決行
■決行
場面は再び玄雨神社境内に戻る。
光、仄、六の三人の前に雫、アリスが並び、その後ろに、灯、アカネ、アオイがいる。
「十分に気をつける事」
穏やかだが、思い声音で雫が言った。
「仄ちゃん、帰ったら何が起こったかしっかり教えるのよ。なんだか知らない内に、あたしだけ蚊帳の外みたいになってるから」
アリスは、仄が六、光、雫、灯に一人ずつ話をした事を言っているのだった。
「アリスは、仄が死亡フラグを立てたと、心配してるのだ」
さらりと雫が言う。
「なっ!」
アリスは心の底の核心を突かれ、絶句した。
雫はアリスの方を向くと言った。
「アリス。もし仄が死亡フラグを予知したのなら、最も大事な人に逢いに行くだろう」
アリスははっとした。
そうだった。純君に会いに行くはず。
アリスはそう思った。
余計な気遣いだったわね。
雫はアリスが安堵した様子を察すると、三人の方を向く。
扇を開き、天空の満月に向ける。
「では、行ってまいれ」
三人は手を取り合うと、頷く。
そして消えた。
三人が消えた後、アリスは小さくため息を吐いた。
「死亡フラグはともかくとして」
そう前置きすると、アリスは雫の方を向く。
「今回の事件、と言うか、出来事なんだけど、妙な感じがしてるのよね」
雫は黙ってアリスの話を聞いている。
「差し迫った危機、と言う訳じゃないんだけど、妙に重要に思える。かと言って、放置しておいても、あまり変わりが無いような気もする」
少しアリスの目に力が篭った。
「なんとなく、藪を突いて蛇を出してる、って感じがしないでもないのよ」
「確かに。そう思える点はある」
雫がアリスの言葉を肯定した。
「だが、一つの発端から物事が紐解かれていく流れ、その流れを妨げるのは、得策では無い、と私は思う」
雫の目に、何かの決意、覚悟、の様なものをアリスは感じた。
「光が実家に戻り、過去の食い違いを見つけた元は、灯が戻ってきた事」
そうか。
アリスは気がついた。
灯ちゃんの止まっていた時が動き出した。それが発端。
それに。
アリスの思惟がそこまで進んだ時、雫の言葉が聞こえてきた。
「仄がこの神社に戻ってきた。ある意味、時が満ちた、という事ではないかと思うのだ」
う〜ん。
アリスは心の中で小さく唸り声をあげた。
「厄介な事が、とうとう先送りにできないところまで来て、姿を表してきた、ってコトね」
雫は静かに頷く。
「左様」
すぅと息を吐き出すと、アリスは雫に問うた。
「詳しく聞いてないんだけど、これから先、あの三人はどういう作戦を行うわけ?」
大体はアリスも知ってはいる。しかし、再度雫から聞きたいと催促したのだ。
「あの時の混線した部屋に行く。六のワープで扉の前まで行く。部屋の扉は既に前回光が開いているが、前と同じ様に光が気脈を使う」
「気脈を流す事が、あの場所へ行く手順の一つ、ね」
雫は首肯する。
「中に入って、また『本』を使うの?」
「いや、一度『本』を使い道が出来ている。扉に気脈を流すだけで十分だろう。それであの部屋に行くはずだ。おそらく、その部屋は以前入った時と同じはず。だが以前と同じままでは、光と六、仄の見ているものが異なる」
「六を仲介にして、光と六仄の認識を同期するワケね」
流石だな、という目で雫はアリスを見る。
「そこで初めて、ベッドの女性と虹色の渦とを同時に見る事ができるはずだ」
アリスはなんだか量子力学みたいな話だな、と思った。量子の位置と速度を同時に観測する事はできないというヤツと。
「ベッドの女性、気脈が不足して完全に反魂できてないんでしょ? どうやるの?」
「六の体内に、霊脈の圧縮機能が拡張されたのは知っているだろう?」
「なるほど。そこに霊脈詰め込んでるのか。って、それは分かるわよ。でも霊脈を注ぐわけじゃないでしょ?必要なのは気脈だもの」
雫はわずかに口元を歪めた。あまり表情を変化させない雫を見慣れているアリスには、雫がニヤリと笑ったと感じられた。
「そこで仄の出番だ。六の蓄えた霊脈を己の気脈へ変化させる。それを光が補助し、女性に注ぐ」
「反魂が完成したら、虹色の渦は消えるの?」
「願いが叶ったのだから、解けるだろう。その後、女性の気脈を仄に移す。仄は外殻の操作を解除して、六に戻る」
「仄だった外殻にその女性の気脈が宿って、連れ出す」
雫の言葉の後を、アリスが続けた。だが、アリスの言葉はどこか朧げだった。
連れ出す事が作戦の目標なのだけど、連れ出して、その後は。
先送りにしていた考えにアリスは思いを馳せる。
「その女性はこの神社で巫女として住まう、って思ってるけど、この認識、合ってる?」
雫はアリスから視線を逸らすと、少しの間の後、月を見上げて言った。
「そうなれば、そうなった時。そうで無い場合も、そうなった時」
出たとこ勝負、ってワケね。やっぱり。
「ところで、こっちに虹色の渦が出てきたら」
雫は視線をアリスに戻す。
「その場合は、灯と私が対処する」
その瞳は少し悲しそうだった。
「虹色の渦、あれは多重にかけられた呪いと同じ、鬼の複合体の様なものだ」
愛するものを生き返らせたい、と願う。その願いに囚われた思いと霊脈と時が結び付いたもの。
「確かにね」
だから灯ちゃんがこっちに残ったのか。
なんとなくアリスはそう思った。
■結び目の部屋
三人は部屋の前に現れると、光は作戦通りに扉に気脈を扉に流そうと近づいた。
「待て、光」
後方から仄が光を静止する声が光の耳に届くとのとほぼ同時に、光は自分の体がびくり、と震えるのを感じた。
光は恐々、という風情で仄の方を向いた。
「何か変」
光はそう呟いた。仄は開いた扉の奥を凝視している。
「どうやら、既に繋がっている」
光は自分が感じたものの正体に気が付いた。あの部屋の中と同じ気配が扉の外まで流れ出ている。
「どうやら、この扉。既にワープゲートになっている様ですね」
扉の中を見つめる光の後方から、六の言葉が届いた。
「どうして繋がったんだろう」
この間、帰る時にはこんな状態じゃなかった。光はそう思った。
仄は視線を扉から光に移した。
「光が近づいたのがおそらく原因。正確には光の気脈」
そうか。私が扉を開けたから、開いている扉は、私の気脈に反応して、あの部屋に繋がったんだ。
光はその思いを噛み締めると、仄の手を取った。仄は光の目を見つめた。
行こう。あの部屋に。
光の目はそう語りかけていた。
仄が頷く。
六も仄に頷いた。
三人は、手を取り合って部屋の入り口を潜った。
漆黒に見えた部屋の中が、いきなり、あの部屋になった。
ベッドの上の女性が見える。そして、光の目にも虹色の渦が見えた。
同じ様に仄と六の目にも、虹色の渦とベッドの上の女性が見えた。
『光、作戦は同じ。けれど、扉の件もある。慎重に』
繋いだ手から、仄の気脈に乗った言葉が光に伝わってきた。
光は小さく頷いて、同意の意を示した。
光は女性に向かって言った。
「貴方を生き返らせる」
そして、虹の渦の方を向いた。
「貴方の願いを叶える」
虹の渦は、光の言葉に反応して、まるでぶるり、震えた様に見えた。
光は女性の方を向く。
女性は、ぼんやりと光を見つめていた。
その視線は、まるで初めて会う人を見る様だった。
「手を」
光は右手を差し出した。左手は仄を握っている。その手に少し力が籠る。仄が優しく握り返してきた。
女性は、ゆるゆると手を差し出してきた。
だが、その手を途中で止める。
「なぜ?」
小さな声で、そう問いかけてきた。
光は頭の中の小さな領域に、少し低温で白い空間が広がる感覚を覚えた。
助ける理由。
はっきりと意識したことがなかった訳ではないが、言葉にしたことが無いと今更ながら気が付いた。
だが、言葉になる理由は無くても、助けたい、という思いはある。
光の胸の内の熱は、頭の中の冷めた白い空間を消し去っていく。
「助けたいから」
その言葉は、初めは小さく、そして決意を乗せたものに変わっていった。
「そうしたいから」
この言葉はしっかりとした声音で語られていた。
「そう」
小さくそう呟くと、女性は手を光に差し出していく。その呟きは、どこか隙間風に似ていた。
光が女性の手を取る。
仄は握る六の手に力を軽く込めた。六の胸から溢れる霊脈は六の右手を通じて仄へと流れる。そして、仄はそれを己の気脈へと変え、光の体を通して女性へと流す。光は己の体を通して流れてくる仄の気脈の流れを妨げぬ様、体の中にパイプがあるイメージを浮かべ、そのパイプが自分の右手を通じ、女性の手へと繋がっている心象を強く意識した。
六から流れる薄い青みがかった光の筋が仄の所で色合いを濃くし、光の体を通じて女性へと流れていく。
女性のぼんやりとした輪郭が次第に明瞭になっていく。
女性の体の中に、気脈が満ちていく。
仄は気脈を調整した。
女性の中の青い白い気脈は、元から女性が持つ霊脈にも似た薄い白い気脈に変化する。
女性の体は、白い気脈で満たされた。
光は自分の左手が引かれるのを感じた。
視線を左手へと向けると、六と仄が虹の渦を凝視しているのが見えた。光は虹色の渦へと視線を向ける。
虹色の渦。その中心の白い光が弱くなり、まるで、虹色の周辺に流れ出ている様だった。流れ出た虹色の気脈は空間に溶けて消えていく。
見ている内に、虹色の渦は、解けて消えていった。そう光は思った。
その時。光は右手に違和感を覚える。
手を握っている感覚が無い。
光は慌てて女性の方を見る。
そこに女性の姿は無かった。
光の後ろから仄の声と気脈の音声の両方が流れてきた。
「急いで戻らなければ」
その声は仄にしては珍しく、狼狽の色が滲み出ていた。
仄の様子は、光の危機意識を呼び覚ました。
出口へ。
光の表層意識に、その言葉が水面からジャンプするイルカのように、飛び出してきた。
三人は手を繋いだまま部屋の出口へと急いだ。
その後方で部屋の形が揺らいでいた。バラバラになっていくのと同時に、一点に収縮していく。
『この部屋の時空多重構造が崩壊しています。元の時空に戻ろうとして、まるで解けていくように感じます』
外殻が持つ空間把握能力で察知した六がそう伝えた。
三人が部屋の出口、隠し部屋の入り口から走り出た途端、光は後方で爆発の逆の現象が起こっている様な空気の流れを感じた。しかしそれは実際の空気の流れではなく、強い霊脈の流れが感じさせた感覚だった。
光が後ろを振り返ると、隠し部屋の入り口の中は、がらんとしたただの部屋。同じ位置に古びたベッドがあるだけだった。
「光。神社へ」
仄の言葉が光の耳を打った。
刹那。光は理解した。部屋が崩壊するから急いで出たのでは無い。仄は急いで神社へ戻らないといけないと、警告したのだという事を。
光が同意の首肯をする間も無く、六のワープが作動した。
すぐに神社に着くはずだった。
だが、光は漆黒の視界の中、いくつかの光景が通り過ぎていくのを目撃した。
ベッドに横たわる少年。
ベッドに横たわる少女。
空のベッド。
「本」を手にしている年配の女性。
「本」を手にしている年配の男性。
空のベッドに集まる青白い光。
それらの光景が走馬灯の様に通り過ぎて行くと、光の視界は漆黒に塗り潰された。
光はその一瞬を一呼吸分くらいに感じた。
光の足は、境内の玉砂利を感じ取る。
神社に戻ったのだ。
光の目に映ったのは、境内にいるあの女性。そして、その姿はごく僅か空に浮いていた。
そして、その女性と対峙するかの様に、雫が扇を構えている姿だった。
■もう一人の
その女性は、光に気が付くと、光に視線を移して言った。
「ああ。私が戻ってきた」
光は一瞬、世界が歪んだように感じた。
雫は表情を変えずに、女性に問うた。
「其方、何者だ」
女性は視線を光から動かさずに、答えた。
「光です」
光は、再び世界が歪むのを感じた。
雫は扇で光を示す。
「光は此処に居る」
女性は視線を雫に戻した。
「ええ。私も光」
再び視線を光に移す。
「彼女も光」
女性の言葉に玄雨神社境内の空気は張り詰めた。
ただ一柱の女神を除いて。
「ん〜。そういう禅問答みたいなの、面倒なのよね。さっさと謎解きしてくれないかな。アリスお姉えさん、ちょっとイラついて来たわ」
女性がふっ、と小さく笑った。
「アリスさん、らしい」
女性を見るアリスの目が鋭くなった。
「あたしは、貴女を初めて見るけど、貴女はそうじゃなさそうね」
女性は、少し真面目な顔になると、感情の篭らない声で言った。
「アリスさんを怒らせるつもりはありません」
続けて「では」と言うと、手に扇が現れた。
「私は、光。ただし、こちらの光とは少し異なる者」
『まさか』
仄のリンクの声が、女神達に響き渡った。
女性は、仄の方を見ると、優しく微笑んだ。
「はい。貴女が予言した、光と光の中の灯が一つになった存在」
女性は視線を光に移した。
「それが私」
光は呆然としている。揺らぐ世界の中で翻弄される意識、それが垣間見える姿だった。
灯は女性を凝視している。その拳は硬く握られている。
仄は無表情だった。
「私は、香ちゃん、青樹と一緒に、あの部屋に行った。そこで、あの部屋に取り残された。私は私が出ていくのを見送った」
ぼんやりとした調子で、女性は語った。
「私を虹色の気脈が打った時、私は部屋に引き戻された。引き戻される時、時間が逆行したから、自分が部屋にいて出ていくのを見た」
女性は扇を一振りする。
すると、女性の姿は、光の小学校四年生の頃の姿になった。巫女装束を着ていた。
「反魂の事件が元であの部屋が多重になった、という簡単な仕組みではなく、さらに、光が二人に分かれ、その因果も絡んでいた、と」
雫が静かに、女性に向かってそう言うと、女性、いや少女は小さく前に首を傾げた。
「つまり何? 灯ちゃんが虹色の気脈に打たれて、光ちゃんの中で眠った、だけじゃなくて、光ちゃんと灯ちゃんもろとも二人に分裂して、その片方の貴女が部屋に閉じ込められてたってコト!?」
眉間に皺を寄せてアリスが唸るように声を絞り出した。
「そうなります。アリスさん」
少女は肯定した。
「私は、今は二十三人の灯と同じ存在。気脈のみの存在。だから」
そう言うと、少女は仄の方を見た。
「貴女が何者か、知ってる」
そう言った後、優しく目を細めると、こう言い足した。
「正しくは、二十三人の灯とそれを蘇らせた誰かさん。その複合体」
蘇らせた。
その言葉は、雫の胸の奥を打った。
確かに、光の七つのお祝いの後、二十三人の灯が現れた。
それまで、現れることが無かった。
少女は雫の方を向くと、こう告げた。
「二十三人の灯は、地球を救った後、溶けて消えました。本当なら、それで存在は消えるはずでした」
焼き滅ぼされた時の線から来た灯達は、生まれる事は無い時の因果によって消えた。
ただ。
「止まる気になれば、時の女神は因果を超える」
灯がそう言った。その言葉は、淡々としていた。
少女は灯の方を向くと、首肯した。
「ええ。でも、彼女たちは止まる気はなかった」
雫は気がついた。
「灯達に囁くものがいた、と」
少女は雫の方を向くと、小さく微笑んだ。
「はい、雫さん。その囁くものは、私の中にもいます」
だから、と言うと、少女は再び仄の方を見た。
「貴女の中にもいる、そのものの気配が分かるのです」
雫は、言葉が流れ出るままに問うた。
「その囁くものが、『本』を作った」
「そう、感じます」
「それは、何者か」
雫の問いに、少女は微笑みで返した。
「それは、いずれまた。その前に」
そう言うと、少女は光、そして灯の方を見た。そして二人に話すように語りかけた。その表情は穏やかだが、切れ味の鋭い刃物が鞘に納められている様子に似ていた。
「光、灯。私は貴女達の半身。貴女達は、選ばなくてはなりません」
少女は左手で拳を作ると、人差し指を伸ばした。
「一つは、今のまま、二人の状態と定める事。私は消えて、今のままの貴女達が残ります」
少女は左手の中指も伸ばした。
「もう一つは、二人が一つになりたいと願う場合。その場合、貴女達が消えて、私が残ります」
少女は一呼吸置くと、言い足した。
「どちらの場合も、消えた方の気脈が残った方に、そうですね、還る、と言うのが妥当でしょうか」
少女は、左手の薬指も伸ばした。
「最後の選択肢は、今のまま、二人は二人のまま、私は私のまま、と言うもの」
少女ほんの僅か小首を傾げた。
「ただ、その場合、いずれ三人が不安定になって、前のどちらかの選択肢が勝手に決まってしまうでしょう」
少女は左手を下ろした。
「私はどれを選んでも構いません」
優しく微笑んでいた。
光は、少女が言っている事が真実だと胸に落ちた。
それは灯も同様だった。
灯が光を見た。
「光。お姉ちゃんは光の考えを尊重する。前は光と一緒に戻りたい、と思っていたのは本当の事だけど、もう光は一人でこれだけ長い時間を過ごしてきた。お母さんの胎内にいた頃とは違う」
それに私は、光がいて欲しい時に、一緒に居られなかった。
灯の言葉には、語らぬその思いがあった。
「お姉ちゃん」
光は困惑していた。
お姉ちゃんとは一緒にいたい。でも、それはひとつになる事とは違う、気がする。
光は、今の自分、というものを考えた。感じようとした。
そして気がついた。
あたしは、お姉ちゃんの声が聞きたい。お姉ちゃんと触れ合いたい。そう思ってた。お姉ちゃんが帰ってくるまで。
一つになったら。
そうか。
お姉ちゃんは、あたしの中に居たけど、居なかった。あの時と同じになるんだ。
光はそう思った。考えている最中、視線が動く。その視線が少女を捉えた。
穏やかだな、と光は感じた。
ああいうふうになるのかな、でも。
光の脳裏に、小さな竜と頬擦りし合うアカネの姿が浮かぶ。
そうか。
光はその決意が心の中に、急に結晶化したように感じた。
やっぱり、あたしはお姉ちゃんと。
光の思考と共に彷徨う視線が止まった。
しっかりとした視線を灯に向けた。
「お姉ちゃん、あたし決めた」
灯が首肯する。
光は少女の方を見る。
「あたし、今のままが良い。お姉ちゃんとは一緒に居たい。でも、触れ合えないのは嫌。姉妹で居たい」
少女は頷いた。
「では」
その言葉を、仄の言葉が押し留めた。
「待って。もう一人の光も消える事は無い。この外殻に入れば、止まる事ができる」
確かにそれが初めからの計画だった。
一周回って戻ってきたわね。
とアリスは思った。
しかし、少女がそのプランを提案しなかった事に違和感を感じるのは、策謀家のアリスらしかった。
少女は少し悲しそうな表情を作った。
「残念ながら、その場合でも私の寿命、とでも言うか、消えるまでの時間が多少伸びるに過ぎません」
少女は仄の方を向くと、少しだけトゲのある口調で言った。
「その『外殻』に止まれるのは、二十三人の灯達程の強さがあってこそ。私は光と灯の半分。とても気脈の量が足りません。今、こうしてこの場に止まっていられるのも、二十三人の灯達の術のおかげ」
仄が施した霊脈を気脈と変えて、少女に注いだ事を言っているのだった。
仄が僅かの時間思案する間の沈黙が、玄雨神社境内を支配した。
少し硬い口調で仄が言う。
「提案があります。もう一人の光。あなたが私と共にあるという方法です」
仄の口調が柔かいものに変わった。
「私の予言。光と灯が一つになる、というもの。この事件で考えた事。あれは、私の願望だったのかも知れません」
雫は思った。
それは当然だ。灯が願うのだから、二十三人の灯が願うのは当然。
しかし、そこで初めて雫はその考えに気がついた。
それは逆では無かったのか、と。
二十三人の灯にとっては、もう決して光は産まれてこない。そういう時の線から来ている。だから、光と一緒に居たい、一緒になりたいと、叶わぬ願いを持ったとしたら。それが同じ灯として灯に影響を与え。
そこまで雫が考えた時、背筋に悪寒にも似た感覚が走った。
叶わぬ願い。
時の女神をしても、時の守神をしても叶わぬ願い。
「『道理では叶わぬ切なる願いを書け』か」
雫は小さく呟いた。
そう呟く雫の耳に、少女の言葉が届く。
「どうやら、永く編まれた二十三人の『願い』が叶う時、いえ、時で編まれた編み物にその願いが記される時が来たようです」
雫が少女の方を向くと。そこには消えゆく少女の姿が雫の瞳に映った。と同時に、少女の内側からあの虹色の気脈が溢れてくる。
やがて、少女の姿は消え、虹色の気脈のみとなる。そして、その虹色の気脈もかき消すように消えた。
静寂が玄雨神社境内に満ちた。
がたり。
その物音の出所を雫は見る。
そこには、膝を突き、両手で自分の体を抱きしめる仄の姿があった。そして、その姿は先ほどの少女の姿になっていた。
「私の光。お帰りなさい」
か細い声で、小さい声で、仄がそう言うのを雫は聞いた。
雫は自分の肩に手が置かれるのを感じた。
『仄ちゃんの願いが叶った、というワケね』
その手を通じて読心の術を使い、アリスが語りかけていた。
『ああ、おそらく仄の最後の心残り、最後の願いが』
『あ、いや。そうか。なるほどね』
『どうした、アリス?』
『ふふん。ここはアリスお姉さんの名探偵ぶりを雫に披露する場面ね』
『無駄に勿体ぶるな、アリス。言いたくて仕方ないのだろう』
アリスの手から、お見通しでしょうがないわね、という気配が雫に伝わって来た。おそらくアリスの顔には苦笑が浮かんでいるのだろう。
『光ちゃんが持ってて、灯ちゃん達、まあ仄ちゃんが絶対に持ってないもの、な〜んだ?』
雫は分かった。分かった事を、己の胸から湧く温かい思いで知った。
そうか。純を母として育っていく経験、記憶だ。いや、母から受ける愛情だ。
『言わなくても、雫が思ってる事が正解〜♪』
『アリス、ずいぶん術が向上したな』
『ふふん。サイボーグ巫術師は、毎日研鑽しているのよ』
『その努力、認めよう』
雫は仄を見た。立ちあがり、光と灯の方へ歩いていく。
肩に置かれたアリスの手から、よかったわね、という気持ちが伝わってくるのを雫は感じていた。




