光の記憶
■光の記憶
全員の視界に、夜の病院の廊下が現れた。
『ここは、香ちゃんのお父さんが経営する病院で、事件の起こった部屋に通じる廊下です』
脳内言語的に、光の音声が響いた。
『この病棟は、旧病棟と呼ばれていて使われていない場所だったんです。付喪神が湧いたと分かったのは、香ちゃんが顔なじみの看護師さんから患者さんの何人かが、旧病棟の窓に、動く人影を見た、という噂があると聞いたのがきっかけで、香ちゃんが気脈で旧病棟を探ったら、おかしな霊脈の箇所を見つけたんです。それで、香ちゃん、私、青樹の三人でその夜、旧病棟を調べる事にしたんです』
廊下は薄暗い。三人とも視界を霊脈を見るようにして、建物探りながら進んで行っていた。懐中電灯は持っていたが、使わなかったのは使うと他の病棟から見つかってしまうためだ。
「えね、お姉ちゃん。この先、霊脈がざわついてる」
小学校三年生の青木の声だ。
「ほんとだ。青樹、良く気がついたね」
小学校四年生の香が青樹を褒めた。
モノクロームの視界、その奥の方が細かく揺らいでいるのが分かる。
光の右手を青樹が握っているのを感じる。
光が青樹の方を見ると、青樹はだいぶ緊張しているようだ。
香も緊張しているのが見て取れた。
足音がギシギシと大きく響いた。
「夜の病院って怖いね」
青樹が言った。
「うん。怖いね。でも大丈夫。ちゃんと修行したでしょ、あたし達。それにいざとなったら」
「ええ。お姉ちゃんに変わってもらうから」
香の言葉に光が応えた。
三人は廊下の奥にたどり着いた。
「この奥」
青樹が廊下の突き当たりを指差した。
「霊脈が漏れ出てる」
香が言った。
「ここ」
光の声と同時に、光の視界に指差す光の左手が見えた。指差す先は、僅かに窪んでいるように感じられた。おそらく肉眼では分からかっただろう。霊脈を見る視界で炙り出された窪みだった。
「押してみるね」
光がそう言うと、光は青樹の手を離し、右手でその窪みを押した。
だが動かない。
「何かセキュリティーが施してあるのかも」
香が呟いた。
光は閃いた。思い出した。死神、礫の気脈式電算術の事を。正確にはその記憶は光の中にいる灯からもたらされたものだ。有線で繋がっている電子回路なら、気脈を通じて操作できるという、電子社会にとっては、それはそれは恐ろしい巫術だった。
光は押す手から気脈を伸ばすと、そのセキュリティーに囁いた。開けて欲しい、と。
霊脈が溢れていると思われた辺りが凹み、横にスライドした。隠し扉だった。開いた奥は霊脈が渦巻き、霊脈の視界ではよく分からない。
頷き合うと、三人は持ってきた懐中電灯を付けた。
視界に広がったのは、大きな部屋だった。部屋の奥には、吊るされた献血のパックとそれに繋がるチューブ、そしてその先には誰かが横たわっているベッドがあった。
病人を照らすのは良くない、と、三人は懐中電灯を切って、視界を霊脈に戻した。
すると、献血のパック、チューブを通じて霊脈、いや、気脈がベッドに寝ている人物に注がれているのが分かった。
■ベッドの上の人物
「誰なんだろう」
青樹が呟いた。
三人は足音を忍ばせてベッドに近づいて行った。
小さい声が聞こえた。
青樹が悲鳴を押し殺している声だった。香も同じだった。
光が二人の視線の先、ベッドの人物を視ると、光が見た光景は、異様だった。
ベッドにいる人物がよく見えない。霊脈を見る視覚で視ているためなのか、それとも他に原因があるのか。人が居るとは分かるものの、姿形がぼやけた上に脈動する様に変化しているように視えた。
その変化が大きくなった時。
『ここで私の記憶は途切れ、気づいた時には病院の敷地の外にいました。そして旧病棟の窓から火が燃えているのが見えました』
『ここから先は、私がお話しします』
灯の脳内言語が響いた。
視界が変化した。
光、いや、灯に変わった光と青樹、香の位置関係は同じだが、視界がずっと明瞭になった。女神になろうとしている光と時の女神である灯の能力の違いが、視覚の違いを視せていた。
視界にあるのは、ベッドの人物。
ベッドの人物は、ごく短い時間事に移り変わっているようだった。
ある時は香によく似た人物。ある時は、香の弟。
『まるでベッドを中心にして、時が揺らいでいるように感じました』
灯の視界がベッドからその奥に移る。
すると、そこにもう一人の人物がいるのが視えた。この人物もベッドの人物同様に揺らいでいる。香の父親らしい人物から母親らしい人物へ、そして父親らしい人物へと移り変わっている。
視界が変化する。父親らしい人物に揺らいでいる時間が長くなっていく。
『私は意識を男性の方に集中しました。すると、視えているものが、だんだんと安定してきました。おそらく揺らぐ時の一つに意識の焦点、そして、存在する時を合わせたのだと思います』
その男性、香の父親らしき人物は何か言葉を発していた。
「お前達、どうしてここに入ってきた」
酷く狼狽した音声が聞こえてきた。
そして男性の体から気脈が溢れ出てきたのだ。
ただ普通の気脈と異なっていた。
灯の視界で視るその気脈の色は、雫でさえ視たことが無い物だったのだ。
明度は暗く、彩度はやや薄いが、色合いが循環するように様々な色に変化していた。
『私は本能的に危険を察知しました。二人の手を取ると、走って廊下に出ました。後ろを振り返ると』
両手に二人の手の感触を感じる。右手に青樹、左手に香。視界が青樹の横顔へと移動して、さらに出てきた部屋の入り口へと移る。
すると視えたのは、色合いが変化する気脈がまるで多数の触手のように部屋から溢れ出て、追いかけてくる様子だった。
『とても拙い事態だと直感した私は、急いで「空の穴」を成すと、二人を押し込みました』
両手から二人の手の感覚が消え、視界が一度回転する。そして自分の両手が二人の背を押すのが視えた。その先には『空の穴』があった。
二人と『空の穴』は消えた。
視界が百八十度回転して、部屋の入り口に変わる。直前にまで迫っている暗く薄い虹色に変化する気脈。
それを阻むように視界の面前を扇が舞う。
扇から出た風が虹色の気脈を揺るがせる。
視界に視える部屋の入り口が遠くになった。灯が後方へ飛んだのだ。
再び視界が回転して、目の前に『空の穴』が現れる。そして視界は「空の穴」でいっぱいになった。と同時に背中に何かの衝撃を感じた。
全員の視界が、舞舞台に戻った。
「私は『空の穴』に飛び込んだのですが、そこで私の意識は途絶えました。背中に感じた衝撃が何かわかりませんが、おそらくあの虹色の気脈が追いついたのだと思います。その後、私は光の意識の底に沈みました。次にはっきりと目覚めた時は」
灯は仄に視線を移した。
「仄に体を返してもらった時でした」
光は灯の右手を取った。二人は頷き合うと、舞舞台中央から下手袖へ戻った。
二人が戻ってしばらくは静寂が続いた。
「何が起こったかは視たが、何が起こったかは判らない」
雫が感想を述べた。
「ええ。未知の現象というのは実感したけど、理解できるところまで整理できないわ」
アリスも同様の感想を述べた。
「あの〜、この話の後日談とか、あります? あったら教えて欲しいんですけどぉ」
右手を挙手してアカネが、恐る恐る、という感じでお伺いを立てた。
アカネは知らないのだからしょうがない、と雫が説明を光に促そうとすると、仄が視線をむけているのに気が付いた。
「雫さん、私も知りたいと思います。この星に来る前の出来事で。仄からの情報もやや精度が限定的です故」
いつの間にか仄から六に変わっていた。
雫は頷くと、光に話すように促した。
「私の記憶の話をします。病院の敷地から出た後、旧病棟の火災で新病棟の患者が一時避難するという事態になりました。火災が収まった後の現地調査で、香ちゃんのお父さんの遺体が見つかったんです。お母さんはずっと前に亡くなっていたので、香ちゃんはお爺さんに引き取られるという話になりましたが」
ここで光はちょっと言葉を区切った。
「香ちゃん、青樹の事が好きだったのを自覚して、引っ越したく無い、一人でも家に住む、と駄々を捏ねたんです。病院の方は不審火と旧病棟の例の妙な噂も手伝って、廃院になってしまいましたから、そういう訳にもいかないと。事件の後、一時的に東雲家で香ちゃんを引き取っていたんですが、そのまま東雲家で暮らすことになったんです。香ちゃんのお爺さんも、東雲と聞くと、引き取ると言わなくなったそうです」
アリスがニヤリとした。
「そうだろうね〜。香ちゃんのお爺さん、東雲が鬼食いだって知ってるもの。何しろあの影山の親族なんだから」
「因果なものだな」
雫が言った。他の人ならぼそり、という感じになるのだろうが、雫の声はよく通る。小さいがはっきりと舞舞台に響いた。
影山は、終戦後、占いの内容を伏せた占いをGHQ経由で雫に依頼した。後にその依頼は、死神の礫と約定を交わすかどうか、という事が判る。死神の手伝いをする代わりに、家の繁栄を約束されたのだった。そして東雲は礫の配下である。
「あたしが小学校を卒業して、玄雨神社に来る時、香ちゃんに『青樹をお願い』と頼んだら、『大丈夫。青樹の事は任せて』と言ってくれた」
考え事をしていたような顔のアカネ、また右手を挙手すると、質問した。
「その香ちゃん、には弟さんがいたの?」
「ええ。小さい頃に亡くなった弟がいたんだって。だから私と青樹を街で見た時、自分の事と重なって、あ、これは事件とは関係ないですね」
少し恥ずかしそうに光は言った。
アリスはそこに突っ込みたくなった。弄ると面白い金鉱が見えたのだ。だがそれをぐっと我慢する。雫の視線が刺さっているのに気づいたからだ。
「すると、ベッドで治療を受けていたのは、一体誰だったんだろう。てっきり香ちゃんの弟が生きてて、その病気をお父さんが秘密の方法で治療してた、なんて筋立て考えちゃった」
アカネが無邪気にそう言った。
ガタリ。
雫が片膝を立てた音だった。
「そうか、その可能性があったか」
「何、雫。何か分かったの!?」
アリスが雫を見つめる。
「いや、可能性の話だ。だが、それを検証するには実地見物が必要だ」
「ええ。私もそう演繹します」
六がそう言い終わると仄に変わった。見た目はあまり変化が無いが、六に比べると気脈の色合いが濃い。
「私も。雫さんの推察、あり得ると思います」
仄は灯に視線を移す。灯の顔に理解の色が広がっていく。そして言った。
「光、雫さんをあの部屋に連れて行って」
仄がそう言う。するとアリスが声をあげた。
「もちろんあたしも行くわよ」
そう言うアリスを雫は宥めた。
「アリス。これに関しては時の女神か、巫術に長けた者しか行ってはならぬ。予想が当たっていれば、危険がある可能性もあるのだ」
そう言うと雫はアカネに視線を向けた。
「竜の女神も留守番だ。アカネは好奇心が強い。場の霊脈を乱すと、読み辛くなる」
両膝立てて今にも立ち上がりそうな様子のアカネは、機先を制されガクリと項垂れた。項垂れて前髪で隠れた顔の両頬が膨らんでいるのが見える。
「行くのは、私、光、そして六。仄は六の中で潜んでいて欲しい」
「承知して御座います。私が動けば霊脈が乱れる。必要なのは六の能力でしょう」
雫は頷いた。
「移動は、六のワープで行う。『空の穴』で霊脈が乱れるのは避けたい。光は場所を六に教えて、その場所に着いたら、説明して欲しい」
光は頷くと、目を閉じた。六の中の仄を通じて、位置関係を知らせているのだ。
「準備完了です」
六が言った。
雫、光、六の三人は舞舞台前の境内に出ると、手を繋ぐ。そして消えた。
■実地見聞
三人はあの廊下に立っていた。
「ここはあのまま放置されているんです。取り壊そうと言う話も出たんですけど、妙な噂があって」
「噂?」と雫が光に問うた。
「怪しい人影の噂、火災の後も絶えなかったです」
「雫さんの推察、当たりの可能性色濃くなりましたね」
六が言う。
三人は廊下を進む。するとその先に空いたままの例の隠し扉があった。
「香ちゃんのお父さんの遺体は、ここではなく、もっと上の階で見つかったんです。火災を見つけて大事なものを撮りに戻って、煙に巻かれたんだろう、と言うのが当時の見立てでした。この旧病棟、香ちゃんのお父さんには何か思い出があったらしく、取り壊しの話が出てもずっとそのままにしていたらしいんです」
三人は廊下を進んで行く。
「ここです。ここに……」
雫の顔を見て話していた光が視線を正面に向けた。そして言葉が途切れた。
光の記憶の中の隠し扉。開いたままのはずだと光は思っていた。しかし、そこは壁があるだけだった。
「そ、そんな。ここに隠し扉があって、それを開いて、そのまま逃げ出して」
「火災もあったのだから、隠し扉が開いたまま、のはずが、閉じている」
雫は目を細めると、当りの気配を探った。雫の足元から気脈が伸び、隠し扉の壁を走査する。
雫が細めた目を戻すと同時に、伸びた気脈が雫に戻った。
「六、この状態を霊脈を含めて記録して欲しい」
六は頷くと、僅かに動きを止めた。
「保存しました」
雫は六へと向けた視線を光に向ける。
「光、気脈で隠し扉を開いて欲しい」
光は頷いた。壁に近づくと、窪みがあった場所のあたりに右手を添えて己の気脈を流し込む。
お願い開いて。
しかし、扉は開かなかった。
光が隠し扉自体なかったのでは無いか、と心配になった。
「隠し扉はあります。この奥に部屋もあります。その状況まで含めて保存しました」
六はそう言った。光は少し安堵した。
確かに、そういう手応えを感じた。そう光は思った。
「いくつかの可能性があったが、これで随分絞られた。扉が開かないのは火災で壊れたからだろう」
雫の言葉に光は雫の方を見た。そして雫の言葉を肯定するように頷いた。
「光、香の父親のご遺体が見つかった場所は分かるか?」
雫の言葉に、気脈の感覚を思い出していた光の心は、呼び戻された。そして答える。
「はい。香ちゃんと一緒に献花しに来ましたから」
「その場所を六に教えてくれ。そうしたら」
「はい、雫さん。その場所にワープします」
三人が現れたのは、書斎、いや、元書斎だった。
焼け焦げて、原型をほとんど留めていない。
「六」
「はい、ここも保存します」
六が記録する作業は瞬時で、六は僅かに動きを止めたに過ぎなかった。
「さて」
雫の様子は、さながら現場の保存が終わって、これからルーペを使って怪しいところを調べようと意気込む探偵、と言うには程遠く、物静かだった。
雫は足元から気脈を伸ばすと、今度は部屋全体を走査した。先程の扉とは異なり、走査する気脈の量もずっと多い。その気脈の動きは精密だがずっと大きかった。
雫の眉根が寄った。
「何かある」
雫はそこに行く。
焼け焦げてバラバラになった、木片。おそらく机があったのだろう。その前に雫は立った。そしてしゃがむと、床から奇妙なものを持ち上げた。正確に言えば、床の中から、と言った方が良いだろう。雫は床の中に気脈を送り、手に取れるところまで、それを持ち上げた後、手に取ったのだ。
「雫さん、それは!?」
光が目を見開き、小さくもはっきりと驚きと分かる声を発した。
「霊脈が固定化されているように視えます」
六が言った。
雫が頷いた。
「何かの『本』、だろう。『本』自体は燃えてしまったが、それに込められた霊脈がその形まま、半ば物質化している」
もちろん、巫術師で無いと視えないのは通常の霊脈と同じ。しかし、その霊脈は気脈を操らなくとも手に持てる程の密度。
「どうやら、証拠の品を見つけたようだ」
三人はその証拠の品を暫し見つめた。
「六、これも保存できるか?」
「はい、雫さん。ただしこれは再現できません。再現するには扱う霊脈の量が私には多すぎます」
雫は頷いた。
「まずは、ここまでにしよう。では六」
「はい」
三人の姿は消えた。
■証拠品の検分
三人の姿が玄雨神社舞舞台前の境内に現れると、早速アリスが問いかけた。
「で! どうだった! 何か分かった!?」
アリスの好奇心に雫は僅かに左眉を上げた。
うわ〜、アリスさん、雫さんちょっと怒ってるよ。
当のアリスとアカネ以外の全員がそう思った。
アカネと見れば、アリスの隣で目を輝かせている。ミニアリスと呼ばれる所以である。
「急くなアリス。きちんと説明する」
そう言うと雫は毎舞台に登った。光と六も続く。
雫は座ると、手に持った「証拠の品」を座の真ん中に置いた。
「何!コレ!?」
早速アリスが素っ頓狂な声を上げる。アリスは巫術師ではなくなっているが、スーツのサポートで巫術が使えるようになっているので、霊脈でできた「本」が視えるのだ。
「この品の話は後で」
雫がさらりとアリスの好奇心をかわす。アリスは口をパクパクさせそうになったが、アリスの隣のアカネが口をパクパクさせているのが視界に入り、パクパクしそうになっているのを押し留めた。
「まず、隠し扉の前に行った。だが、扉は閉じたまま。奥に部屋があるのは六が確認した。建物の構造、そして、その内部の霊脈の状態を六が記録した」
パクパクの止めたアカネがうんうん、と頷く。
「ここからは推論だが」
雫は一呼吸分、間を置いた。僅かな間、玄雨神社舞舞台を静寂が支配した。
「光たちが入った部屋は、この時の線の部屋では無かったようだ」
え!?
と言う表情を、アリス、アオイ、アカネの三人がした。灯は少し強張った表情をしている。それを六、いや、仄が見ている。その視線に気づくと、灯はほんの僅か表情が和らぐと同時に、目を少しだけ大きく開いた。そして元の眼差しに戻った。
仄と灯の間に、灯同士の意思疎通がなされたのだった。
「おそらく、だが。光が隠し扉を開けようと気脈を使った時、光、青樹、香の三人は別の時の線に移動したのだと思う」
「そして、別の時の線の隠し扉が開いて、その中に入った」
アリスが雫の推理の続きを言った。
雫が頷く。
「ただ、移動したのは単に別の時の線の場所、と言う場所ではなく、いくつもの時の線が混じり合い、と言うのは違うな」
雫は言葉を探した。
「混線している、でしょうか」
六の言葉に雫は頷いた。異星のAIがラジオの混線、隣接するいくつかの周波数の電波が重なる現象の事を言っている。少し奇妙なものだな、と雫は思った。
「そう、いくつかの時の線が混線している場所だった」
「だからベッドで寝ている人物がブレて変化しているように感じたんですね」
光の言葉に雫は頷いた。
「そう言う意味では、青樹や香の記憶も見たままだったのかも知れない」
雫は少し思案顔になると、こう言添えた。
「この判断は保留だな」
雫は思案顔を止めると、説明を続けた。
「そして、部屋を出て、灯が初めの『空の穴』を成した場所はこちらの時の線。しかし、二度目の『空の穴』はその境界だった」
灯がびくり、小さく体を震わせた。
「時の境界の中で『空の穴』を使った事、そして虹色の気脈に触れた事、おそらくこの二つが、灯が眠りについた原因だろう」
雫は優しくそう言うと、灯を見つめた。
灯は少し寒いように、両手で自分の体を抱きしめるようにしていた。雫の柔らかい眼差しに気づくと、力を抜いて体から手を離した。
「隠し扉の部屋の事で、今分かっているのはここまでだ」
雫がそう言うと、アリスがぶつぶつ言っている。
「隠し扉を開いて中を調べられたはずだけど、調べなかったのは」
アリスは雫に視線を向けると言った。
「何か思惑があるのね?」
雫は頷いた。
「おそらく、あそこを調べるのは最後。中の部屋は混線した時の線では無いだろうから、他の証拠が必要だ」
証拠、と言う言葉に、全員の視線が「証拠の品」に集まった。
「これは、香の父君がお亡くなりになった書斎で見つかった。おそらく元は『本』。火災でその『本』は焼けてしまったが」
六が続きを言った。
「『本』の中の霊脈、それも手で触れられる程の高密度の霊脈、それは、そのままの形で残されていました」
「え? 霊脈って、そのままの状態で高密度で保っていられるの? 媒体も無しに?」
アリスが驚いている。媒体、例えば、玄雨神社の御神体の銅鏡は霊脈の集積装置だ。それを元にアリスは霊脈の高密度集積装置を作り出した。
だから、アリスは媒体無しに保存できる、と言う新事実に尚更驚いているのである。
「原理は不明だが、実物がここにある。どうやったらできるのか、皆目分からぬが、この品はそういうもののようだ」
そう雫が言った時、雫は六の視線に気がついた。そして雫も気がついた。
「これは『影』だ」
アリスがはっとした表情になると、なるほどね、という顔をした。
「そうか。別の宇宙のホログラムならぬ、他の時の線の霊脈のホログラムね」
「私もそう推論します。アリスさん」
六が肯定した。
「多分、大元の時の線では媒体に保存されてるのよ。その余波というか滲み出したものが、これ」
「流石だ。アリス」
雫に褒められて、心持ちアリスの鼻の穴が広がったように感じらた。
アオイは思った。ママ、そういうトコなければ、もっと知的なのに、と。
「この状態、『影』でも相当の高密度、となれば、その本体は」
「途方もない霊脈の量と密度いう事になります」
六が続ける。
「香の父君が火災の中、取りに戻ったのは、おそらくこれが宿っていた『本』だろう」
その言葉にアリスの心が反応する。
「ちょっと待って。とすると、実態を伴った『影』という事になるわね。香ちゃんのお父さんは巫術師の訳は無いから、それが霊脈だなんて知る訳が無い」
「おそらくそうだろう。アリスの推論通り、そうなる」
雫がアリスの推論に賛同した。だが、今度はアリスの鼻の穴は大きくはならなかった。少し寒気がするように両肩の幅を狭めた。
「一体どうやってこの『本』に辿り付いたんだろう。香ちゃんのお父さんは」
一つの疑問をアリスは口にした。
一呼吸の間、毎舞台に静寂が訪れた。
「霊脈の状態から、実態としての『本』の状態をある程度復元して、お見せ出来ると思います」
六がそう言った。
一同、六を見る。
雫が頷いた。六は『仄手伝って』と小さく言った。
気脈の色が濃くなった。仄に変わったのだ。仄は自分の気脈を他の全員に結んだ。視覚の共有が成った。
六の内部で「本」の外観が復元され、六と外殻を共有する仄がそれを見て、そしてその映像を他の巫術師に伝播する、そういう仕組みだった。
全員の真ん中に置かれた霊脈の「本」、その表面が実態を持つ「本」の姿に変わった。
「嘘でしょう」
映像を見たアリスが奇妙な声を上げた。
「悪ふざけにも程があるわ」
その声には幾分かの恐怖が混じっていた。