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プロローグ

 宗教が嫌いだ。

 嘘くさいし、うさんくさい、それに何より何だか危険な感じがする。

 友達に話しても馬鹿にされるでしょ、宗教に嵌まってるなんて言ったら。

 馬鹿にされるなら、まだいい。

 大体は避けられるし、悪ければイジメられてしまう。

 そんなことは言っても、仏教や神道なんかは普通に信仰されてるじゃないって言いたいのかな。

 でもさ、僕たち日本人にとって、あれら宗教じゃなくて日常でしょ。

 宗教って言うのはそう、こんな風に―――。


 振り返った少年の視線の先には、そんな彼を見つめる瞳、瞳、瞳。

 それらは身じろぎ一つすることなく、彼の事を見つめ続けている。

 彼らは果たして、呼吸をしているのだろうか。

 それは分からない。

 ただ一つ分かるとしたらそれは、彼らが強すぎるほどの熱情をもって目の前の少年を見つめ続けていることだけだ。

 それは祈りの姿に似ている。

 あるいは、狂気の。



「―――狂ったものを言うんだよ」



 ぐしゃあ。




 落下する、落下する、落下する。

 果てしない落下に、もし果てがあったとしたら、それを何と名付ければいいのか。

 恐らく多くの人は、それを死と呼ぶのだろう。

 しかしそれが間違っていたとしたら、今度は何と呼べばいい。

 僕はそれを―――。

「ぉぉんぎゃゃああぁぁぁっ!!」

 誕生と呼ぼうと思う。




「あぁ、あぁぁ!!何という、何という事でしょう!!!」


 鼓膜を叩くこの強烈な高音が、人の声なのだという事は分かる。

 それはどうやら、僕のすぐ後ろから聞こえてきているようだ。

 重たい目蓋をどうにか持ち上げれば、そこに目の前の光景が飛び込んでくる。

 そこは薄暗く、よく見通せはしないが、それが幻や幻覚ではなく確かに存在することは間違いなかった。

 つまりはここは、あの世でないということ。

 ただ、一体どこなんだろう。

 そして僕は―――。


「ついに、ついに・・・あぁ、救世主様!!」


 背後から聞こえる女性の声が、感極まったかのようにさらにその音程を高くし、轟くようなボリュームへと響かせている。

 それは混乱する子の頭にも無視出来ぬ存在感を帯び、僕もそれに釣られて後ろへと振り返っていた。

 そう、振り返ってしまったのだ。


「ひぃぃ!!?」


 振り返ったその先には、信じられないほどに美しい女性の姿があった。

 一糸纏わぬ、血まみれの姿で。

 それはまるで今まさに我が子を産み終えたばかりのような、そんな姿だった。


「救世主様?どうなされたのですか?」

「ひぃ!?く、来るな!来るなぁ!!」


 見れば、彼女の周囲にはおびただしい量の血が飛び散っている。

 それはともすれば神聖と呼ぶべき姿だったかもしれないが、今はとにかく恐ろしく、彼女から少しでも遠ざかりたかった。


「ほら、パパですよ~。何も怖くなんてないからねー」

「っ!たす、助けて!!」


 そんな状況に優しい声が聞こえれば、思わずそちらへと飛びついてしまう。

 僕はその声が聞こえた先にいる、これもまた全裸の女性の下へと飛びついていた。

 しかしその言葉は、何か目の前の光景と矛盾してはいなかったか。


「ルナ様、救世主様を確保いたしました」

「えぇ、助かったわエレノア。ご苦労様」


 自らをパパだと名乗った女性は、僕を目の前の女性に引き渡している。

 ここには二人の女性しかいない。

 では、僕のパパはどこに。


「それじゃあ・・・もう、貴方の役目はお終いね」

「はい。ルナ様、本当に・・・がっ!?」


 訳の分からない状況に、訳の分からない言葉を投げかけられた僕は、混乱していた。

 だから気づかなかったのだ。

 自らの頭のすぐ上で、何が行われているかなんて。


「かっ・・・きひぃ・・・ル、ルナ様の・・・かっ!手で・・・送られる・・・など・・・望外の・・・喜び・・・がっ!!」


 ゴキリと鈍い音が鳴って、頭上から聞こえていた空気の抜けるような奇妙な声は止んだ。

 僕の周りには、何やら暖かな液体が広がり始めている。

 それは透明で、よく見知った液体とは違う匂いがした。


「ひっ!?」


 それが何かは分からなかったが、今背中に当たった冷たいものが何かは分かる。

 それは、かつて人だった肉塊だ。

 僅かに漏れた悲鳴に、僕は慌てて後ずさった。


「っ!?何だよ、これ・・・何なんだよ!!?」


 そうして祭壇のような場所から離れた僕は、ようやく周りの光景を目にすることになる。

 そこには今まさに起きたのと同じように、首をへし折られた女性の死体がそこら中に転がっていた。


「・・・?どうかなさいましたか、救世主様?」

「ひぃ!?」


 後ろから掛けられたのは、心の底から僕を心配する優しげな声。

 そしてそこから伸ばされたのは、べったりと血で汚された両手。

 恐怖が、喉から漏れる。


「ぁぁ・・・ぁぁぁあああ、あああああぁぁぁぁっっっ!!?」


 漏れだした恐怖は衝動に変わり、やがて逃げ出したいという行動へと結実する。

 もはや形振り構わず逃げ出した僕の足は、そこに転がっていた何やかんやを踏みつけにして駆け出していく。

 今もまだ、人の形をした何やかんやを。


「救世主様!?そんな、どうして・・・誰か、誰かいないの!!?救世主様が、救世主様がぁぁぁ!!!」


 まるで世界が滅んでしまったかのような、発狂した声が背後から響く。

 それに呼応するように、この建物至る所からガタガタと何かが蠢く音が響いていた。




「はっ、はっ、はっ、はっ」


 人の頭蓋骨を盃にし、そこから流れる液体を歓喜の声を上げながら啜っている者達の姿を見た。


「はっ、はっ、はっ、はっ」


 奇怪な言葉を叫びながら、奇怪な踊りを文字通り死ぬまで繰り返している者達の姿を見た。


「はっ、はっ、はっ、はっ」


 生きた人間の腹を裂いて、それを皆で眺めている者達の姿を見た。


「はっ、はっ、はっ、はぁ、はぁ、はぁ・・・」


 そんな恐ろしい光景を、ここまで逃げてくる間に何度も目にした。

 それらを全て置き去りにして、分かったのは少しでも早く逃げださなければならない事と、ここが恐ろしいカルト教団であることだけだった。


「はぁ、はぁ・・・こ、ここまで来ればもう―――」


 拭い損ねた汗が、新芽に垂れて朝露と混じって落ちる。

 その湿り気と木々の間から漏れる光が、今がまだ日が昇って間もない時間だと教えてくれている。

 それはつまり、この森さえ抜けることが出来れば、うまく逃げることが出来るかもしれないという事だった。


「いたぞっ!向こうだ!!」

「っ!?くそっ!?まだ追ってくるのか!」


 うっすらと見えてきた希望も、その響いた声によってすぐさま掻き消されてしまう。

 間違いなく追っ手だと思われる声は、彼の背後の木々の間から聞こえ、それは思っているよりもずっと近くから響いてきたようだった。

 その響きに、僕は慌てて駆けだしている。

 乱れた息はまだ、整ってはいなかった。


「逃がすな!!」


 鋭い声に続いて聞こえたのは、風を切るようなどこか間抜けな音。

 しかしそれに聞き覚えがある者ならば、きっと恐怖しただろう。

 何故ならばそれは、人の命を奪う凶器が放たれた音なのだから。


「っ!?うわぁぁぁぁっ!!!」


 その音の正体を知らなくても、振り返りその目にすれば一目で分かる。

 この命を奪おうと迫ってくる、矢が放たれたのだと。


「止めなさい!!あの方を誰だと思っているの!!!」

「ルナ様!?し、しかし・・・!!」

「口答えは許しません!!即刻、お止めなさい!!!」


 救いの声が、後ろから響く。

 そしてその声の通り、続く矢が放たれることはなかった。

 しかしそれは、遅すぎた。

 この命を奪う矢はもう、この目の前まで迫っているだから。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁ、あっ・・・」


 迫る矢に、伸びる絶叫は自らの無力さを謳っている。

 それが途中で途切れてしまったのは、この命が終わったからではなく、それに捉われて前方不注意になってしまったからだ。

 全速力で踏み出した筈の足は地面を掴むことなく、虚空を踏み抜いていた。

 その一瞬の浮遊感に、僕は身を躍らせる。

 どの道、結末は変わりそうはないと思いながら。


「あぁ、せめて・・・自分が誰か、思い出してから死にたかったなぁ」


 そして、そんな叶わない願いを呟きながら。

 ここまでお読み下さり、ありがとうございます。

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