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怪奇2



昔と比べて、車が増えた。



それが、北京の都心部を歩いた感想だった。

留学していた頃と比べれば、変わったのは車の数だけではない。

人々の雰囲気も変わった気がする。

便利な物も増え、かつての日本の高度経済成長期を思わせた。


「変わったでしょう?」


横にいた女性の言葉に頷いた。

彼女の名はティエン。

二つ年上の中国人で、留学時代に知り合った先輩であり友達であった。

語学が堪能だったので、外資系の企業に就職していた。

ロウの連絡を受け、わざわざ会いに来てくれたのだ。

彼女の案内で、綺麗になった中国を見回っていた。

仕事の関係で、午前しか会えないということで、朝の北京を散策していた。

一通り回ったところで、屋台が密集している場所に行く。

そこで朝食をとった。


「一番変わったところに、連れて行ってあげようか?」


中国は変わったと連発していたら、ティエン姐さんがそう言ってきた。


「変わったところ?」

「そう。『変な』変わり方をしたところを。」


意味ありげに微笑むティエン姐さんだったが、目が笑っていなかった。

嫌な予感はしたが、真面目な彼女が馬鹿なところに連れて行くはずはない。

薦められるがまま、相手の車に乗り、案内をゆだねた。

車の中で、たわいのない話をする。

行き先を聞いても、彼女が教えてくれるとは思えなかった。

外を見れば、町並みが流れて見えた。

公園のような広場のような場所で、太極拳をしている老人の集団が目に入った。

そのうちの1人が持っていた剣が光る。

まぶしい光が目に入り、思わず目を閉じた。


「フフ・・・眩しかったのね、妹妹(メイメイ:日本語で『妹』の意味)?」


横目で笑いながら言うティエン姐さん。

どういうわけか彼女は、昔から妹扱いをしてくる。

年齢的なこともあると思うが、初対面からしてそうだった。


「あなた私の妹みたい。『妹妹』と呼んでいいかしら?」


断る理由もなかったので、いいよ、と答えて現在に至る。

だが不思議なことに、彼女に妹はいない。

弟も、姉も兄もいない。

一人っ子のティエン姐さんの【私の妹】発言は、今でも謎のままだ。

何度か尋ねたこともあったが、笑顔で誤魔化すだけだった。

美人の笑顔は強いというが、それは体験した者しかわからない。

そしてそれは、【強い】ではなく、【最強】だった。


「妹妹、姐姐(チエチエ:日本語で『姉』の意味)の言うことが聞ける・・・・?」


しばらく車を走らせたところ、ティエン姐さんは言う。

彼女がそういう時は、なにか大事なことを言う時である。


「なに?」

「『なに?』、ですって・・・?」

「あ!き、聞いてるよぉ〜姐姐!」


可愛く(?)お姉ちゃんと言えば、満足そうに彼女は微笑む。


「いい子ね、妹妹。」


艶のある笑みで語りかける。

一人っ子のティエン姐さんにとって、年下の日本人との姉妹ごっこはかなり楽しいものらしい。


「実はね、妹妹・・・。これから行くところは、とても物騒なところなのよ。」

「物騒?」

「警官が見回りをしていてね、いつも争いが行われているところなの。」

「争い?北京で?」


北京に、そんなぶっそうな場所があっただろうか・・・・?

心当たりはいくつか浮かんだが、すべて先候補からはずれた。

当てはまらなかったのだ。

警官がいるというキーワードで。

大体、警官が見回りをしているようなら、物騒な場所などにはならない。


「・・・そんな場所あったかな?」

「あるわよ。」

「なんていうところ。」

「忘れたわ。」

「ええ!?」

「覚えていたけど忘れたの。だってそこは、私が覚えていた場所ではなくなったんだから。」


そう言うと、ハンドルを切る。そして、大きめの通りに出た。

そこから何故か、スピードを落として走り出すティエン姐さん。


「ゆっくり走っていいの?」

「ゆっくり走らないと見れないわ。」


前を見たままティエン姐さんは言う。


「妹妹、姐姐は運転があるから前を見ているけど、あなたは窓の外を見ているのよ。」

「え・・・?うん・・・。」


急にそっけなく言うティエン姐さんを不審に思いながら、視線を外へと向ける。

石でできた歩道があり、その奥にコンクリートのような石のような壁があった。

灰色で、何のへんてつもない壁だが、時代を感じる素朴で無骨なもの。


(どこが変わってるんだろう・・・?)


周りを見回しても、変わったところなどない。

どこにでもある北京の街中。

街中というよりも、庶民が住んでいる場所と言った方が正しいだろう。

留学中に、よく通っていた道に似ている。

否、北京ではよく見るありふれた道だった。


ただ・・・心なしか、違和感はあった。

寂しいような、寂れたような、そんな感覚があった。

そして、その違和感は、異変として目の前に現れた。


「なにあれ・・・・・・・!?」


灰色の壁に、赤い丸や文字が書き込まれていた。


「落書き・・・・!?」


いや、落書きにしては大きすぎるだろう!?

それにあの文字!

赤文字で書かれた文字は――――――――




「・・・・立ち退き・・・・?」




読めた文字を口にする。

しかし、文字が読めたのは一瞬で、一部分だけ。

車は赤い丸や文字が書かれた場所を、人の足よりも早く通過していった。


「ね、姐さん!今のは――――――!?」


視線を年上の美女に向ければ、相変わらず正面を見たままだった。

そして、艶やかに光る唇が動く。


「見て妹妹。野球ができそうな、すばらしい球場よ!」

「え?」

「ああ、サッカーでもいいかしら?それとも陸上競技?」

「え?え?」


意味がわからず、回りを見回す。

もう一度、視線を外に向ける。

その時、新たな光景が目に飛び込んできた。


「―――――――――なにあれ?」


赤文字が書かれた壁の終わり。

壁がない三、四メートルの隙間。

その先に、まっ平らな土地が広がっていた。

さらに奥の方には、倒壊した家がいくつもあった。


(地震でもあったのかな・・・?)


そう思った時、それまでいなかった人の姿が目に入る。

壁と壁の隙間の両脇に、警官らしい男性が数人いた。


「あっ。」


警官の一人と目が合う。

相手はこちらを睨んだ。思わず視線をそらして前を見る。

するとそこには、硬い壁の代わりに、ペイントがほどこされた薄い壁が続いていた。

場違いな景色やよくわからないキャラクターが描かれた壁だった。



「どう?変わってたでしょう?」


車のスピードを上げながら、彼女は笑う。


「確かに変わってたけど・・・。」

「懐かしさのかけらもなかったでしょう?」

「懐かしさ・・・?」

「あら、覚えてないの?昔一緒に行ったじゃない?」

「え!?あんな、なにもないところに行きました!?」

「フフ・・・やっぱりわからなかったのね〜?今は何もないけど、『昔はいろいろあった』じゃない?」

「・・・あった?」


ティエン姐さんの言葉に、急いで昔の記憶をたどる。


姐さんと一緒に行った?


「日本の浅草を見に行ったじゃない?」


その一言で、頭の中の霧が晴れる。


「思い出した!」



日本に関心のあるティエン姐さんに、日本の話をした時だった。

何気なく、日本の浅草の下町の話をしたら、似たような場所があると言ったのだ。

それを聞き、好奇心から、姐さんに頼んで、甘えて、駄々をこねて、連れて行ってもらった場所。


「それが―――――――――・・・・・ここ?」


その問いに、無言で頷くティエン姐さん。


あそこには、姐さんの知り合いがいた。

高齢のおばあちゃんだったが、突然来た日本人を温かく迎えてくれた。

マージャンを教えてもらい、一緒に遊んだ。

外でしていたら、それを見に子供達が集まってきた。

持っていた飴をあげたら、我先にと群がってきて、身動きが取れなくなり、姐さんに助けてもらった。

そして、女の子達に手を引かれ、遊びの輪に誘われた。

男の子達は、捕まえた虫を得意げに見せてくれた。

それを大人達は珍しそうに見ていた。

不思議と、懐かしい気持ちになった。

どこの国でも、人々が暮らす場所には、温かさがあるんだと思った。

故郷とは離れた異国の地で、ほんわかとした気持ちになった


(それが―――――――)


そんな気持ちにしてくれた場所が、


「・・・・・あそこなの?」


もう一度問えば、そうよ、と短くティエン姐さんは答える。


「オリンピックが始まるから、整理されているのよ。」

「整理?」

「この辺りは、オリンピック会場に近くてね。外国からの観光客が多く来ると予想されているのよ。だから政府は、外国人向けにきれいにしたのよ。」

「なにをしたの!?」

「この地区から住民を追い出したの。」

「追い出した!?」

「・・・ロウから聞いてないの?」

「聞いてない!追い出したなんて・・・!」


そう言うと、何故か微笑みながら言った。


「政府は海外に、『高度な中国』という印象を与えたいのよ。だから、貧乏くさい町並みは邪魔だと考えたの。」

「まさか・・・・そんなつまらない理由で、まっ平らにしたの!?」

「そうよ。妹妹、壁に書かれた文字や赤い丸を見た?」

「あ、うん・・・。立ち入り禁止ってあったけど・・・。」

「あの赤文字を、家の壁に書かれたら、その家の住人は二週間以内に引っ越さなければいけないの。」

「二週間以内!?そんな短期間で、引越しなんて無理だよ!断れないの?」

「無理よ。断ってやめてくれるなら、みんな騒がないわ。仮に、無視して逆らったとしても、取り壊されてしまうんだから。」

「なんで逆らわないの?」

「いないこともないわ。その命令に反抗して、引越し期限まで家に居座った家族がいたの。どうなったと思う?」

「え・・・?どうなったの?」

「家の中に、家具や人がいるのも構わず、ブルドーザーで突っ込んで、そのまま取り壊したの。」

「殺す気かっ!?」

「死んでも、事故死として処理されるわ。」

「いやいやいや!犯罪でしょう、それ!?」

「『引越し期限を守らずに、家の中にいる方が悪い。』て、開き直るだけよ。役人が。」

「それ本当なの、姐姐!?」

「中国ではよくある話よ。やめてくれって言ってもやめない。ブルドーザーと格闘した家族や取り壊されて落ちてくれる瓦礫の中から、命からがら逃げた家族もいるんだから。」

「最っ低・・・!」

「中国では、普通のことよ。」


憎々しげに言えば、あきれ気味に答えるティエン姐さん。


「本当はね、車じゃなくって、歩いてあの場所を妹妹に見せたかったの。でも、可愛い妹妹になにかあったら怖いから。」

「なにかって・・・警官がいるのに?」


そう言って後悔した。

知っていたはずなのに。

中国の警官の大半が、どういうものか知っているはずなのに・・・・・・。


「愚問ね、妹妹。」

「ごめんなさい・・・。」

「自分で言うのも情けないけど・・・。でも、嬉しいわ。中国の警官を大丈夫だと、言ってくれることが。」


中国の警察は、日本の警察と違って安全とは言い切れない。


「あそこに警察がいたということは、警察が立ち退かない人々を立ち退かせているということなのだから・・・。」


そう言ってから、やっぱりまだまだ子供ね、と微笑む。

先ほどと同じ笑み。

どうやら、子供に対する笑みを向けていたらしい。

確かに、彼女から見れば、子供かもしれないが・・・・。


「つまり・・・あそこにいた警官は、あの場所を見張っていたの?」

「そうよ。特に最近は、海外のマスコミ対策の意味もかねて、警官を配置しているの。」

「海外のマスコミを?」

「そうよ。あそこを追い出された元住民が、海外メディアに訴えだしたの。以前から、その問題を知っていた国もあったから、ジャーナリストが取材を始めたのよ。それを知った政府が、先手を打ったわけ。」

「そうだったんだ・・・。」

「先手にしても、取材にしても、どちらにしても遅い動きだけどね。」


皮肉る姐さんの言葉が、ひどく胸に刺さった。


「そういえば・・・おばあちゃんはどうなったの?」


ふと、一緒にマージャンをした老女の姿がよぎる。


「子供達に説得されて、出て行ったわよ。」

「子供に?」

「奶奶(ナイナイ:日本語で『おばあちゃん』の意味)の子供に出来の良い子がいてね、役所に勤めているの。役所にいる人間が、役所の方針に逆らうわけには行かないでしょう?だから、泣く泣く奶奶は、先祖代々住み慣れた家から出たの。」

「そうなんだ・・・。」

「息子の方と会って話したんだけど、後味が悪そうな口ぶりをしていたわ。政策への不満は口にしなかったけど、生まれ育った場所を離れてから、すっかり奶奶が弱ってね。今じゃ寝たきりよ。」

「寝たきり!?」

「木々も、風も、季節の花の匂いも入ってこない、慣れない高層マンションの中じゃ、無理もないんじゃないの。」


そう言って、あざ笑う美女。


「でも奶奶は幸せな方よ。手切れ金がもらえたんだから。追い出された人のほとんどは、お金をもらえないまま、住みなれた場所から追い出されているのよ。」

「そんなの無茶苦茶だよ!横暴だよ!住民は、泣き寝入りするしかないの!?」

「仕方ないじゃない。妹妹も知ってるでしょう?共産党の政策を批判すれば、失業するか殺されるかするのを?」

「そうだけど―――――・・・・みんなですれば、なんとかなるんじゃないかな・・・?日本のストライキでも、一人でするよりも、みんなで団結してする方が効果があるし!」

「じゃあ妹妹、姐姐が集会をするって言ったら、協力してくれる?」

「もちろん!」


そういった瞬間、笑い声が響く。そして、車が止まった。見れば、ティエン姐さんが、お腹を抱えて笑っていた。




「だからあなたは子供なのよ!」




中国語で、ティエン姐さんはそう言った。

本気で言った言葉だっただけに、相手の態度に困惑した。

彼女の性格を考えれば、馬鹿にしているようには思えないのだが・・・・。



「やっぱり私の妹妹だわ!」



良い匂いがする。

姐さんが抱きついているのだと気づいた時、相手の笑い声は納まっていた。


「ごめんなさいね。気を悪くしないで、妹妹。」


その言葉でスイッチが入る。車内に音楽が流れる。

ティエン姐さんの好きな歌手が歌う曲だった。


「・・・・・・近いうちに集会をするそうよ。」

「・・・・・・え?」

「場所は言えないけど・・・・政府の政策、で家を追い出された村民達が集まって『デモ』を行うの。」

「デモを?」

「家屋を取り壊され、住む家を奪われた村民が、ある場所で政府に対して政府を批判する集会を行うの。」

「え!?それって・・・・危なくない?」

「危ないでしょうね。公安が黙っているはずがないし、下手をすれば、死人だって出かねない。」

「そ、そんな人事みたいに――――――!」

「そう割り切っておかないと、ダメなの。」


そう言って、力強く抱きしめる。相手は女性なのにドキドキする。


「私や他の誰かが、止めようとも、でも彼らはするわ。失うものがなくなってしまったから出来ることなの。」


その言葉で、さらに胸が高鳴る。

胸の鼓動が速くなったのは、どうやら話の内容が原因らしい。


「家屋を壊され、居場所を失った人々がどうなったか知っている、妹妹?彼らの大半は、各地を転々としているの。お金がもらえなかった人は、路上生活で浮浪者同然!中には、失業して、本当の浮浪者になった人もいるわ。」


返す言葉が見つからなかった。その間にも、彼女の話は続いた。


「お金を貰えた人も、良い思いなんてしてないわ。政府のくれたお金なんて小額なのよ。仮に、自分達が住んでいた周辺に家を借りようと思って探しても、オリンピックのおかげで物価が跳ね上がっていて、とてもじゃないけど借りられない。住めそうな場所を探して、どんどん元いた場所から離れていくの。住み慣れた場所から遠ざかっていく。そうなったら、仕事にも支障をきたすようになるわ。」


耳元で、ティエン姐さんがささやく。


「それだけじゃないのよ。家屋の取り壊しが原因で、病気になって死んだ人が多いの。心を壊したり、なれない環境で体を壊したり。挙句の果てには・・・・自殺した人もいる。

「自殺?」


ここでようやく声になる。


「そうよ。農薬を飲んだり、飛び降りたり首をつったり、刃物で刺したりして―――――死んだの。」


そんな。そんなことで――――――!


「『死ななければいけないことなの?』と、言う顔をしているわね、妹妹?そうよ、それほどのことなの。」

「姐さん・・・。」

「私は自分の国を愛しているの。だから許せない。」


背中に回された手に力が込められる。相手が怒っていることは、声と手の力でわかった。


「何故、隠す必要があるの?隠さなければいけないほど、恥ずかしい場所なの?私はそうは思わないわ!むしろ、現代的な作り物に変えてしまう方がおかしいわ!それじゃあまるで、私達の先祖は、恥ずかしいものを残しましたといっているようなものよ!」


石造りの路地で駆け回る子供。

家の津語地に置かれて椅子に座り、ひなたぼっこをする老人。

井戸や水まわりの側で、談笑する女性達。

決まった時間に聞こえる物売りの声。

タバコをふかす男と、マージャン牌の混ざる音。

泣き声、笑い声、怒った声、嬉しそうな声、家族・・・・会話。


「確かに北京は変わってしまった。良い意味で変わったことは嬉しいわ!私の祖母のころと比べれば、すばらしい進化を遂げている!医学的に、科学的に、多くの人命が救われるようになった!私達の生活を良くするために、より良い物へと変わってきたわ!だけど・・・」


怒声が、泣き声へと変わる。


「時代が変わっても、変わらずに残るものがあるの。それらが残る理由は、良いものだからこそ、残っていると思うの!それを壊してしまうなんて、なんて愚かなことかしら!?」


ひとしきり、声を荒げたところで姉さんは言った。


「妹妹だけよ。こんなことが言えるの・・・。」

「姐さん・・・。」

「表立って言えば、捕まってしまう。」

「姐さん・・・。」

「悔しい・・・情けないわ・・・。」

「・・・・・・どうして・・・・私を連れてきたの?」


そう問いながら、相手の頭に手を伸ばす。


「姐さんが嫌な思いするなら、無理こなくてもよかったんだよ?」


そっと、柔らかい髪に触れて撫でる。数回ほど撫でてから、手を離した。相手の様子を見るために、手を下ろして姐さんを見た。それに合わせるように彼女は口を開いた。


「・・・決めていたのよ。」

「え?」

「あなたが大陸に来てくれたら、ここへ連れて行こうって。」


顔を上げた姐さんは、はにかんでいた。


「覚えてる?私があなたをあの村に連れて行くまで、私達、それほど親しくなかったじゃない?」

「え?」

「あなた、いつも私に遠慮してたじゃない?」

「それは―――――」


綺麗で、優しくて、年上の大人っぽい美女。

知的で、行動的で、積極的なしっかり者の女性。

自信にあふれ、活発な先輩相手に、馴れ馴れしくしろと言うのが難しい話である。

当時から彼女は、良い意味で近寄りがたい存在だったのだ。


「知っているわ。私があなたを『妹妹』と呼ぶことに、あなたが抵抗を持っていたのを。無理もないわ。国籍が違うんだから。それでも、私はあなたを妹にしたかった。」

「姐さん・・・。」

「本当は妹がほしかったの。あなたは、私の理想の妹だったわ。だから仲良くなりたかった。」

「姐さん。」

「連れて行ったら、子供のようにはしゃいでた。そして、私のことを実の姉のように慕ってくれた。連れてきてよかったと思ったわ。」


優しい音色で言われ、照れくさくなった。照れくさかったが、嬉しくもあった。

そして彼女は言った。


「だからあなたが来たら、あの場所に連れて行きたかった。奶奶達も、連れて来れば良いって言ってくれたから・・・。」

「おばあちゃ・・・奶奶が?」

「立ち退き命令が出る前だったからね。今となっては、あれは桃源郷の出来事だったのよ。」


桃源郷。

中国らしい言葉だった。


「今の中国は、新しいものに飛びつきすぎなのよ。新しいものがすべていいとは限らない。それなのに、新しいという理由だけで、昔からのよいものを消し去ってしまう。壊してしまおうという神経が信じられない―――――!」

「姐さん・・・。」

「私は、大事に思うから、大事だからこそ、許せないの。」


「ねぇ妹妹、姐姐の言うことは間違ってる・・・?」



「姐姐は、私は間違ってる・・・・?」

「間違ってない。」


頭の中は真っ白だった。


「姐さんが国を思う気持ちは間違いじゃないと思う。」


だけど、そう返事をしていた。


「私は・・・姐さんから見れば、外国人だから、好き勝手なことを言えるし、考えてる。だけど、話を聞く限り、姐さんの国が間違っているんじゃなくて、この国を動かしてる人達の考えがおかしいと思う。もう少し・・・・国民の意見を聞いてもいいじゃないかな。」

「妹妹。」

「私は、ティエン姐さんが間違ってるとは思わない。天帝に誓って断言できるよ!」


その瞬間、呼吸ができなくなった。


「―――――――――妹妹!」


痛いぐらい苦しい。


「妹妹――――――・・・・・!」


耳元で、母国の言葉を姐さんが口走る。


「ありがとう、妹妹――――――・・・・・!」



「ごめんなさいね、妹妹。私の都合で、お開きにしちゃって。」


車を走らせながらティエン姐さんがつぶやく。

あれからすぐ、姐さんの携帯に職場から連絡が来た。

急な仕事によって、速めに出社することとなった姐さん。

電話越しの上司の様子から、彼女抜きではできない仕事だと聞き取れた。


「仕事だから仕方ないよ。姐さんは、頼もしいから。」

「口が上手いわね?」


まんざらでもなさそうに微笑む美女。ふいに、その表情が変わった。


「オリンピックを機会に、この国は変わるわよ、妹妹。」


急に真剣な表情で言う姐さん。


「・・・・良くなるの?」

「国はそう見ているけど、一部の民間人は、そうは思ってないわ。」

「そうなの?」

「そうよ。まぁ・・・終わってみれば、どちらが正しかったかすぐにわかるわ。」


ウィンカーを出しながら、彼女は言う。


「さっきのことだけど、悪口じゃないのよ。」

「え?」

「久しぶりに会ったあなたは、変わってなかったわ。子供の部分を持っているまま。」

「子供って・・・。」

「幼さを残す、可愛い純粋な子供。そんな姿が可愛かったから、思わず笑ってしまったの。子供だと言ってしまったの。だって、あまりにも微笑ましいんですもの!」

「え〜・・・それって、良いことなのかな?」


つまり、成長してないということではないだろうか?


その問いに、彼女は表情を緩めながら言った。


「いいことよ!あなたが昔のままでいてくれれば、私はいつでも思い出せるの。あなたと行ったあの場所のことを。今となっては、桃源郷になってしまった場所のことをね?」

「姐さん・・・。」

「私は、あなたを見る度に思い出せるわ。だから妹妹―――――――!」


車がホテルの前で止まる。


「大人の部分に、可愛い純粋な子供の部分を残しておいてほしいの。」


そう言って、こちらを見た彼女は美しく微笑んでいた。


「あと数回は会いましょうね、妹妹。」


車を降りると、窓から顔をのぞかせながら姐さんは言う。


「奶奶のところにも連れて行ってあげるわ。ここより遠くなるけど。」

「本当に!?絶対だよ!?」

「もちろんよ。それまで、いい子にしているのよ。」


手を伸ばして頭をなでる。

これでは、妹と言うよりも子ども扱いである。

でも、不快な気持ちにはならない。


「妹妹、姐姐の言うことが聞ける?」

「もちろんだよ、姐姐。」


笑顔で約束すれば、相手も笑顔で返してくれた。













中国の立ち退き方法は、強引かつ強制です。

取り壊しについては、超・過激です。

訴訟大国アメリカならば、100人中100人が訴えるレベルです。

日本には、『古き良き時代のもの』として、昔の街並みが残っているところが多いです。しかし、オリンピック開催が決まってからは、古い町並みを消す傾向が、中国では見られるように思いました。

新しいものがよいという理由で、壊される場合もありますが、そういった場所に住んでいるのは人達を見せたくないという思いもあるようです。

優れた中国を強調する上で、昔ながらの伝統的な生活をする人達をみっともないと考えているようです。また、立地的な面も関係しています。

大体の立ち退き期間は、二週間前後とされています。決まった家の人は、急いで引越しの準備を行います。抵抗しても、ほとんどが無駄だからです。場合によっては、わずかな立退き料をもらえますが、多くが、無一文で立ち退かされます。


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