ。正直、父の最後の妻なんて、いないことにしたいぐらいなんだよ」
厳格そうな長男より、乱暴そうな次男より、一見丁寧な三男が、一番冷酷で、恐ろしいわ。
三男が、横に置いたかばんから、すっと書類を出してきた。
「遺留分以外、放棄してもらう。この書類にサインしてもらいたい」
サインをするぐらい訳なかった。息子たちは、私が要求をのみさえすればいいようで、そそくさと帰っていった。
翌日、私の遺留分についての説明書類が届いた。
修道へすすむということになり、遠くにある孤児院併設の修道施設が指定されていた。
持ちだせるのは、盤と駒。荷物の移動用に馬車一台。後日、修道施設から馬を連れて、迎えが来るという。馬車はそのまま、施設で使用可能だった。馬の譲渡はなし。
日銭が少し。
男爵が私に買ってくれた品々と、日用品など、廃棄予定の物は持ち出していいという。迎えにきた馬を引き連れた御者になる男性に、廃棄する品を見てもらい、持っていって役に立ちそうな物を、のせられるだけ馬車に乗せた。
迎えの男性に屋敷に一泊して休んでもらい、翌日出発する。ジャックとも最後の挨拶を交わす。
「今まで、色々ありがとうね」
「すいません。一緒に行けなくて」
「いいのよ。たくさん、負かせてごめんね」
ジャックは首を横に振った。
「いいんです。必ず、会いに行きます」
「忙しいんでしょ。男爵の息子たちもあなたが戻ってくるのを待っているようだし」
「男爵以外に仕える気はもうないんです」
「そうなの。そんなに良い就職先はないでしょうに」
「いいんです。いずれ、必ず、会いに行きます」
ジャックとはそれきりとなった。
三年の月日があっと間に流れた。
元々平民の私には修道施設での生活は慣れたものだった。子どもたちを叩き起こし、料理や畑、掃除、洗濯、なんでもこなす。
私がきてよかったのは、子ども達に礼儀作法と勉強とボードゲームを教えられることだ。一人強い子がでてきたので、王都にいるプロになった地元出身者に預けた。男爵の後妻という肩書が役に立った。このぐらい肩書を使うなら怒られないよねと思いながらも、ちょっとビクビクした。男爵の息子たちからは沙汰はなく、ホッとした。
晴れた日にはシーツを洗って干す。
勉強を教えるのも、しっかりと育った年長者に任せられるようになってきた。
風に揺れる、シーツの向こうに、人影が見えた。
見慣れた人に、私は洗濯物をほおりだした。
「ジャック」
名を呼び、駆け寄る。
「どうしたの。男爵の息子たちの家で仕事していたんじゃないの」
彼はちゃんとした身なりをして、大きなカバンを下げていた。
私を見つけるなり、とてもうれしそうな顔をする。
「あなたに会いにきたんですよ」
「私に? どうして」
「どうしてって……」
ジャックの頬がすっと赤みを帯びて、斜め下に視線を落とす。そんなかしいだ顔のまま、瞳だけ私に向ける。
「マギーに会いにきたんです」
「私に?」
「身辺を清算するのに少し時間がかかっただけですよ」
「清算?」
「俺は、男爵の末息子です。妾の子だったので、隠し子みたいなものです。兄たちのそばにいるとこき使われると、父が使用人として僕を囲っていたんですよ」
「男爵の息子?」
「表向きは、使用人です」
「息子なのに、使用人なの?」
貴族の言うことは、いつもいまいち理解できないわ。
「あなたがちゃんと受け取るものを受け取って、父と過ごした屋敷でつつがなく暮らせると父も僕もふんでいませんでした。
案の定、兄達は、目障りなあなたを排斥した。
彼らの行為をとめることはできない。父は先んじて手を打ちました。僕の給金を通常の五倍にしていたんです。あなたは配偶者だから、給金を受けることはできない。だから、先んじて、給金という形で僕にお金の一部を譲渡したんです。
兄たちも愚かではありません。その辺も察し、法外な給金を返還するように要求しました。しかし、介護中一度も出向くことがない兄たちです。僕は父の介護という名目で、父が残した僕名義の財産を守るのに数年要してしまったのです」
「……大変だったのね……」
内容はちんぷんかんぷでも、なにかすごく大変そうな気配は感じる。
キョトンと見上げる私に、ジャックは続ける。
「全部清算してきました」
手にしていたカバンを地面に置く。
「好きです。僕は、すべてを捨てて、あなたを追いかけてきました」
そう言って、ジャックは私を抱きしめた。私は、状況が読めなくて、目を丸くするばかりだった。
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