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怪奇5




「なんで中国が好きなの?」




留学時代、よく聞かれた言葉だった。

日本に帰ってからも、聞かれることはあった。

外国を、自国以外の国を好きになった理由はさまざまだ。

その国の文化が好き、食べ物が好き、人間が好き。

なにかを通して、好きになっている。

多くの場合、好きになる理由と言うのが、単純なものであることが多い。

だから、中国を好きになった理由を聞かれたら単純に答えている。


「三国志を読んだのがきっかけなの。」


それで多くの場合は、納得してくれるので助かる。

日本人が、中国を好きになるきっかけは、ほとんどは三国志である。

ちなみに三国志とは、古代中国の後漢から後の時代、魏・蜀・呉の三国を称して三国時代と呼んでいる。この時代、多くの英雄が生まれ、さまざまな戦を通して新しいものが生まれた。そんな三国時代を、後年になって大衆向けに作られたのが『三国志演義』になる。一般に、日本で知られているのは、羅漢中が空想を付け加えて書いた『三国志演義』になる。一応、三国志に関する正しい歴史書、正史は存在する。存在はするが、三国のものとして統一はされていない。魏・蜀・呉の三国それぞれが、「自分が正しい!」と主張し、魏書・蜀漢書・呉書として正史を残しているのだ。ちなみに蜀だけ正史に『漢』がつくのは、蜀の初代皇帝となった劉備が、前王朝の漢の皇帝の血筋ということで、一字もらって『蜀漢』としたのだ。ただ、劉備が本当に後漢の皇族の子孫か疑問視する声もあったりする。早い話、それだけ当時の世の中は乱れていたのである。


「少し謎があるくらいが、ワクワクして面白いよ!」


・・・そう。三国志が好きな者として、真偽がわからない話でさえも、楽しんでしまう。だから、自分にそう語る彼女とはすごく気があった。


彼女とは、同じ三国志好きの友達・和美のことだった。

留学時代、中国人の友人を通して知り合った日本人が和美だった。

異国の地で知り合った同属との出会いは、とても良いものだった。

元々、お互い三国志が大好きだったので、それがきっかけで仲が深まった。

休み時間や放課後は、よく二人で三国志話をしていた。

学校のない日や長い休みの時は、二人で三国志ゆかりの地へと足を伸ばした。

和美は三国志だけでなく、中国や中国人も好きな子だった。


「義理に忠義に、みなぎる自信!中国人って、かっこいいよね!」

「中国人もそうだけど、中国文化もすばらしいよね!」


日本に帰ってからも、和美とは連絡を取り合っていた。

長電話はいつものこと。時間があれば、食事やショッピングをともに楽しんだ。

話の中心は、いつも三国志のことだった。


「和美と三国志の話をするのは楽しいよ。」

「私も、こうやって好きな話ができるのが一番いいよ。」


好きなことについて語りあうことで、さらに好きになる。

話すを深めるうちに、好きな部分を見つけて大好きになる。

だが・・・・好きになるとは限らない。

知るうちに、好きなになる場合もあれば、逆に嫌いになる場合もあるのだ。


「私も三国志がきっかけで中国が好きになったの!中国人の心がわかるから、だから三国志が大好きなのよ!」


そう言って、三国志良さ、中国と中国人の良さを教えてくれた友達。

しかし数年後、その友達の口から「中国」という言葉が出ることはなかった。



2006年、某月某日、日本某所の某県のとある家の一室。

すべては、一本の電話から始まった。


「赤壁が危ないらしいよ!」


切羽詰った声で、電話口の和美は叫んだ。

彼女から突然電話が来たのは、就寝直前の夜だった。

最初の言葉が『赤壁』だったので、三国志のことを言っているのは分かった。

しかし、なにが大変なのかわからない。わからないので、聞くしかなかった。


「どうしたの・・・急に・・・!?」

「だから、赤壁が大変なんだよ!」


それを質問してるんですが。

相手は相当あせっているらしく、こちらの思いを察してくれない。

いつもは感のいい友達も、好きなもののこととなると、我を失うらしい。


「その・・・大変なのはわかるけど、赤壁って、あの赤壁のこと?」

「そう!三国志の定番!赤壁の戦いの赤壁!」


確認の意味も込めて、念のために聞いた問い。

和美は、わかってくれたといわんばかりの声で返事をした。

ちなみに赤壁とは、三国志の見せ場のひとつ、『赤壁の戦い』の『赤壁』である。

時は208年、大国・魏の曹操が、江南の呉を武力で攻めようと、10万の大軍を率いてやってきた。あまりの数に、呉の家臣のほとんどが、魏に降伏すべきだと訴えた。そんな中、交戦を主張したのが、呉の若き名将周喩率いる一派だった。圧倒的は兵力の差はあったが、自慢の水軍と火計を用いて魏に敗北を与えたのである。この際、魏と呉は「うりん」と言う場所で戦ったのだが、後にこの勝利を祝して周喩が、「うりん」の一角にあった壁に「赤壁」と記した。それ以来「うりん」は、「赤壁」と名称を変え、今日に至るのである。

この周喩が書いたとされる『赤壁』の文字は、加筆されながらも現在まで残っており、人類の貴重な宝としても有名であった。


「それで・・・その赤壁がどう大変なの?」

「今、アーシャから連絡が来て、赤壁がピンチなのです!」

「アーシャが?」

「あの子がいうには、間違いなく危ないらしいんですよ!三国志の赤壁が!」


電話口で興奮気味に和美は言う。

実は和美を紹介してくれた中国人の友達というのがアーシャなのだ。

さらに言えば、アーシャと和美は三国志が縁で交友関係を結んだ親友兼同志でもあるのだ。

二人の出会いは、日本語をマスターしたいアーシャが、外国人同士の文通を行う場所で募集を出したのがきっかけだった。

【三国志好きの日本の方との文通を希望します。】

それに食いついたのが、三国志命の和美だった。

すぐに、名乗りを上げ、アーシャに猛アプローチをかけたのだ。

好き嫌いの激しいアーシャだったが、和美からの文面を一目で気に入ったと言うのだから、よほど相性がよかったのだろう。それから数年近く文通を続け、アーシャからの強い薦めもあり、彼女と同じ大学へ留学したのだった。

ちなみにアーシャも、熱烈な三国志ファンなのである。


「一体アーシャが、なにを伝えてきたの?どう、赤壁が危ないの?」

「聞いたら絶対に驚くと思うので、驚いてくださいね!」

「は、はぁ・・・わかりました。なんでしょうか?」

「なんと!」

「なんと?」

「中国政府が赤壁を取り壊そうとしてるらしいの!」

「赤壁を壊すぅ!!?」


聞き捨てならない言葉に、思わず声を上げる。時刻は、日付が変わるという時だったが、そんなのかんけいねぇ!!


「やはり驚きましたね?」

「驚くよ!驚かない方がどうかしてるよ、それ!?」

「だから一大事なんですよ!」

「な、なんで!?なんでそんな、馬鹿なことが!?」

「詳しいことはわからないんだかけど、赤壁への維持費がかかるから、経費節約のために壊したいっていう地方役人の考えらしいの!」

「冗談ポンポコリン!どれだけ無知なの!?どれだけ職務怠慢なの!?赤壁をぶっ壊すなんて、そんなことを世界中の三国志ファンが黙ってないわよ!?」


黙っていられなかった。

和美の言葉に、もう一人の自分が反応する。熱烈な三国志ファンとしての魂。

留学時代から、地方役人の悪い評判は聞いていた。性質が悪いからと、ロウから地方への旅行を制限されるほどだった。賄賂=地方役人といわれほど悪名高い。

それを知っていたからこそ、怒りの炎が燃え上がった。


「歴史的にも貴重な場所を、維持費がもったいないって言う理由で更地にするわけ!?」


中国の地方役人への文句に対して、同じく三国志を愛するともはいった。


「更地じゃないんだよ。」

「え?」

「赤壁を壊した跡地を、ダムにするつもりらしいんだよ、地方役人は!」

「なにぃぃぃ!?」


赤壁をつぶしてダム!?ダムの底に赤壁を沈めるって!?


「ダム!?赤壁を壊してダム!?」

「そう!ダムがあれば、いろいろ便利なんだって!だから、便利さを求めて、地元の役人は壊したいって、アーシャが言ってたよ!」


そう言えば昔・・・『赤壁の周辺は、水不足で困るらしいよ』的なことを、アーシャが言っていたような・・・!いやいやいや!


「だからと言って、世界的価値がある赤壁を水の底に沈めるのはおかしいよ!?」

「そうでしょう!?これだから地方役人はっ!!」

「まったくだよ!便利な生活したいなら、出世して都会に行ってしまえ!それで!?地元の人の反応は!?」

「地元の住民は大・大反対だよ!だって、赤壁がなくなったら、観光客が来なくなって、観光収入が減るわけじゃない?農業に転職するにしても、肝心の土地が、ダムになったらできないじゃん。だから、猛反発してるんだって!」

「地元の人じゃなくても反発するよ!信じられない!」

「さらに信じられない話をしてあげるよ。」


怒りがこもった静かな声。意味ありげな口調で和美は言った。


「残念ながら、赤壁取り壊しは決まりした。」

「えぇぇえ!?」


・・・・・・・・決まった・・・・・・!?

赤壁の取り壊しがっ!?


「ちょ、チェンジ!チェンジ!!」

「どこのお店ですか!?無理です!もう・・・取り消せません・・・!!」

「そんな!嘘でしょう!?」

「二〇〇八年に、赤壁は取り壊されることとなりました。」

「オリンピックの年に!?」

「最近聞いた話では、中国政府は、古き良き時代のものを撤去するつもりらしいのです。」

「てか、良きものって、自覚がないでしょう!?」


二〇〇八年となれば、あと数年後じゃない!?

数年後には、1800年近く前のものがなくなっちゃうわけ!?


「待ってよ!私赤壁の地へ、まだ行ってないんだけど!?」

「知ってますよ。ちなみに今後のご予定は?」

「急にそんなこと言われても無理だよ!すぐにいける状況じゃないよ!」


本音を言えば、今すぐ飛んでいきたかった。しかし現実は、そんなに甘くはない。


「行けるわけがないよ・・・!」


間が悪いことに、この当時は、身動きが取れない状態であった。

海外はおろか、近所に遊びにいくことさえ出来ない状況であった。


「こんなことなら、留学中に行けばよかったね・・・!」

「そう気を落とさないで!まだ数年は時間があるから!」

「なんで、ドラえもんが現実にいないんだろう・・・!」

「あと100年ぐらいしたら、現れるかもしれないよ?」

「無理だよ!100年前の人は、100年後の人は、猫語と犬語をマスターしてるって予想してたけど、今の私ら、マスターできてないじゃん!?」

「じゃあ、100年たっても、ドラえもんは無理か・・・。」


今の現状を考えるとむなしくなった。

和美の言う通り、留学中に行く機会は何度かあった。

しかし、一緒に同行してくれるアーシャの都合がつかなくて行けなかったのだ。

日本人だけで地方に行くのは危ないとロウなどに言われ、行くに行けなかったのである。


「しかも政府は、すでにバリケードを張って、住民が入れないようにした模様です。」

「つまり、本気で取り壊すなんだね・・・!」

「そう!オリンピックにあわせて、近代化にするつもりなんだって!」

「最悪だ!物の価値がわかってないよ、中国政府!!」

「わかるよ、その気持ち。一言文句を言ってやりたいよね?」

「日本語で、悪口言ってやりたいね!どうせわからないだろうから!」

「ナイスアイデア!すごくいいね、それ〜!採用!」

「あ、ホントに?そんなにいいかな?」

「いいですよ〜!そういうわけなので、早速中国に行ってきます。」

「はぁあ!?」


おだてられ、気をよくしたところで不意打ちを食らう。

和美の言葉に、普段は出さないような変な声を出してしまった。

しかし相手は、それを気にすることなく言葉を続けた。


「明日の朝一番で、中国に行ってきます。しばらくアーシャの所に泊まります。」

「きゅ、急すぎない?」

「なに言ってるんですか!?三国志の赤壁が危ないんですよ?まぁ・・・仕事もあるので、長期滞在はできませんが、向こうの状況が変わり次第、まめに行こうとは思います。」

「ずるいよ!そんな!私も行きたいよ!」

「現実問題、明日の朝市で大陸にいけるんですか?」

「それは・・・!」


行けるわけがない。

返事に困り口ごもれば、なだめるような声で和美は言った。


「抜け駆けしてるのはわかってるよ。だから、1人だけずるいとは思うし、悪いとも思ってる。本当に・・・ごめんね。」

「え!?いや、和美が謝ることないよ!私も、年甲斐もなくわがままなことを・・・!」

「まだまだヤングでしょう?それに、こういう機会に知っておきたいの。中国の人が、権力者に対してどう思っているか。」

「中国人が?」

「そう。貧富の差が激しくなって、格差は広がるばかり。その中で、たくましく、健気に生きている人達の力になりたいの。」

「和美。」

「署名活動ぐらいは出来るよね?それに、外国人が騒げば、地方役人もご無体なことはなさらないでしょうから?」

「・・・・無茶しないでね。」

「もちろん!お土産買ってきますから。」

「楽しみにしてます、隊長!」

「任せなさい!逐一、最新情報を伝えるの!携帯の傍に待機しておいてくれたまえ、軍曹!」

「了解です、和美隊長!」


力強く言う友に、無事を祈りながらエールを送った。


翌日、和美は本当に中国へ旅立った。

この赤壁消滅危機事件は、仲間内では注目すべき話題として、しばらくは持ちきりだった。幸い、新しい情報は、和美とアーシャを通して知らされた。伝えられる情報は、こちらにとって悪いものばかり。朗報などなかった。

そんな訃報続きの状況が一変したのは、つい最近のことだった。


「聞いて!赤壁の速報!」


電話の主は、アーシャだった。

電話が来たのは、あの時と同じ終身直後の夜。興奮気味の声で赤壁の話をする。

ただ、あの時と違ったのは、それが嬉しい知らせだったことだ。


「赤壁ね、取り壊しが中止になったよ!」

「ええ!?本当に!?」


赤壁取り壊し、中止。

それがどれほど、三国志ファンにとって嬉しいことか。

最後に勝つのは、やはり正義だ。

嬉しくて嬉しくて、何度もよかった、よかった、と繰り返し言った。


「そうよね〜嬉しいよね!?これ全部、太史慈たいしじ将軍のおかげよ!」

「たいしじって・・・あの太史慈将軍?」


アーシャが口にしたのは、三国時代の英雄の名だった。

太史慈たいしじ、字を子義しぎ。東莱のとうらいのこうというところの出身者。

呉の孫権の兄・孫策との一騎打ちの末に、その実力を認められて配下となった武人である。


「本当よ!太史慈のおかげで、赤壁は守られたの!」


何故太史慈の名前が?

その疑問を聞く前に、アーシャが答えてくれた。


「太史慈の墓が発見されたの!」

「墓?」

「そう!三国時代の英雄の中には、墓がわかっていない人・発見されていない人がいるんだよ!太史慈もその一人で!」

「それで?」

「赤壁近くの土地を工事していた作業員が、墓石を見つけたの!一目見て、かなり古くて大きいから、みんなを呼んで調べてもらったら―――――――!」

「それが太史慈の墓だったの!!」


突然、電話口の声が変わった。聞き覚えのある声。

その声の人物が頭に浮かぶ。浮かんだと同時に叫んでいた。


「か、和美!?」

「へへ!お久!元気してた!?」

「元気だけど、また中国に行ってたの!?」

「そうなの!今回はタイミングがよかったよ〜!まさか、大陸で赤壁中止の朗報が聞けるなんて思わなかったもん!」

「コラ和美!おいしいところを言うな!」


ご機嫌で話す和美の隣から、茶化しながら言うアーシャの声がした。


「そうなの!それが太史慈の墓で、どうしようかと話してたら、別の作業員が飛んできて!!」

「『工事は中止だ!』て、言ったの?」

「違うよ!『似たような造りの墓が、向こうにもある!』って!!」


「え!?ちょ、それって―――!?」


アーシャの言葉に、胸が高鳴る。


「そうなのよ!その場所は、三国時代の呉の武将を埋葬していた墓地だったの!!太史慈以外に、誰が見つかったのか、まだ確認してないからはっきりいえないけど、噂じゃ呂蒙りょもう凌統りょうとうの墓らしいのよ!」

「ええ!?」


見つかってなかったんだ・・・!?

呂蒙や凌統の墓とか・・・。

この呂蒙・凌統と言うのも、当時の呉国を支えた名将達であった。


「あくまで噂よ!う・わ・さ!本当にまだ、だれのお墓かわからないのよ!」

「今わかっていることと言えば、これを受けて中国政府が、ダム建設を中止したってこと!」

「中国政府がそう命じたの!?」

「偉人の貴重な墓がある場所に、ダムをためるなんて馬鹿なことはしないわ」

「そうそう!むしろ、そのことを観光にPRした方が利益になるのよ!」

「じゃあ、じゃあ!赤壁は――――――!!」

「取り壊されません!」

「永遠にね?」

「やった―――――――!!」


アーシャと和美の言葉に、大声で叫び、喜んだ。

それに対して、電話の向こうで、同じように喜ぶアーシャと和美の声。


「これで、安心して赤壁に行けるよ!よかった〜!」

「せっかくだから、みんなで赤壁に行こうよ!」


「いいね!?行こうよ!」

「それじゃあ、取り壊し予定だった2008年に行かない?ちょうどオリンピックもあるからお徳じゃない?」

「賛成!そうしよう!」

「じゃあ、3人で必ず赤壁に行こうね!」


そう約束し、喜びの電話を終わらせたのだった。



2008年、某月某日、中国某所のホテルロビー。


「和美は元気?」

「アーシャ・・・・!?」


ホテルのロビーで、玲子の帰りを待っている時だった。

彼女が、アーシャが現れたのは。


「ああ・・・、その、順番が違ったわね。」


そうぼやくと、向かいの席に腰を下ろしながら言った。


「あの晩はごめんなさい・・・顔をたたいてしまって。」


そう言った彼女の視線は、口元へ注がれていた。

ばんそこうを見ているな・・・。

相手からの謝罪の言葉を受け、首を振りながら答えた。


「気にしなくていいよ。私よりも、アルバートと和解して。」

「それはお断りよ!」

「じゃあ、玲子に対しては?」


去り際に、玲子を恨めしそうに睨んでいたアーシャ。その言葉に、彼女はばつの悪そうな顔をする。


「・・・玲子は、気が強いだけで悪い子じゃないよ。あの時はお酒も入っていたから、乱暴な止め方をしたと思う。」

「それは・・・」

「アーシャも、お酒が原因で、いつもとは違うことをしたと思うよ。」

お酒が悪い。

アーシャが暴力を振るったのは、お酒が原因。

そういうことをほのめかしながら言う。

すると彼女の表情が変わる。

「アルバートも、疲れてる時のお酒を飲んだから、あんなこと言ったのかなぁ・・・。」

わざとらしく言ってみせる。

「・・・お酒が悪いと言うの?」

「悪いと言うか、飲みすぎるとろくな事がないよねー」

「そうね・・・。」


しばらく考え込んでから、アーシャは言う。


「せっかくの再会だから、私が我慢するわ。日本で言う、水に流すと言うことをするわ。」


彼女の言葉に、思わず苦笑した。気位の高いアーシャ。本人の機嫌を直し、周囲へのわだかまりを解くとなれば、こういうやり方が一番である。


「よかった。そう言ってもらえて。」


笑いを誤魔化すために、笑顔で相手に告げる。するとアーシャも、照れくさそうに笑う。


「本当にごめんね・・・ごめんなさい。」

「いいよ。それより、なにか飲み物でも頼む?」

「今はいいわ。それよりも―――――・・・」


強気な彼女には珍しく、遠慮がちな声で言った。


「和美はどうしてるの?」


体に電気のようなものが走る。


「どうって・・・連絡取ってるんじゃないの?」


平静を装いながら、不思議そうな顔を作りながら尋ねる。


「・・・・してないわ。全然連絡してくれないし、私から連絡しても出ないし・・・!」

「・・・そうなの?」

「そうよ!あの子、仕事が忙しいの!?」

「え・・・ど、どうかな〜?私も最近連絡してないから・・・・わからないんだ。」

「・・・そう・・・。」


少しだけ言葉を濁しながら言った。するとアーシャは、つまらなそうにそっぽを向く。

その姿に、胸がチクリと痛んだ。


ごめんね、アーシャ。


心の中で謝る。アーシャに言ったことは嘘。知らないって言ったのは嘘なんだ。

和美とは以前と変わらず、今でも連絡を取っている。中国に行くことも、和美には伝えた。

でも本人から、


「アーシャに聞かれても、連絡してないって言ってね!」


言うなと口止めされていた。だから、それ以上のことは言えないの。


「和美と喧嘩でもしたの?」


話題をそらそうとしていった言葉。それに、相手は敏感に反応した。



口止めされていた。アーシャの知る和美は、三国志が好きで、中国の歴史が好きな女性。

中国が好きな日本人の友達。

でも・・・・今は違う。


「和美が悪いのよ!あんなこと言うから!」

「・・・あんなこと?」

「急に、中国人内部のことに口出しして、挙句の果てには『中国も中国人も大っ嫌い!』って言ったんだから!」

「和美が・・・・?」

「そうよ!以前はあんな子じゃなかったのに!わけがわからないわ・・・!」


苦悶の表情で黙り込みアーシャ。

二人が喧嘩をしたことや、疎遠になっていることは、仲間内では知られたことだった。しかし誰も、その原因を知らない。二人からのこぼれ話(というよりも、アーシャの話のみ)を聞けば、中国人の人種的な考え方に、和美が反発したことが原因らしい。


「急に、『中国も、中国人も大っ嫌い!』て、和美は言ったのよ!?人の悪口を言うなんて信じられないわ!」


もっとも、和美がなにも言おうとしないので、実際のところはわからない。

でも・・・アーシャの言うことは本当だろう。

そう断言できるのは、自分だけが、真実を知っているからだ。


「中国なんか大っ嫌い!!」


脳裏に響く、和美の悲痛な声。

電話口から聞こえる彼女の声は、いつもの楽しそうな声ではなかった。

初めて聞く、不快をこめた声。怒りをあらわにした言葉。


「中国も、中国人も大っ嫌い!!」

「和美!?」

「三国志に出てくるような中国人は、現代にはもういないわ!三国時代が消えると同時に、死に絶えたのよっ!!」


突然のことに混乱した。混乱しつつも、カレンダーに目をやる。


「・・・・・なにかあったの?今回の中国旅行で・・・・?」


一ヶ月前、彼女から電話を受けた時に、中国へ旅行に行くといっていた。

今までの、数日程度のものではなく、今まで長い一ヶ月旅行だ。

言葉が通じるので、単独で中国各地をまわって旅すると言った和美。


「好きだからこそ、本当の中国を知っておきたいの。」


ご機嫌に語る友の無事を祈りながら送り出したのが一ヶ月前。

楽しそうに話していた彼女からは、想像もつかないほどの悪態振り。


「・・・ロウの言ってたこと覚えてる?」

「ロウの?なにを言って―――――?」

「なんで私達が、留学時代に地方へ旅しなかったか忘れたの!?」

「――――――――――あっ!」


留学時代から、地方役人の悪い評判は聞いていた。


“日本人だけで歩いていると、すぐに職務質問を受けますよ”

“どうして?”

“持ち物検査をするふりをして、お金を抜き取るんですから。”


性質が悪いからと、ロウから地方への旅行を制限されるほどだった。


“だから、日本人だけで地方へ旅行に行かないでくださいね。”


賄賂=地方役人といわれほど悪名高い。


「私は、中国に幻滅した・・・・!今の中国人はひどいわ!あんな乱暴されるなんて・・・!!」

「役人に何かされたの!?」


大きな不安に比例するように、大声で相手に問う。


「腐ってるのは、役人だけじゃなかったっ!!」


途端に、和美の悲痛な叫びが返ってきた。


「三国時代の漢民族は、現代にはいないということよ!なんでロウが、日本人だけで行っちゃだめだって行ったかわかった!日本人だけだと、なめられて、馬鹿にされて、お金をむしり取られるからよっ!!」


彼女は、詳しい理由を教えてはくれなかった。でも、和美の途切れ途切れの会話をつないでわかった。彼女は、初めて行った中国大陸の地方の方で、嫌な思いをしたらしい。

和美は、人間の卑しい部分・・・『強欲』と言う部分を嫌と言うほど、見せ付けられたらしい。


「お金しか、もうけることしか頭にないのよ!都合が悪くなれば、戦争の話を持ち出して、お金をたかってきたの!!」


日本人だからお金がある。

お人よしだからお金が取れる。

戦争責任を言えば、こっちの言いなり。

お金を出すはず。

お金お金。チップを弾んで。お金があるんでしょう?月にいくらの給料?

買えるでしょう?買ってよ、日本人なんだから。

お金お金お金お金お金お金\\\\\\\\\\!!!


お金を持ってるんだから、頂戴よ。


露骨に『お金をくれ!!』と・・・。


そういう接し方をされてきたらしい。

和美が、どれほどの目にあったかわからない。わからないが・・・旅行から帰った彼女は、明らかに心が傷ついていた。

傷ついて、思い悩んで、傷ついて。

傷ついた挙句、一つの行動に出たのだ。

触れてはいけない多くの話を、アーシャにしてしまったのだ。


「和美は、アルバートと同じことを言ったのよ!」


最初に和美は、チベット人に関する問題をぶつけたらしい。そこで、中国人の間違いや日本人からは、受け入れがたい常識を非難したのだ。


「和美は私が、中国人が、チベット人をいじめてるって言うの!中国人の考え方がおかしいって言うのよ!」

「アーシャ・・・」

「それだけじゃないわ!中国人は、平気で著作権を侵害する!偽装商品を作ったり、地方から来た女性や子供を攫ったりするって!賄賂を平気で要求するし、お金に汚くて卑しいって言うのよ!」

「それが喧嘩の原因?」

「わけがわからないわ!急にそんなこと言い出すんだから!喧嘩になるようなことをあの子は言ったのよ!?」

「落ち着いてよ、アーシャ。」

「私は喧嘩したくないのに・・・!」


寂しそうに彼女はつぶやく。


「腹が立つわ・・・!和美ったら、『スイチャに対して悪いと思わないの』って、しつこいぐらい言ったのよ!?なにがスイチャがかわいそうよ・・・!あの子のせいで、私は和美と・・・・!」


アーシャがチベット人に厳しいのは、『友と仲たがいしたきっかけ』ということも関係しているようだった。


「だから私、和美に言ってやったのよ・・・。日本人が昔なにをしたかを・・・。」


おそらく、戦争問題のことを言ったのだろう。アーシャの目が複雑そうにそれを語っていた。戦争のことで、中国の年配層から批判されることは今でもある。しかしそれと比べると、今の中国の若い世代で、日本人を嫌う人は少なくなった。

アーシャもその一人だった。日本人の罪は許せないが、それをいつまでも恨んでいては、閉鎖的な価値観しかもてない。だから、二度と戦争を起こさないためにも日本人を許す。彼女は、そういう考え方をしていた。そのため、六十年間の戦争に関しても、客観的に見ているのだ。それなのに―――――


「・・・そのことを、和美に言っちゃったの・・・?」

「怒りで、頭が真っ白になってた・・・。気がついたら、『日本の鬼』と言っていたわ。」

「・・・和美はなんて?」

「『中国人が日本人を、日本の鬼と言うなら、チベット人が中国人を中国の鬼と言っても許されるわね?』って・・・・・・・!」


高速球を、超高速球で打ち返したのか・・・・!


友の毒舌に冷汗を感じる。そしてアーシャは、悲しそうな顔で言った。


「和美は・・・私を、中国のことをどう思っているのかしら・・・!?自分の好きな国や人を、あんなに激しく批判するなんて、どうかしてるわ・・・!!」


同意を求めるように、こちらを見るアーシャ。


「そうね・・・。」


好きだから、批判するのだと思う。

好きな者の嫌な一面を見てしまえば、それを否定したくて、直したい衝動に駆られる。

和美はそんな衝動に駆られ、結果的にアーシャとぶつかってしまったのだ。

アーシャの差別的な考えや、国際社会では通用しない意見を変えさせるために。

それを続け、アーシャとぶつかって喧嘩をするうちに―――――――


『勝手にすればいいのよ!中国も、中国人も、アーシャもっ!!』


和美は、中国という国と、そこに住む中国人がさらに嫌いになってしまったのだ。

そして、親友であったアーシャのことまで。


和美が、中国を嫌いになった原因はわからない。

だが、原因はわかっていた。


「あれ以来変わってしまったわ・・・!和美は、」


あの旅行から帰ってきてから、和美は変わってしまった。

赤壁が取り壊し中止になり、喜んだ和美。

『赤壁旅行の前夜祭』だと称して、一人で中国大陸の地方へ旅行に出かけた友達。

下見が必要だと、ガイドもつけずに出かけた中国を愛していた日本人。


とめればよかった・・・。

地方への旅行を、とめていればよかった・・・・・・・!


中国へ旅立ち、日本へ帰ってきた友は――――――


「中国なんか大っ嫌い!!」


三国志以外の物や人・・・中国すべてを嫌いになっていた。


「三国志は好きよ!あれは、すばらしい人間を記した物語。だから、三国志の人々やそれぞれの国は愛せる。でも――――――」


それでも・・・・


「今の中国は嫌い・・・!もう耐えられない!アーシャも、アーシャにも幻滅よ・・・!」


アーシャまでは嫌いになってほしくなかった。

今の彼女は、アーシャさえも拒んでいた。

それは―――――――・・・・


「アーシャは、チベット人のことをわかっていないわ!今までは、喧嘩になりたくないから言わなかったけど・・・・!」


アーシャが差別的な考えを持っていると思っているから。

それは、仕方ないことだと思う。

チベットのことに関しては、そういう教育しか受けてないので、そう考えてしまうことは仕方ない。だけど和美は、それが許せなくなっていた。


「やっぱりアーシャは中国人ね!自分の意地ばかり押し通す!押し付けがましいところが中国人らしいわ!」


そして、その許せなくなった心が、彼女に無自覚な差別発言をさせていた。


「差別を差別だと自覚していないなんてアーシャ、大っ嫌い!!共産党なんて滅んでしまえばいいのに・・・・!!」

「共産党はともかく、アーシャのことは八つ当たりじゃない!?」

「聞きたくない!アーシャのことなんて・・・あんな癇癪持ち、大っ嫌いよ!!」


人種が違えば、考え方も違う。

日本人と中国人の気質はまるで違う。

そこへ、戦争問題や領土的なことが関係してくるとさらにややこしくなる。

だから多くの日本人は、こちらからその問題に触れない。

話を始めたらきりがないし、揉め事を作るのが嫌だからだ。

なによりも、過去の問題をいつまでも言っていたら、先の未来など作って行けない。

だから、暗黙の了解のような形で、誰もそういう話はしないようにしている。

和美も、そのことは十分にわかっていた。アーシャと話す時、そういった話は一切しなかった。それなのに――――――


「アーシャが、国際情勢を知らない中国人なら許せたわ。でも彼女は、日本を含めた多くの国を知る国際人。それが、自国の間違いを認めないなんておかしい!」

「アーシャは少し、プライドが高いだけじゃない?和美は私より付き合いが長いから、そのあたりはうまく付き合えるでしょう?」

「気を使うばかりが友情じゃないわ!日本人だって、過去の過ちを悔いているのよ!?それなのにあの人達は、自分達のことは棚に上げて、人の頭ばかり下げさせようとする!悪いと気づいても認めないのよ!!」

「和美・・・・!」

「三国志は好き!中国の歴史が好きなことは変わりないわ!でも・・・今の中国と中国人は、もう愛せない・・・。アーシャのことも・・・!」


唇をかみ締めながら和美は言った。


「もう・・・アーシャにも中国にも関わりたくない・・・・!!」


なぜ決め付けるの?

あれほど仲が良かったのに。

たった一度の嫌な面を見ただけで、大事な友達まで嫌いになってしまうの?

日本人にも、悪い人はいるよ?

それほど嫌な思いを、旅行先でしてきたの?

地方の町で、どんな対応をされたの?

なぜ詳しく話してくれないの?

なぜなの、和美?

なぜ?

なぜ?

・・・・・どうして?

どうして、アーシャまで嫌いになったの・・・・・・?


「もう・・・・アーシャとはかかわりたくない・・・。」


無理なの?仲直り・・・・できないの?

ねぇ・・・和美・・・!


そこまで思い出し、目の前の人物を見る。ちょうど、飲み物を頼んでいる時だった。

従業員が去ったのを見届けると、つぶやくようにアーシャは言った。


「行けるかな・・・。」

「え?」

「いつになったら、三人で赤壁に行けるのかな・・・。」

「アーシャ・・・」


いつか必ず、行ける日が来るよ。


永遠にそんな日は来ないよ。




アーシャの言葉を聞いた瞬間、天使と悪魔のささやきが耳にこだました。






















赤壁取り壊しについて、私は心から猛反対しています!!!


三国志大ファンとして、絶対に馬鹿なことをしないでいただきたい!!


三国志にはまって十数年・・・・!!こんな馬鹿な話はありません!!


日本では、ゲームや映画の影響もあり、三国志ブームとなっております!

世界的にも、三国志は人々から愛されるものだと思っています!


だからこそ、世界遺産とまでは要求しませんが、国として何らかの保護をしていただきたいです!!


中国政府の皆様、共産党の皆様、本気でお願いいたします(土下座)!!!



ちなみに、この赤壁をダムに沈めるという話は、実際に持ち上がっていた話です。

なので、実話を元に執筆させていただきました(汗)


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