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イケニエ

「はぁ、はぁ、はぁ・・・こ、ここまで来ればもう大丈夫か?」

「ふひー、ふひー・・・」


 鬱蒼と生い茂る木々は、その向こうに存在する集落の存在を覆い隠している。

 そのためその距離がどれほど離れているか見当はつかなかったが、少なくとも目に見える距離にそれが存在しない事だけは確かであるようだった。

 激しく乱れた呼吸に、流れ落ちる汗の量もそれを物語っている。

 振り返り、追っ手を警戒するクルスの横で、アナが両足を投げ出して完全に座り込んでしまっていた。


「ふぅ・・・何とか、逃げきれたみたいだ」

「・・・ん」


 完全に足を止めてしまった彼らにも、追っ手が迫ってくる様子はない。

 それは彼らが何とか、それから逃げ切ったことを意味している。

 安堵に、拭った汗は冷たくなっている。

 それでも向けた視線に、小さく頷いたアナの姿はこの胸を暖かくするのに十分なものであった。


「あー・・・疲っれたなぁ」

「んー、きゃはは!?レオ!」


 姿のない追っ手に、クルスもアナの隣へと腰を下ろしている。

 しかしその瞳は、とても何かを聞きたそうにチラチラと彼女の事を窺っていた。

 しかしアナはそんな彼の事など気にもしていない様子で、今も流れる汗をペロペロと舐めてくるレオとじゃれあうのに夢中なようだった。


「・・・・・・えーっと、その・・・何て言えばいいのかな・・・」

「ん?」


 そんな彼女達の微笑ましい光景を目にしていても、クルスのもやもやとした気持ちは募る一方だ。

 彼はそれをやがて声に出してしまっていたが、それもやはりどうにも歯切れの悪いものとなっていた。


「えぇい!もう、どうにでもなれだ!!」


 歯切れの悪い言葉を呟き、自分の頭を掻き交ぜていただけのクルスは、やがて決意したかのように大声を出すと、アナに対して正面から向き合っている。


「アナ、聞いてもいいかな!?」


 そうして、彼は口にする。

 アナに、彼女に聞きたいことがあるのだと。


「んー?ん!」


 今だにレオと戯れるのに夢中な彼女は気づいているだろうか、この緊張した空気に。

 それとも、そんな事など何てことないと言いたいのか。

 アナはいつものように不思議そうに首を捻ると、軽い調子で頷いて見せていた。


「その、ね・・・あれなんだけど・・・あー、もう!」

「きゃ、きゃ!あー、あー!!」


 決意した質問にも、いざ口に出そうとすれば躊躇ってしまう。

 そんな自らの臆病さに嫌気がさしたクルスは、その頭を掻き毟っては唸り声を上げている。

 そんな彼の振る舞いがツボにはまったのか、アナはその動きを真似しては同じように唸り声を上げていた。


「ねぇ、アナ・・・神の子って何の事!?生贄ってあの人達は言ってたけど、一体何の話!?」

「んー・・・?えっとねー、えっとねー・・・」


 そんなアナの振る舞いは、高まった緊張を解すには役立ったか。

 クルスはそっと、彼がずっと聞きたかった事について尋ねていた。


「あ、そうだ!アナ、神の子だよ?」


 クルスの言葉に、しばらく頭を悩ませるようにくねくねと身体を折り曲げていたアナは、突然思い出したかのように手を叩くと、自らの事を指差していた。


「うん、それは知ってる。でもね、僕が聞きたかったのはそうじゃない。それが一体、どういう意味なのか知りたかったんだ」

「うー?えっとねー、えっとねー・・・」


 それは確かに、クルスの聞きたかったことには違いない。

 しかしそれならば、先ほど老人達の口からも聞いたのだ。

 目の前のいたいけな少女を神の子と呼び、何かをしようとしていた大人達から散々。


「うー・・・アナ、神の子だから皆のために生贄になるんだよ?どう、凄い?アナ、凄い?」


 そして彼女は口にする、その真実を。

 それはつまり、この村もまたカルトの村であることを示していた。


「・・・そう。やっぱり、そうなのか」


 覚悟はしていた。

 しかし実際に耳にした時の重苦しさは、想像よりもずっと辛い。

 ましてやそれを語るアナが、まるでそれを誇るように胸を張って見せていれば尚更だろう。


「・・・逃げよう、アナ。こんな所に、いちゃいけない」


 苦しみは、深く重い。

 しかしそれは、その決断を軽くもしてくれた。

 一緒にここから逃げようという、その決断を。


「うー?でも、アナいないと、皆困る・・・よ?」

「あんな奴ら、困らせとけばいい!!君みたいな子を犠牲にして、よしとしているような連中何て!!」


 差し伸べた手を前に、迷いながら首を振るアナの姿に声を荒げてしまったのは、強い怒りを感じたから。

 それが誰に対するものかは分からない。

 しかし少なくとも、この目の前の困ったように眉を八の字にしている少女に対してのものではなかった。


「行こう、アナ。一緒に逃げるんだ」

「うー・・・でも、でもぉ!」

「いいから、来るんだ!」


 差し伸べた手の先で、アナは今だに迷っている。

 それを待つべきだとは分かっていても、ここもいつ追っ手に見つかるか分からない。

 そうなれば今度は、逃げることは出来ないだろう。

 その焦りが、この腕を強引にしてしまっていた。


「ぐるるぅぅぅ、がうっ!!」


 その時、奔った痛みは、きっと腕だけのものではない。

 クルスが強引に引っ張っていこうと伸ばした腕は、その間に飛び込んできた漆黒の影によって薙ぎ払われていた。


「レオ!?止めるんだ、僕はっ!!」

「ぐるるぅぅぅ!!!」


 それは今も彼女を守るように立ち塞がる、漆黒の狼レオだろう。

 アナに対する害意を感じ取ってその漆黒の体毛を逆立てている彼は、クルスの言い訳に対してもそれを収める気配を見せはしない。


「やっ!!何で?何でそういう事するの!?アナ、にーさまやねーさまと同じになりたいだけなのに!にーさまや、ねーさまと同じ神の子に!」


 レオの剥いた牙は、彼女の感情を映して尖るのか。

 その鋭さと同じように、アナははっきりと拒絶を口にする。

 そして彼女は、さらに残酷な事実を口にしていた。


「にーさまや、ねーさまと同じ・・・?っ!?まさか、君のお兄さんやお姉さんも同じように生贄に!?そんなまさか・・・!?」


 アナが口にした内容は、ある残酷な事実を想起させる。

 それは彼女の兄や姉までも、彼女と同じように生贄にされたという事だった。

 そんな残酷すぎる現実を否定しようとしても、彼は憶えていた。

 それを肯定する言葉を、彼女の父親であるガンディが口にしていた事を。


「でも、でも・・・にーさまも、ねーさまも、イケニエになったらいなくなる!綺麗な服、着て・・・皆、喜ぶ・・・アナも、嬉しかった。でも、でも!にーさまも、ねーさまも帰ってこない!!」

「アナ、君は・・・」


 掘り返してしまった記憶に、溢れ出す感情は留めることなど出来ない。

 その大きな瞳から大粒の涙を溢れさせているアナは、零れていく言葉と同じ速度でそれを流し続けている。

 その足元ではレオが必死にそれを舐め取っていたが、それが追いつくことはなく、ただただ足元の水たまりが大きくなるばかりであった。


「ねぇ、クルス・・・『イケニエ』って、何なの?」


 彼女が泣き声の隙間から振り絞った質問の答えを、僕はまだ持ってはいなかった。

 ここまでお読み下さり、ありがとうございます。

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